雪印集団食中毒事件
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雪印集団食中毒事件(ゆきじるししゅうだんしょくちゅうどくじけん)は、2000年6月から7月にかけて、近畿地方を中心に発生した、雪印乳業(当時)の乳製品(主に低脂肪乳)による食中毒事件。
本事件は、認定者数13,420名の、過去最大の食中毒といわれている。
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[編集] 原因
本事件の原因は、大阪工場(大阪市都島区、事件後閉鎖)で生産された低脂肪乳である。その原料となる脱脂粉乳を生産していた北海道の大樹工場(北海道広尾郡大樹町)の生産設備で停電が発生し、病原性黄色ブドウ球菌が増殖して毒素が発生したためと推定された。同社は、1955年にも八雲工場で同様な原因による集団食中毒事件を起こしており、事故後の再発防止対策にも不備があったと推測される。また、同時に大阪工場での原材料再利用の際における、不衛生な取り扱いも暴露された。
このため、全生産工場の操業が全面的に停止する事態にもなり、スーパーなど小売店からの雪印企業グループ商品が全品撤去されたり、ブランドイメージも急激に低下した。
その際、報道陣にこの体たらくを追及された当時の石川哲郎雪印社長は「私は寝てないんだよ」と言い放ち、多くの国民からの信用失墜に拍車をかけた(報道陣からはある記者が「こっちだって寝てないんですよ。そんなこと言ったら!」と猛反発した)。
[編集] その後の混乱
その後、2001年から2002年にかけて発生した雪印牛肉偽装事件(雪印乳業本体ではなく子会社不監督)がイメージ上の決定打となって、グループの解体・再編を余儀なくされる結果となった。
影響は雪印に限らず、他の乳業メーカーへ注文が殺到したために、乳業各社で生産・配送が受注に追いつかなくなった。また、乳業以外の食品メーカーでも衛生管理をめぐる不祥事が明るみにされたり、パンやトマトジュースなどをはじめとした食品への異物(蝿や蛙など)混入騒ぎなど、食品業界全体に大きな影響を与えた。
ただし、牛乳の再利用については法律違反とはいえないため、業界では日常的に行われていたようである。
さらにこの結果が社会に与えた影響として以下のものが挙げられる。
- 商品名への「牛乳」の命名基準が厳しくなり、コーヒー牛乳、フルーツ牛乳などの名称が消えた。
- 成分無調整「牛乳」への需要の集中などにより、夏場の「牛乳」不足が深刻となる。
- 乳製品の再利用について、2001年5月に社団法人日本乳業協会により「飲用乳の製品の再利用に関するガイドライン」が作成され、「工場の冷蔵管理下にある一定量の製品についてのみ行われる」ことが決定された。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 雪印乳業食中毒事件の原因究明調査結果について(最終報告)
- 飲用乳の製品の再利用に関するガイドラインについて
- 日本ミルクコミュニティ株式会社 飲用乳の製品の再利用開始について(ウェイバックマシンによるアーカイブ)