黄金世代
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黄金世代(おうごんせだい)とは、特定の分野において比較的狭い年齢層に突出した才能を持つ人材が集中することを指す言葉であり、英語のgolden generationの和訳である。近年ではスポーツ分野、特にサッカーで用いられることが多い。
黄金世代に対して、golden ageという英訳をあてる例がしばしば見られるが、golden ageは「老人世代」もしくは「黄金時代」(特定の分野が隆盛を誇った時期)という意味で用いられることが多い(ただし、golden generationも老人世代の意味で用いられることがある)。
[編集] ポルトガルサッカーの黄金世代
現代において最もよく知られた黄金世代は、1969-1972年生まれで、1990年代に活躍したサッカーポルトガル代表の選手たちである。
1989年のワールドユースではパウロ・ソウザらを擁して優勝。さらに1991年に地元で開催された同大会にはルイス・フィーゴやルイ・コスタらが出場し、ポルトガルは連覇を果たした。ジョアン・ピントに至っては、この2大会に連続出場し2連覇に立ち会った。2006年現在、ワールドユースで2度優勝した選手はピントのみである。
彼らに続く世代も、1994年のUEFAU-21選手権準優勝、1995年ワールドユース3位、1996年アトランタオリンピックベスト4といった成績を残した。こうした実績から、彼らが長じて主力となった1990年代終盤から2000年代序盤のポルトガル代表に対しては、ポルトガルに欧州選手権やワールドカップをもたらすという期待がかけられていた。1998年までワールドカップ大陸予選での敗退が続いていたポルトガルは、2000年の欧州選手権でベスト4に進出し、期待を抱かせた。2002年ワールドカップでは大陸予選を突破したものの、本大会では1次リーグ敗退に終わった。
2004年には欧州選手権で決勝まで進出するも、伏兵ギリシャに敗れた。しかも、このとき代表に留まっていた黄金世代はフィーゴとルイ・コスタのみであった。結局、この世代がA代表としてポルトガルに栄冠をもたらすことはなかった。
彼らに代わる次の世代として、プラチナ世代が注目を浴びている
[編集] 日本サッカーの黄金世代
日本のサッカーにおける黄金世代は俗に「79年組」とも呼ばれ、1994年U16アジア選手権優勝メンバーの小野伸二、稲本潤一、高原直泰に代表される1979年-1980年生まれの選手たちを指すことが多い。その他、小笠原満男、加地亮、遠藤保仁、中田浩二、坪井慶介といった、後にA代表に定着することになった選手がこの年代に含まれる。
ちょうど彼らの少年期は、日本サッカー協会がトレセン制度を対抗戦方式から講習会方式に変更し、若手育成に力を入れ始めた時期に重なっている。また、多感な中学生年代にドーハの悲劇やJリーグ開幕といったイベントを経験したことが、彼らの意識に影響を与えたとする意見もある。こうしてサッカーにのめりこんでいった彼らの世代は、1999年にワールドユースで準優勝を果たした。世界大会での決勝進出は、日本サッカーにとって初めての快挙だった。
彼らが加わったサッカー日本代表は、その後もアジアカップ2000、同2004を連覇、シドニーオリンピックベスト8進出、地元開催のFIFAコンフェデレーションズカップ準優勝、FIFAワールドカップ日韓大会でも決勝トーナメントに進出するなど、それ以前を著しく上回る実績を残した。しかし、こうした成果を挙げた代表チームには中田英寿、中村俊輔ら1977年-1978年生まれの世代も多く加わっており、彼らの年代を含んで広義の黄金世代とする意見もある。
こうした目覚しい結果を残した世代に対し、1981年以降に生まれた(アテネオリンピックに出場したU-23日本代表)年代は、これほどの結果を残すことができず、またA代表への定着も進まないことから、しばしば谷間世代と揶揄されることがある。
また、黄金世代人気はテレビ界にも反影し色々な特集が組まれる中、2002年1月から、黄金世代の顔と言われている小野・稲本・高原を密着したSP番組「ワールドカップをめぐる冒険」が年に1度正月番組として放送されている。
[編集] その他の黄金世代
韓国においては、日本より2歳ほど下(アテネオリンピックに出場したU-23韓国代表)の世代が黄金世代と呼ばれた。しかし、韓国は基本どの世代でも黄金世代という言葉を用いるので韓国における本当の黄金世代はどれを指しているのかはわからない。