鞆の浦
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鞆の浦(とものうら)は、広島県福山市の沼隈半島の先端にある港町である。沿岸部と沖の島々一帯は「鞆公園」として国の名勝に指定されている。
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[編集] 概要
1934年に制定された瀬戸内海国立公園において最初に指定された地区。当時の記念切手や絵葉書にも鞆の風景が描かれている。
満潮時に豊後水道や紀伊水道から瀬戸内海に流れ込んできた海水は瀬戸内海のほぼ中央に位置する鞆の浦付近でぶつかり、逆に干潮時には鞆の浦を境にして東西に分かれて流れ出してゆく。つまり鞆の浦を境にして潮の流れが反対になっているわけで、このような地理的条件から大伴旅人などによる万葉集に詠まれるように、古代より潮待ちの港町と知られる。
- 南北朝時代には北朝と南朝の間で鞆でも幾度も戦闘があり、静観寺五重塔などの貴重な文化財が失われた。
- 旧備後国に属するこの土地には戦国時代に毛利氏によって鞆城が築かれ、室町幕府15代将軍足利義昭は、織田信長により京を追放された後、毛利氏の庇護のもと、ここ鞆の浦にとどまり、信長打倒の機会を窺った事から鞆幕府という呼び名もある。
- 古寺が数多く点在する古い街並みと仙酔島・弁天島の風景が素晴らしい。坂本竜馬が紀州藩との直談判を行った場所でもある。
[編集] 鞆の浦埋め立て・架橋計画
広島県や福山市は、鞆地区を東西に結ぶ県道の一部が狭隘であるため、港の一部を埋め立てて橋を架けることを計画している。地元鞆地区住民の間では、架橋を求める要望もあるが、計画再考を求める要望もあり[1]、賛否が分かれている。
世界遺産を選定している世界的NGO組織イコモスや有識者を中心としたグループは、「事業は鞆の価値を無にしてしまう。保存との調和を図るべきだ[2]」「鞆の浦に不可欠な世界遺産に値する景観価値を破壊する」などとして計画の中止を求めている。
[編集] 鞆の浦の島
- 仙酔島 - 海食洞が広島県指定天然記念物
- つつじ島
- 皇后島
- 弁天島
- 玉津島
- 津軽島
[編集] 名所・旧跡・名産品
- 平賀源内生祠 - 広島県指定史跡
- 岡本亀太郎本店の門構 福山城の城門を移築-福山市指定重要文化財
- 鞆七卿落遺跡 - 広島県指定遺跡
- 太田家住宅・朝宗亭 - 国指定重要文化財
- いろは丸展示館 - 国登録有形文化財
- 常夜灯 - 通称「とうろどう」
- 力石 - 福山市指定重要文化財
- 鞆城跡 - 福山市指定史跡
- 鞆の津の商家 - 福山市指定重要文化財
- いろは丸事件談判跡
- 対潮楼~朝鮮通信使の迎賓施設
- 大可島城跡 - 福山市指定史跡
- 坂本龍馬宿泊跡
- 対仙酔楼
- 山中鹿之助首塚(鞆町)
[編集] 鞆の浦の社寺
- 阿弥陀寺
- 安国寺 - 釈迦堂、阿弥陀三尊などが国指定重要文化財、備後安国寺境内が広島県指定史跡
- 静観寺(鞆最古の寺院・最澄により806年創建)
- 医王寺(空海により826年創建)
- 太子殿
- 円福寺 - 大可島城跡(市史跡)
- 顕政寺
- 小鳥城 - 古戦場跡
- 小松寺(境内に琉球使節碑がある・平重盛手植えの松があった)
- 地蔵院
- 慈徳院
- 浄泉寺
- 正法寺
- 善行寺
- 大観寺
- 南禅坊
- 福禅寺 (境内が国指定史跡、村上天皇の命を受けた空也上人による創建)・対潮楼 (朝鮮通信使応接場)
- 福寿堂
- 弁天島(百貫島)塔婆 - 広島県指定重要文化財
- 法宣寺 大覚大僧上による手植え・境内の天蓋マツは国指定天然記念物
- 本願寺
- 沼名前神社(鞆祇園社・伏見城から移築の豊臣秀吉ゆかりの能舞台が国指定重要文化財、石鳥居が広島県指定重要文化財 京都祇園神社の本社に当る)
- 明円寺
- 妙蓮寺
- 淀姫神社
[編集] 交通アクセス
1954年(S29年)までは、鞆鉄道線が福山駅から発着していたが昭和29年に廃止。現在の”県道福山鞆線”がほぼその軌道跡である。
[編集] 豆知識
- 春の海
音楽家で箏曲者の宮城道雄は、父親の故郷であるこの鞆の浦で鞆をイメージした正月の定番メロディである箏曲春の海を作曲。