道後温泉本館
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
道後温泉本館(どうごおんせんほんかん)は、愛媛県松山市の道後温泉の中心にある温泉共同浴場。別名・愛称は坊っちゃん湯。明治時代に建築された歴史ある建物で、街のシンボル的存在である。共同浴場番付において、西の横綱に番付けされている。1994年に国の重要文化財(文化施設)として指定された。
目次 |
[編集] 構造
[編集] 浴室
- 1Fに「神の湯」、2Fに「霊の湯(たまのゆ)」がある。神の湯男性浴室のみ2ケ所浴室があるが、女性客の増加に伴い神の湯女性浴室にも2つ目の浴室が設けられる予定。
- 神の湯と霊の湯の違いは使っている石の程度だが、霊の湯の方が人が少ないためゆったり入れる。また、霊の湯には石鹸が備え付けられている。
- 神の湯男性浴室には「坊っちゃん泳ぐべからず」との板看板。ただし坊っちゃんは毎日上等(霊の湯と思われる)に入っていたと記されている。
[編集] その他の設備
- 「振鷺閣(しんろかく)」
- 「又新殿(ゆうしんでん)」
- 日本で唯一の皇室専用浴室。御影石の最高級品、庵治石を使った浴槽の他、控え室、トイレ等が見学可。これまでに10人の皇族が入浴しているが、各宿泊施設に引き湯が行われたことなどから、50年ほど使用されていない。見学料250円。最近、霊の湯の切符を買うと無料で見学できるようになった。ガイドの説明つき。
- 「坊っちゃんの間」
- 3階一番奥の個室に夏目漱石ゆかりの資料の置かれた部屋があり、開放されている。見学は神の湯階下の人でも自由。
[編集] 運営
[編集] 料金システム
入口右手の窓口で以下の4種類の切符を販売(以下の料金は大人一人)。さらに、履物を脱いで上に上がり、入り口で券を渡す仕組み。
- 「神の湯階下」(400円) 神の湯に入る。一般的な銭湯と同じ。
これより高い切符は全て浴衣、お茶、お菓子のサービスがある。霊の湯は貸タオルつき。
- 「神の湯2階」(800円):神の湯に入浴し、2階の大広間で休憩。
- 「霊の湯2階」(1200円):霊の湯、神の湯に入浴し、2階の広間(神の湯とは別でこじんまりとしている)で休憩。
- 「霊の湯3階個室」(1,500円):霊の湯、神の湯に入浴し、3階の個室で休憩。休日等は満室のことが多い。
- ※2005年7月に利用料金が値上げされ、上記の料金となった(なお、最も安価な神の湯階下はそれまでは300円であった)。料金の一部は、重要文化財の一部である道後温泉本館の保存修復に充てられることになっており、入湯券の半券にもその旨記載されている。
- 電子マネー「Edy」が使える。
- 貸しタオル:50円(道後温泉の刻印のあるミニ石鹸付)
- 独特の赤色をしている。販売もある。
[編集] 営業
- 道後温泉の権利は、旧道後湯之町から合併により受け継いだ松山市が有しており、各ホテル旅館への配湯はもちろん、本館と椿の湯の経営も行っている。
- 公営であるがゆえに、本館の従業員のサービスぶりが不十分だとの批判もある。
- 年末の大掃除の日を除いて年中無休
- 年末大掃除の模様は、師走の格好の季節の話題となっており、地元放送局や新聞によく取り上げられる。
[編集] 歴史
本館の歴史は事実上、伊佐庭如矢(いさにわゆきや)の英断に始まる。
- 1890年、如矢は道後湯之町の初代町長となった。この時の最大の懸案は、老朽化していた道後温泉の改築であった。
- 如矢は町長就任に際して、自らは無給とし、その給料分を温泉の改築費用に充てることとした。
- 総工費は13万5千円。当時の小学校教員の初任給が8円といわれ、あまりに法外な予算に町民は驚き、町の財政が傾きかねない、無謀な投資だと非難が渦巻いた。反対運動は激しさを増し、ついには如矢は命の危険を感じるほどであった。
- しかし、如矢は貫き通した。棟梁は城大工の坂本又八郎を起用し、姿を現した木造三層楼は、当時でも大変珍しがられた。
- 如矢は道後への鉄道の引き込みも企図し、道後鉄道株式会社を設立。一番町~道後、道後~三津口間に軽便鉄道を走らせ、客を温泉へ運んだ。関西からの航路が開かれるなど、道後温泉が発展していった時期であった。
- 本館造営といい、線路の引き込みといい、今日の道後温泉の繁栄の基礎を築いており、まさに百年先を見据えた計ともいえる。
- 今は如矢は道後の温泉街を見下ろす鷺谷墓地(さぎたに・・・)に静かに眠っている。
- 如矢については伊佐庭如矢参照
