高松琴平電気鉄道10000形電車
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高松琴平電気鉄道10000形電車(たかまつことひらでんきてつどう10000がたでんしゃ)は、高松琴平電気鉄道(琴電)に在籍した電車である。 同社の自社発注車で、1952年日立製作所笠戸工場製。制御電動客車の1001と1002(竣工時)による2連1編成2両が在籍したが、1986年に廃車になった。
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[編集] 概要
昭和20年代の地方私鉄の電車としては珍しい先進的なメカニズムを備えていた。 しかし、これより後の琴電では大手私鉄・国鉄の中古車譲り受けによって車両増備を続けているため、10000形のような意欲的な新車を導入することはなくなっている。
[編集] 車体
車体は長さ17m級の半鋼製で、窓配置はd2D9D2。ノーシル・ノ-ヘッダーで、前面のみ張り上げ屋根となっている。連結面は切妻で、琴電の車両ではじめて広幅貫通路と貫通幌、それに密着式連結器が採用された。車内の座席はロングシート、吊皮にはバネで窓側に跳ね上がるリコ式が用いられ、運転台は片隅式であった。当初の床面はリノリウム張りであった。
[編集] 主要機器
主要機器は日立製作所の自社製機器を搭載したが、一部は流用品が使用された。
[編集] 制御器
制御器はMMC-HB10多段式電動カム軸制御装置で、直列8段、並列8段、弱め界磁1段という当時としては一般的な構成となっており、これに内蔵された16段の発電ブレーキに加えて電磁直通ブレーキが採用された。
運転台の主幹制御器に日本初のワンハンドル制御を導入したことが、この電車の最大の特徴である。速度が低下して電気ブレーキが弱まった段階でマスコンを6ノッチへと進めると、電制が有効のまま電磁直通弁が動作してブレーキシリンダーに空気圧を送り込み、5ノッチ(重なり)・4ノッチ(弛め)を適宜使用することで吸排気を行って確実な停車へと導くことができた。
これは日立製作所が、次世代の高速電車のブレーキシステムとして開発したもので、その実用第一号であった。しかし、このシステムは操作が複雑で、しかも高速域でのブレーキの立ち上がりの際に、発電ブレーキと空気ブレーキの同期が適切かつ自動的に行えないという問題を抱えており、この点でアメリカのウェスティングハウス・エアブレーキ社が開発した、SMEE/HSC電磁直通ブレーキの巧妙かつスムーズな動作と操作の容易性を両立した電空同期機構に明らかに見劣りしたため、他の鉄道には全く普及しなかった。
日本においてワンハンドル式制御器が本格的に採用されるのは1969年登場の東急8000系以降であるが、これには本形式の日立系システムは何ら寄与していない。
[編集] 主電動機
主電動機はHS-355[1]を各車2基ずつ分散搭載した。これは吊り掛け式電動機としては後期の設計であって定格回転数が高く、特に最高速度が100km/hに達する急行運転時にはその性能を遺憾なく発揮した。
[編集] ユニット構成
その他の主要機器については、1001にパンタグラフと主制御器、1002に電動発電機(MG)と空気圧縮機(CP)を分散搭載して2両で共用する、ユニット構成となっている。この機器分散のコンセプトは、一見すると後に国・私鉄の高性能電車で広く取り入れらたものと共通であるかに見えるが、本形式の場合は1954年に三菱電機-近畿日本鉄道の共同開発によって実用化されたMM'ユニット方式とは異なり、本来1両の電動車に集約すべき機器を地上施設側の荷重制限からやむなく2両に分散した[2]に過ぎず、その本質においては全くの別物である。とは言え、本系列の機器構成が当時としては非常に先進的かつ意欲的なものであったことは間違いなく、新造時には大手を含む私鉄各社の注目を集めた。
なお、本形式の電装品については、製造当時は琴平線が1500V、志度線・長尾線が600Vであったため、志度線への乗り入れを考慮して複電圧対応になっていた。もっとも、入線に必要となる志度線の地上施設の改良が進まなかったため、この複電圧機構は一度も使用されず、そればかりか1500Vに昇圧後も志度・長尾の両線に入線することはなく、本形式は最後まで琴平線専用車として運用された。
[編集] 台車
台車だけは旧式の中古品で、営団地下鉄1000形が戦後台車交換を実施した際に余剰品の払い下げを受けた、汽車製造会社製3H形台車を流用しており、このためイコライザーに地下鉄の第三軌条用コレクターシューの取り付け跡が残っていた。この台車は昭和初期に日本の各車両メーカーが好んで製作した、ボールドウィン系のビルドアップ・イコライザー台車の一種であったが、新造ではなく中古品を採用した理由は定かではない。
[編集] ブレーキ
上述の日立オリジナルの電空同期ブレーキ機構の陰に隠れてしまっていたが、本形式には電磁直通弁による電磁直通制動に加え、直通制動の欠点を補うためM-2-A三動弁によるAMM自動空気ブレーキが搭載されており、運転台にもこれを操作するためのM23ブレーキ弁が搭載されていた。
[編集] 運用
当初は「こんぴら号」とネーミングされ、高松琴平電鉄の看板車両となった。1959年には急行専用車として、車内は一方向固定のクロスシートに改造され(後にロングシートに戻される)、同系の制御器を搭載する増備車である1010形「こんぴら2号」と共に、急行を中心とする限定運用でその駿足を生かして運行された[3]。
しかし、MMC系自動加速制御器を搭載するこれら2形式は、HL系手動加速制御器を搭載する在来車を増結することができない上、制御器やブレーキの取り扱いも全く異なるため、車両数が不足するラッシュ時でさえ運用することが難しく、急行の廃止後は次第に持て余し気味となっていった。
その間、1973年には、ヘッドマークの撤去、吊皮の普通型への交換が実施された。
そして製造から28年が経過した1980年には、更新を兼ねた大改造が実施された。
この際、主電動機を1001に集約し、1002は制御車化。また制御器とブレーキはそれぞれ、琴電標準のHL式、電磁SME(非常弁併設電磁弁付直通空気ブレーキ)に変更した。これにより、他車との併結が可能になったが、高回転数で出力を稼ぐ主電動機の特性と、強トルクの低速モーターに適した制御器のマッチングが悪く、しかもブレーキ改造について電制常用を前提に設計されていた元の配管を極力流用した結果、効きが悪くなってしまったことから、使用頻度はさらに減った。
その後、1986年に1070形1073-1074の導入に伴い廃車された。電車を50年、60年単位で使い続ける琴電において、車齢34年での廃車は異例の早さである。
廃車後しばらく仏生山工場の引き上げ線に留置されていたが、後に解体されている。
[編集] 脚注
- ↑ 端子電圧750V時定格出力112.5kW/1,050rpm。
- ↑ 各車の自重は1001が34t、1002は33tで、ほぼ平均化されていた。
- ↑ 同系の機器を搭載していたが、搭載する主電動機の特性が全く異なっていたため、併結はできなかった。
[編集] 参考資料
- 真鍋裕司「高松琴平電気鉄道の10000形の足跡 地方鉄道が生んだ名車の一例」、鉄道ピクトリアル509号、電気車研究会、1989年3月
- 真鍋裕司「私鉄車輌めぐり[121] 高松琴平電鉄(上)」、鉄道ピクトリアル403号、電気車研究会、1982年5月
高松琴平電気鉄道の電車 |
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