香港特別行政区基本法
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香港特別行政区基本法(the Basic Law of the Hong Kong Special Administrative Region、以下、香港基本法)は1997年7月1日以降、イギリス植民地下における「イギリス国王開封勅許状」(英皇制誥、Letters Patent)および「勅令」(皇室訓令、Royal Instructions)に取って代わる香港の憲法的法律とされている。
香港基本法は、全文と9章および3つの付属文書から構成されている。
- 前文
- 第一章:総則
- 第二章:中央政府と香港特別行政区の関係
- 第三章:住民の権利と義務
- 第四章:政治体制
- 第五章:経済
- 第六章:教育、科学、文化、スポーツ、宗教、労働および社会サービス
- 第七章:対外関係
- 第八章:解釈と改正
- 付属文書一:香港特別行政区行政長官の選出方法
- 付属文書二:香港特別行政区立法会の選出方法および表決手続き
- 付属文書三:香港特別行政区において施行される全国性法律
目次 |
[編集] 香港基本法の原理的な問題点
[編集] 憲法的法律としての性格
この香港基本法は香港域内において、かつ民主的に選出された制定権力によって制定されたものではない。中国当局が任命した起草委員会が起草し、中国の立法機関である全国人民代表大会(全人代)が制定したものである。そのため、中華人民共和国が同憲法31条に基づき、特別行政区を設置する方針を示した法律に過ぎない。
そもそも「基本法」という名称も全人代(の全体会議)において制定されたことを表している。中国の法律は通常、全人代の常務委員会によって制定されている。この通常の法律と基本法を区別しているに過ぎない。つまり、統一までの暫定的な憲法的法律という意味がこめられた旧西ドイツ基本法とは、名称が似ているだけで、本質はまったく異なる。したがって、香港基本法が正統な憲法的法律であるのか否かについては、議論の余地が残っている。
[編集] 解釈権と三権分立
香港基本法の解釈権は香港の終審裁法院(裁判所)になく、中央の立法機関である全人代常務委員会に与えられており、三権分立を厳格に運用することが難しい。既に香港政府が全人代常務委員会に解釈を要請し、香港終審法院の判決を覆させた事例(#解釈権の行使事例を参照)が存在する。
[編集] 制定過程
1982年に改正された中華人民共和国憲法では、将来の香港およびマカオの回収に備えて、特別行政区の設置に関する規定(31条)を設けた。1984年12月19日、香港返還に関する英中共同声明が締結された。これらを受けて、1985年4月に第6期全国人民代表大会第三次会議は、香港特別行政区基本法起草委員会の設立を決定した。同6月、同全人代常務委員会第11次会議が、香港基本法起草委員会のメンバーリストを発表し、同7月に同委員会が発足した。
香港特別行政区基本法起草委員会のメンバーは、以下の59名(中国大陸側36名、香港側23名)からなる。
- 主任委員:姫鵬飛(大陸側)
- 副主任:安子介(資本家)、包玉剛(ワールドワイドシッピング会長)、李國寶(東亜銀行会長)(以上香港側)、
許家屯、費彝民、胡繩、費孝通、王漢斌(以上、大陸側)
- 李後(秘書長)、魯平、毛鈞年(副秘書長)
- 香港側:司徒華、李柱銘(民主派)、劉皇發(郷事派・保守派)、李福善(裁判官)、李嘉誠(長江集団会長)、譚惠珠(女性、保守派)、譚耀宗、霍英東(左派資本家)、鄭正訓、項淳一、柯在鑠、査良鏞、査濟民、莫應、黄麗松(香港大学校長)、黄保欣、釋覺光、廖瑤珠(女)、鄔維庸(医師、左派)
- 大陸側:馬臨、王叔文、王鐵崖、鄺廣傑、許崇德、芮沐、李裕民、蕭蔚雲、呉大琨、呉建璠、張友漁、陳欣(女)、陳楚、邵天任、林亨元、周南、鄭偉榮、榮毅仁、勇龍桂、賈石、錢偉長、錢昌照、郭棣活、容永道、裘劭恆、雷潔瓊(女)、廖暉、端木正
