高橋龍太郎
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高橋龍太郎(たかはし りゅうたろう、1875年7月15日 - 1967年12月22日)は昭和期の実業家、政治家。日本のビール王と呼ばれる。
[編集] 来歴・人物
愛媛県生まれ。旧制松山中学校(現愛媛県立松山東高等学校)卒業後、東京高等商業学校(現一橋大学)に進学するも、脚気の治療のための転地を兼ねて新設された第三高等学校(現京都大学)工学部機械工学科に転校、1898年同卒。
大学卒業後、大阪麦酒(後の大日本麦酒(現アサヒビール・サッポロホールディングス))に入り、1898年から6年間ドイツに留学して醸造技術を学び、帰国後は製造責任者としてビール造りに携わる。後に社長となり、ビールを日本の大衆文化に成長させた。大日本麦酒分裂後はサッポロビールの役員となっていたが、不調に終わったアサヒ・サッポロ両社の再統合に向け働きかけていたとされる。
またプロ野球への造詣も深く、戦前にはイーグルス(現存しない東京の球団)、戦後には高橋ユニオンズ(1955年だけトンボユニオンズ。現存しない)のオーナーとなった。
また戦死した子息が学生時代にサッカーをしていた縁もあり、第3代日本サッカー協会会長(1947年~1954年)に就任、2005年には第1回日本サッカー殿堂入りを果たした。
留学やビール・サッカーでの縁もあり、日独協会会長に就任(1955年4月~1965年7月)。
政治家としての経歴は、1946年に貴族院議員を務めるも、日本国憲法施行による改組のため翌1947年に参議院議員に転じ、1951年には通産大臣に就任した。また財界人としては、1947年に日本商工会議所会頭に就任した。
上記各界での功績により、1964年に勲二等旭日重光章を受章。 1967年12月22日死去、享年92歳。
長男・吉隆(1993年逝去)も、東京帝国大学卒業後住友銀行副頭取を経てアサヒビール入りし、1971年~1976年まで社長を務めた(後に会長に就任)。