- 百年以上もの間公衆浴場として使われてきたことは驚異であるが、長年使っているため、基礎部分の大規模修復が必要となっていることが、芸予地震後の調査で明らかになった。他に替えがたい道後温泉のシンボル施設であるため、たとえ長期的な観点から大規模改修が必要とはいえ改修期間中は浴場としては使用できず、大修復になること、また期間も長期化することが予想され、その間は共同浴場として使用できないことから、観光関係者では修復期間中に観光客の足が遠のくことを懸念している(その後、修復期間中は全面的に浴室として利用を中止するのではなく、一部を利用しながら順次修復していくことに落ち着いた)。
[編集] 周辺
- 周辺道路
- 本館の四周には道路があり、現在、西及び北が県道、南及び東が市道であるが、県道と市道とを付け替え、市道部分、すなわち西側と北側を石畳にする計画がある。県道については、本館の東側及びその北側に続く区間は拡幅工事中である。
- 西側は本館の正面(現在の)入り口に当たり、記念写真を撮ろうとする観光客等が多いが、いきかう自動車で危なく、また被写体の人物でなく、シャッター速度等の関係で自動車が写り込んでしまうことも多く、不満も聞かれているが、これが改善される。
- 街灯や街路樹なども含めて情緒ある石畳の道になれば、そぞろ歩きの観光客も増えて、観光資源としての魅力が一段と増すことになる。
- 道後温泉商店街
- 冠山(かんむりやま)
- ホテル旅館街
- 本館からさらに北にかけてのゆるやかな坂道の沿道には、道後温泉を代表するホテル旅館が建ち並んでいる。
[編集] 交通
[編集] 漱石と本館
- 文豪・夏目漱石が松山中学(現・愛媛県立松山東高等学校)の英語教師として赴任したのは、本館の完成した翌年のこと。
- 漱石はその建築に感嘆し、手紙や、後の彼の作品『坊っちゃん』の中で「温泉だけは立派だ」と絶賛している。実際に、頻繁に通ったという。手紙によれば、八銭の入浴料で「湯に入れば頭まで石鹸で洗って」もらうことができ、また3階に上れば「茶を飲み、菓子を食」うことができたようである。小説には「住田」の温泉として登場する。あまりにもこの印象が強いため、本館は別名、「坊っちゃん湯」とも呼ばれる。
- 一階の男性湯浴室内には「坊っちゃん泳ぐべからず」の札が今も掲げられている(もちろん復元)
- 本館内には、夏目漱石ゆかりの「坊っちゃんの間」があり、一般見学可能。
[編集] いくつかの話題
- 「油屋」のモデル
- 本館は宮崎駿監督の映画「千と千尋の神隠し」に出てくる「油屋」のモデルになったと伝えられる。木造の共同湯として、重厚な重層構造は油屋に共通している。実際に、製作スタッフが道後温泉に逗留し、本館のスケッチを行った記録がある。ただし、同じようにモデルとなった木造建築物は全国各地にあると伝えられ、製作元も道後温泉本館がモデルであるとは明言していないが、大いに参考にした場所として紹介されている。
- なお、同様の話は全国各地にある。
- 朝湯
- 本館には、なじみの地元常連客も多く、一番風呂に入る「朝湯会」(あさゆかい)の人たちもその一つ。ただ、常連の人たちの入浴マナーが問題視されることもある。
- 刻太鼓(ときだいこ)
- 一番風呂の開始を告げるのが、道後温泉本館の振鷺閣(しんろかく)から鳴り響く、「刻太鼓」。朝をはじめ、正午、夕方、ドーンドーンと迫力ある音がこだまする。
- 環境庁の日本の音風景100選に選ばれている。
- 温泉名の額
- 本館正面玄関には「道後温泉」と書かれた額が掲示されている。これは新築当時からあったものではなく、1950年に道後温泉を舞台とした松竹映画「てんやわんや」が撮影された時に、道後温泉と一目で分かるように撮影スタッフが掲げたベニヤ板製のものがはじまりである。これは撮影終了時に撤去されるはずだったが、利用客からも好評で存続することになった。文字は松山出身の画家・村田英鳳による。戦後生まれの額である証拠に、文字が戦前主流だった右横書きではない。映画の大道具に過ぎない材質のため老朽化が激しく、1986年に現在の恒久的な額に交換されている。
[編集] その他
- かつては源泉そのままだったが、現在は愛媛県の条例(2003年10月施行)による指導もあり塩素が加えられている。このことについては、温泉本来のよさを自ら減殺する行為だとの批判もある。
- 「混んでいて嫌だ」という場合は、本館向かいの商店街に入って2分ほど歩いた所に「椿の湯」がある。本館のような特別な休憩室はないが、もちろん温泉で比較的空いている。こちらは地元の人がよく利用している。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
カテゴリ: 公衆浴場 | 愛媛県の建築物・観光名所 | 重要文化財 | 松山市 | 温泉関連のスタブ項目