阪神大水害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
阪神大水害(はんしんだいすいがい)は、1938年(昭和13年)7月3日から5日にかけて、神戸市及び阪神地区で発生した水害。
同地域では、阪神・淡路大震災(1995年1月17日)と並び語られる自然災害である。
目次 |
[編集] 概説
7月3日夕方から降り始めた激しい雨は、翌日、翌々日午前にも止まず、ようやく5日13時20分に収まったが、この3日間で降水量が最も多い時には60.8mm/h、総降水量は六甲山で616mm、市街地の神戸海洋気象台でも461.8mmに及び、阪神間の広い地域で400mmを超えた。六甲山南麓(いわゆる甲南地域)には芦屋川、住吉川、石屋川など、急峻な山地から一気に海へと流れ下る川が多いため、各河川流域で決壊、浸水、更に土石流などの土砂災害が相次いだ。交通網・通信網も寸断され、都市機能は麻痺した。
[編集] 被害
- 死者 616名
- 家屋の倒壊・流失 3,623戸
- 埋没家屋 854戸
- 半壊家屋 6,440戸
- 床上浸水 22,940戸
- 床下浸水 56,712戸
[編集] 背景
六甲山は花崗岩質で、岩盤が風化し脆くなっていた。これが降雨により土石流と化し、巨岩や大木を交えて甲南地域に押し寄せ、河道を塞いだり、中下流の堤防を破壊するなどしたのである。また砂防政策の遅れも原因としてあった。この水害を機に、甲南地域の治水・砂防事業は兵庫県から国に移管されることになり、国は水害直後の9月に内務省六甲砂防事業所(現:国土交通省六甲砂防事務所)を設置。以後、太平洋戦争による中断期間を除いて一貫して国による治水・砂防事業が実施されている。
にも拘わらず同地域は、1967年(昭和42年)7月5~9日にも大規模な水害に見舞われている。地形上或いは鉱物学上、集中豪雨に弱い宿命があるようだ。また「阪神大水害の被災地と阪神・淡路大震災での主要被災地とは、ほぼ重なる」との、気掛かりな指摘もある。
[編集] 阪神大水害について触れた書籍
[編集] 外部リンク
カテゴリ: 河川 | 風水害の歴史 | 日本の地理関連のスタブ項目