DC-4
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DC-4は アメリカ合衆国のダグラス社が開発した大型レシプロ旅客機。軍用型としてC-54とR5Dが製作された。
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[編集] 概要
[編集] DC-4/C-54/R5D
1930年代以降、DC-3の商業的な成功によりアメリカを始めとする世界の旅客機市場で最大のシェアを誇っていたダグラス社が、DC-3の後継機として開発した4発エンジンを持つ機種である。
第二次世界大戦中の1942年2月14日に完成・初飛行したこともあり、当初はアメリカ軍向けの輸送機・C-54"スカイマスター"(陸軍航空隊向け)もしくはR5D(海軍向け)として大戦終結後の1946年までに1,134機が製作された。なお、戦後そのうちの約500機が民間に払い下げられ、DC-4として活躍することになった。その後、1947年8月9日に生産が終了するまでの間に74機の民間向けDC-4が製作され、与圧された客室とより大きな機体、強力なエンジンを装備したDC-6がその後を引き継いだ。
初飛行後60年以上経った現在も数十機がアメリカや中南米の航空会社で使用されているが、その多くは貨物機や消防機に改修され、第一線からは退いている。
[編集] DC-4E
ユナイテッド航空から出されたDC-3の後継機に対する要望に答えるための試作機として、ダグラス社として初の4発エンジンを持つ大型旅客機・DC-4E(EはExperimental=「試作機」の意味)が製作され、1938年6月7日に初飛行したものの、路線就航を前提としたテスト飛行を行った結果、エンジン出力に比べ機体重量が重かった上に機構が複雑すぎ、整備性および経済性に問題があったために、試作機として1機だけが製作されたのみに終わった。
なお、DC-4Eはその後、1939年10月に日本海軍に払い下げられ(海軍名義ではなく大日本航空の名義で購入した)、中島飛行機で海軍向けの13試大型陸上攻撃機「深山」爆撃機の設計をする際の参考にされた。なお、このDC-4Eと後のDC-4との共通点は殆どない。
[編集] スペック
※航空会社の仕様により多少の違いがある
- 最高速度:450km/h
- 巡航速度:365 km/h
- 座席数:最大86席(国内線用)
- 航続距離:約6,839 km
- 全長:28.6 m
- 全幅:35.8 m
- 全高:8.38 m
- エンジン プラット&ホイットニーR-2000×4基
[編集] 主なユーザー
[編集] 航空会社
- 日本航空
- キャセイパシフィック航空
- タイ国際航空
- サウジアラビア航空
- サベナ・ベルギー航空
- アリタリア航空
- KLMオランダ航空
- ユナイテッド航空
- ノースウエスト航空
- パンアメリカン航空
- カナダ太平洋航空
- ヴァリグ・ブラジル航空
- アルゼンチン航空
- カンタスオーストラリア航空
- 南アフリカ航空
[編集] 軍・政府
[編集] 日本のDC-4
日本では日本航空が、1950年6月の第二次世界大戦後の連合軍の占領下における民間航空活動の停止措置の解禁に伴い、1951年10月11日にノースウエスト航空との委託運航契約を結び、5機のマーチン2-0-2型機とともに、1機のDC-4型機をチャーターし使用することになった。このDC-4型機は「てんおう星」号と名づけられ、1951年11月2日より東京=札幌(千歳空港)線に就航した。
当時すでに生産は終了していたものの、信頼性が高いこともあり、1952年10月25日からの自主運行開始後も買い増しを進め、最終的に6機を購入し国内線の主力機として黎明期の日本航空を支えた。また、当時アメリカの統治下にあった沖縄への国際線機材としても運行されていた他、東京=サンフランシスコ間にトランスオーシャン航空からチャーターされた機材が貨物専用機として導入されていた。
しかし、ライバルの全日空などが国内線に与圧装置や気象レーダーを完備し、より高速運行が可能なコンベアCV440メトロポリタンなどの新鋭機材を相次いで導入したことから、1963年4月1日に全機が退役し海外に売却された。末期には本機使用便で運賃の割引をしようとしたが認められなかった(一部写真の垂直尾翼に「E」が書かれているのはこのためである)。なお、同機を導入したのは日本では日本航空のみであった。