長崎県立猶興館高等学校
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長崎県立猶興館高等学校 | |
創立 | 1880年(明治13年) |
教育課程 | 全日制 |
設置学科 | 普通科・理数科 |
所在地 | 〒859-5121 |
長崎県平戸市岩の上町1443 | |
電話番号 | 0950-22-3117 |
FAX | 0950-22-3118 |
公式HP | 長崎県立猶興館高等学校|- |
長崎県立猶興館高等学校(ながさきけんりつゆうこうかんこうとうがっこう)は、長崎県平戸市にある男女共学の県立高等学校である。 1880年9月1日、旧平戸藩藩主松浦詮公が私塾猶興書院を設立したのが長崎県立猶興館高等学校の始まりであり、以来、4万4千名を超す卒業生を送り出している。 2003年度(平成15年度)から、本校には理系大学への進学を目指す理数科が設置され、大島分校には島の教育資源をフルに活用した離島留学制度が導入されている。
目次 |
[編集] 校名の由来
校名は、中国の古典『孟子』の巻七、尽心章句上を出典としている。 この中の、才知や徳のある「豪傑乃士」といわれるほどの人は、他に頼ることもなく、文王の教えがなくても、自発的に立ち上がって善を行うことができると「自立自発」を説いた、「猶興」の教えにある。
[編集] 所在地
〒859-5121 長崎県平戸市岩の上町1443
アクセス:JR佐世保駅よりバス(西肥バス)平戸桟橋方面行き 約1時間15分 猶興館高校前下車徒歩3分。
[編集] 沿革
- 1880年(明治13年) 旧平戸藩主第37代松浦詮公 猶興書院を設立。
- 1887年(明治20年) 私立尋常中学猶興館と改称。
- 1901年(明治34年) 長崎県立中学猶興館と改称。
- 1903年(明治36年) 私立平戸女学校設立。
- 1913年(大正2年) 私立平戸高等女学校設立。
- 1917年(大正6年) 新校舎落成(現猶興グランド)。
- 1919年(大正8年) 長崎県北松浦郡立平戸高等女学校と改称。
- 1920年(大正9年) 長崎県平戸高等女学校と改称。
- 1922年(大正11年) 長崎県立平戸高等女学校と改称。
- 1924年(大正13年) 中学猶興館校舎全焼。
- 1926年(大正15年) 猶興館新校舎「白亜の学舎」落成(現在地)。
- 1948年(昭和23年) 長崎県立平戸高等学校猶興館と改称。(学制改革による)
- 長崎県立平戸高等女学校が長崎県立平戸女子高等学校と改称。(学制改革による)
- 1948年(昭和23年) 長崎県立平戸高等学校猶興館と長崎県立平戸女子高等学校の2校が統合され全日制普通科長崎県立平戸高等学校が創立。11月4日を創立記念日とする。
- 1953年(昭和28年) 長崎県立猶興館高等学校と改称。
- 1953年(昭和28年) 家政科を設置。
- 1960年(昭和35年) 創立80周年記念式典を挙行・体育館落成。
- 1980年(昭和55年) 創立100周年記念式典を挙行。
- 1985年(昭和60年) 家政科募集停止。
- 1989年(平成元年) 猶興門(白浜口御門)竣工。
- 1990年(平成2年) 猶興史料館、猶興庭園開設。
- 1997年(平成9年) 白浜グランド竣工。
- 1999年(平成11年) 弓道場竣工。
- 2003年(平成15年) 理数科を設置。
- 2005年(平成17年) 相撲部創部100周年を迎える。
- 2005年(平成17年) 創立125周年記念式典を挙行。
[編集] 校歌
校歌の歌詞は、1950年(昭和25年)に当時としては大金だった入賞賞金3万円で一般公募された。集まった100編の中から数編を選び、本校に学び東京在住であった作詞家・故藤浦洸(ふじうらこう(正式ふりかな・ふじうらあきら))氏に送って選考してもらい、選考委員会で決定した。(1951年(昭和26年)制定)歌詞には他校の校歌にはあまり見られない「平和」「正義」「自由」「愛」「自治」といったことばが使われ、曲には「平戸じゃんぐゎら」のリズムが取り入れられている。作詞者・作曲者はともに当時の猶興館の職員である。
[編集] 部活動
- 体育部(14部2同好会)
- 文化部(10部)
[編集] 出身者
[編集] 同窓会支部
東京、関西、中国、北九州、福岡、大分、熊本、伊万里、長崎、佐世保、佐々、吉井、松浦市、福島、鷹島、鹿町、江迎、田平、生月、平戸北部、平戸南部
毎年お盆明けの日曜日に、平戸で総会と懇親会を行っている。