麒麟児和春
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麒麟児和春(きりんじ かずはる、1953年3月9日 - )は、千葉県柏市出身の元大相撲力士。二所ノ関部屋所属、最高位は関脇。
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[編集] 来歴
いわゆる「花の二八組」の一人として長く土俵を沸かせた「華のある力士」である。1973年(昭和48年)に幕下で2場所連続全勝で十両に昇進、昭和49年(1974年)9月場所新入幕、好成績でいきなり横綱輪島大士にあわせられるなど、すぐに幕内上位に定着、突っ張りを得意としたきっぷのいい押し相撲で関脇まであがり、その後も活気ある取り口で人気を博した。左四つでも相撲が取れた。同タイプの富士櫻との取組は人気を博し、昭和50年(1975年)5月場所の8日目の天覧相撲では富士櫻と猛烈な突っ張り合いを見せ、昭和天皇が思わず身を乗り出したのは有名な話で、協会も昭和天皇が観戦する日にわざわざ割を組んだほどである。また、時間前に立ち合うこともしばしばあった。
1981年(昭和56年)以降になると、次第に上位には通じなくなり、幕内上位では負け越し、番付が下がると勝ち越すというパターンの繰り返しが続き、いわゆるエレベーター力士として引退まで幕内に長く留まった。昭和天皇も「麒麟児は今度は勝ち越す番だね。下位に下がったから」と言ったエピソードがあり、引退まで殆どがこの星取りパターンであった。
引退後は年寄北陣を襲名、テレビの解説でも実技をふまえたわかりやすい説明で視聴者から親しまれた。力士のテレビCM出演が盛んに行われた頃、四股名からの連想で、旭國斗雄とともに某ビール会社のCMに出演、好評を得た。
[編集] 主な成績
- 金星6個(輪島大士2個、北の湖敏満1個、三重ノ海剛司1個、若乃花幹士 (2代)1個、大乃国康1個)
[編集] 三賞
- 殊勲賞 4回
- 敢闘賞 4回
- 技能賞 3回