マーチン2-0-2
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マーチン2-0-2(Martin2-0-2)とはアメリカ合衆国の航空機メーカーのマーチン(現在のロッキード・マーティン)が第二次世界大戦後に開発・製造した双発レシプロ旅客機である。なお一般的には「マーチン202」と表記されることが多いが正式には「マーチン2-0-2」と表記する。同機は設計上の不備と客室が与圧されていなかったため、マーチン社は主翼を新設計にし与圧客室にしたマーチン4-0-4を開発したため、マーチン2-0-2は34機(主翼強化型のマーチン2-0-2Aの生産は12機)にとどまったが、日本においては第二次世界大戦後初めて日本法人である日本航空が運用した最初の機体として有名である。
[編集] 機体の経歴
マーチン2-0-2は第二次世界大戦中に大量に使用されていたダグラスDC-3の後継機を狙って開発されたものであり、1946年11月22日に原型機が初飛行した。1年後の1947年11月15日にノースウェスト航空で就航したが、1948年8月29日に主翼構造の強度不足のためミネソタ州上空で空中分解し墜落した。そのため残された機体は改修が命じられ、僅か34機の製造で終了した。その後も1950年3月から1951年1月にかけてノースウェスト航空の機体が4機相次いで事故を起こしている。
全損事故は13機、163人が死亡している。
[編集] 日本航空のマーチン2-0-2
第二次世界大戦で敗北した日本は連合国より軍民問わず航空機を運用することを禁止されていた。1951年になりようやく日本航空株式会社(旧会社)による民間旅客機による定期路線が就航した。しかし実際には日本航空は営業面だけが日本側が担当し、実際の定期路線運航はノースウェスト航空が操縦士つきで担当し、このときに使われたのがマーチン2-0-2であった。日本航空では5機のマーチン2-0-2を運航したが、それぞれの機体に太陽系の惑星の名称を付けていた。すなわち「もく星」(登録記号N93043),「すい星」(登録記号N93049),「きん星」(登録記号N93041),「か星」(登録記号N93061), 「ど星」(登録記号N93060)のである。そのうち「ど星号」は,1番機として1951年10月25日に東京~大阪間の定期航空路線に就航した。しかし1952年4月9日には「もく星」号が伊豆大島の三原山御神火茶屋付近に墜落する死亡事故を起こした(もく星号墜落事故)。そのためか1953年に日本航空株式会社(特殊会社)に伴う自主運航開始とともにノースウェスト航空に返却され日本の空から姿を消した。
[編集] 性能要目
- 全幅 28.4m
- 全長 22.8m
- 高さ 8.70m
- 操縦乗員 3
- 乗客 40(最大)
- エンジン Pratt & Whitney R-2800-CB16双発
- 総重量 30,367Kg
- 最大巡航速度 450Km/h
- 航続距離 4,184Km