HITOE
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HITOE(ひとえ、本名:新垣 仁絵(あらかき・ひとえ)、1981年4月7日 - )は、沖縄県島尻郡具志頭村(現・八重瀬町)出身の歌手、ファッションデザイナー、イラストレーターである。芸能事務所ヴィジョンファクトリー、レコードレーベルSONIC GROOVE(エイベックス系列)に所属。血液型AB型。現在、ヨガのライセンス取得の為、ニューヨークシティに在住。
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[編集] 来歴
- 沖縄アクターズスクールを経て、アイドルグループSPEEDのリーダーとして1996年にデビュー。グループでは主にダンスとコーラスを担当。
- 1999年6月30日、ソロプロジェクト「HITOE'S 57 MOVE(ヒトエズゴナムーブ)」として初のソロ曲を出す。
- 1999年4月から6月、TBS系テレビドラマ「L×I×V×E」でドラマ初主演(同じSPEEDのメンバー・今井絵理子と共演)。
2000年のSPEED解散以降はダンス・絵画の技術を磨く為に米ニューヨークの専門学校へ留学。2001年3月31日、東京原宿にて初の個展を開き、2003年3月には自身初のイラスト集を出版した。
2002年、日本で芸能活動を再開。他の元SPEEDメンバーと共にSONIC GROOVEレーベルに移籍し、「HITOE」名義でソロ歌手として活動。また限定的に再結成したSPEEDでもやはり、リーダーとして活動した。
[編集] 余話
SPEED在籍中はリーダーでありながら地味な存在であったが、メンバーの中では一番音楽に造詣が深く、在籍時から当時最先端のアメリカのR&Bを研究し、ダンスの振り付けや曲のアレンジ等に取り入れていた。また「ジャマイカ人になりたい」と発言するなど、エスニックなテイストの持ち主でもある。ジャマイカにも何度も行って本場のジャマイカミュージックを身につけようとした努力家であり、今後の更なる活動が嘱望されている。
SPEED がブレイクしだした頃、伊集院光は自身のラジオ番組「伊集院光 深夜の馬鹿力」において、「SPEED の中にダウトが 1 人いる」と発言し、これに対して「仁絵ちゃんのことを悪く言わないで下さい!」という抗議(?)の葉書が殺到した。伊集院は「だって、しょうがねーじゃん」などと開き直ったが、SPEED 解散の数年後、同じ番組中、伊集院はあれは話の流れ上、仕方なくそうなってしまったが、実は当時、自分がダウトだと思っていたのは、仁絵ちゃんではなく島袋だった、と述べている。当時の SPEED メンバーに対する世間(および伊集院)の評価が垣間見えるエピソードとして興味深い。
[編集] 作品
「HITOE'S 57 MOVE」名義
- INORI (1999/6/30)
「仁絵」名義
- I Got You (シングル、2002/12/18)
- I'll Do It My Way (アルバム、2002/12/18)
- I'll Do It My Way (シングル、2003/02/05)
書籍
- HITOE ARAKAKI 『VIBE ART』 (エイベックス、2003年) ISBN 404894102X
- 推薦文は山田詠美が執筆
テレビドラマ
映画
- アンドロメディア(1998年、松竹)
- 男はソレを我慢できない(2006年7月29日公開、キネティック)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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