このように香港基本法起草委員会は中国当局による任命であったが、民主派である司徒華と李柱銘(いずれも後の民主党議員)も含んでいた。むろん、香港側委員には財閥の首領や左派の論客が多く、香港住民の多数意見を代表していたとはいえない。しかし、特定の立場を排除したものではなかった。そのため、基本法の制定においても、香港の民主化をめぐり、保守派と民主派の間で議論が戦わされた。大陸側の委員には香港政策にかかわる官僚や法律学者が多かった。
また、1985年12月、香港基本法諮詢委員会も設置された。こちらは香港の各階から意見徴収をすることが目的であったため、香港側からのみ180名が任命された。さらに、1988年4月と1989年2月に公開諮詢も行われた。
しかし、1989年の天安門事件後、起草委員会委員のうち、査良鏞と鄺廣傑が抗議辞任した。また、同委員を続けながら天安門事件を非難した司徒華と李柱銘も、全人代常務委員会により解任された。残った委員にも天安門事件の動揺があったが、結果的に保守派の委員も(2007年以降の)民主化に同意した。1990年4月に、香港基本法は第7期全人代第三次会議において可決成立した。
[編集] 香港基本法に対する解釈権とその行使事例
香港基本法に対する解釈権は、全国人民代表大会常務委員会にある。全人代常務委員会の下には香港基本法委員会があり、必要に応じてその意見が求められる。香港域内の裁判所は域内の問題について解釈できる。しかし、中央政府との関係にかかわる問題については最終審にいたるまでに、香港終審裁判所が全人代に解釈を要請しなければならない。ただし、その場合でも、香港において過去の出た判決と矛盾することになっても、その過去の判決まで覆されることはない(基本法158条)。
ところが、返還後に全人代常務委員会による基本法への解釈を、終審裁判所ではなく、香港政府が2回にわたって要請してきた。そのうち、居住権問題をめぐる過去の判決を覆すことが狙いであり、全人代常務委員会も香港政府の望むとおり、解釈において一度出た判決を覆したのである。こうした事例は、香港における法の支配を脅かすものだとの批判がある。
[編集] 解釈権の行使事例
- 1999年の香港居住権問題
基本法第24条第3項は、同第1項および第2項で規定された香港住民が香港以外で設けた中国国籍の子女を香港住民として規定している。したがって、文字通り読めば、中国本土で生まれた香港人の子女には、香港住民として香港での居住権(永住権)が与えられるはずであった。しかし、中国本土には主に香港人男性の私生児が少なくない。1999年の香港政府による推計では約167万人いると言われる(ただし、推計方法が不正確だと批判された)。彼らが香港へ大量に移住するのを防ぐため、中国政府および広東省は彼らに香港移住の許可(「単程通行証」=本土に帰る必要のない片道切符の意)を与えず、香港政府もその永住権を認めなかった。
こうした中国本土の香港人「子女」の中には、香港への一時渡航許可(「双程証」=本土に戻らなければいけない往復切符の意)で香港に来てオーバーステイし、香港の裁判所で永住権の有無を争うケースが多い。1999年に香港の裁判所が、香港人と本土住民の間に生まれた子女にも香港永住権を認める判決を下した。そのため、大量移住の発生を恐れた香港政府は、全人代に解釈権の行使を要請した。その結果、全人代は当該判決が基本法の解釈にあたるため、香港の裁判所による判決は無効であり、また香港人と本土住民の間に生まれた子女の香港永住権資格について縮小解釈を行った。
- 2004年の行政長官および立法会の選出方法の直接選挙化問題
香港の民主派は、2003年7月1日の基本法23条立法化反対デモにおいて多数の参加者を集め、区議会選挙でも勝利を収めた。その勢いを借りて、不人気な董建華行政長官の退陣と次期行政長官および立法会全議席の直接選挙実施を要求した。これをくじくため、全人代常務委員会は自ら基本法の解釈を行い、基本法付属文書一と同二は、2007年以降に行政長官と立法会の選挙方法を変更できるが、それには所定の手続きが必要であると指摘した。その上で、さらに2007年行政長官選挙と2008年立法会選挙では直接選挙を行わないとの解釈を下した。
ただし、これは法解釈というよりも、全人代常務委員会の意思表示という側面が強い。つまり、基本法の改正において、全人代は報告を受けることになっているが、これは事実上の拒否権に相当するからである。基本法が香港域内での立法でない点や、全人代が立法(改正権)と司法(法解釈権)を持つ点が弊害となって現われた事件であった。
全人代常務委員会による解釈(原文)
- 2005年の任期途中で退任した行政長官の後継者の任期問題
2002年に再選された董建華行政長官は、任期を2年のこして2005年3月に辞任した。そのため、後任の行政長官を決める選挙が行われることとなったが、後任の行政長官の任期について、前行政長官の残り任期(2年)なのか、それとも通常の任期である5年なのか、基本法には明確な規定がなかった。そこで香港政府は同年4月6日に全人代常務委員会に解釈を要請し、同27日に後任の行政長官の任期を前任者の残り任期である2年とする解釈が出された。
[編集] 返還前における事実上の解釈事例
基本法160条は、原則として返還前に制定された既存の法令を有効なものと認めているが、全人代常務委員会が基本法違反と認定した場合は無効とすることが定められている。返還前の1997年2月、全人代常務委員会は、中国当局の意向に沿わない香港の法令を基本法に抵触すると認定し、無効にすることを決定した。無効となったのは、人権条例や議会(立法会、市政局/区域市政局、区議会)の選挙に関する法令などである。
既存の法令の無効に伴い、香港立法会による改正や新たな立法が必要となる。ただし、返還前の立法局議員を追放し、保守派や左派による推薦委員会が選出した返還後の立法会を選出していた。そのため、香港での立法作業に滞りが発生しないことを見込んだ上での処置であったといえる。
全人代常務委員会 香港基本法160条に基づく既存法令の処置に関する決定草案についての説明
[編集] 政治問題化した香港基本法の規定
[編集] 基本法23条と国家安全法
zh:香港基本法第二十三條(中国語版Wikipedia)を参照。
[編集] 基本法24条と「來港生仔團」問題
「來港生仔團」とは、香港に来て子供を生む人たちという意味である。基本法24条1項は、香港で生まれた中国公民に香港居住権を認めている。そのため、香港で子供生めば、子供は香港住民の資格を得て親の移住も可能となる。この問題が深刻化した原因は、2001年7月19日に「莊豐源案」判決である。莊豐源とは香港居住権を持たない両親が香港で生んだ男児である。その居住権をめぐり、政府と対立し、訴訟に持ち込んだ。結局、香港最終審院(最高裁)は莊豐源の居住権を認める判決を下し、当時は政府もこれを了承した。
特に2006年になって、中国大陸からの妊婦がもたらす問題が深刻化し、クローズアップされた。出産費用をうかすため病院への入院を避け、駅のホームで産気づいてしまう例も多い。また、公立病院に運び込まれても費用が払えず、外出許可で出ると踏み倒して失踪する事例も増えている。そのため、香港の公立病院では回収不能な治療費が急増し、問題化している。中でも広九鉄道沿線の沙田に位置するプリンスウェールズ病院がもっとも深刻だという。
また、香港に移住すれば、生活保護を得られる。
この問題は、一般の香港住民にも影響を与えている。一部の大陸の妊婦は多額の費用を払って、私立病院で出産しているが、多くは費用が安い(あるいは費用を踏み倒しやすい)公立病院に来たり、あるいは(入院をためらっているうちに産気づいて)搬入されている。そのため、一般の香港住民には、自分たちの出産や医療にもしわ寄せが来ているとの不満や不安がある。
そのため、香港政府は中央政府と協議し、大陸からの妊婦の香港渡航を制限する方法を模索する方針である。また、民間からは基本法の改正や、費用生産前に出産証明を出さないなどの案も提案されている。ただし、香港政府は基本法改正の提起に消極的である。