迎賓館
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迎賓館(げいひんかん)とは、外国の王族、大統領、首相などの国賓を迎え入れたときに、宿泊等の接遇を行う施設である。
接宴として天皇、皇族などが臨席し晩餐会が行なわれることもある。
日本の迎賓館は、現在東京赤坂の迎賓館と京都市上京区の京都御苑内の京都迎賓館があり、内閣府の施設等機関である。通常非公開だが、事前の申し込みにより、接遇に支障のない時期のみ一般参観をすることができる。
迎賓館の使用については「迎賓館運営大綱について」(1974年(昭和49年)7月9日、閣議決定)、国・公賓の定義および接遇内容については「国賓及び公賓の接遇について」(1984年(昭和59年)3月16日、閣議決定)等により定められている。これらの規定によれば、迎賓館での宿泊及び接遇を行うことが出来るのは、外国の元首またはこれに準する者で、国賓(天皇の賓客)として招請することを閣議決定した場合である。また、行政府以外の三権の長相当の外国の賓客についても、閣議決定により宿泊することが出来る。さらに、首脳外交など実務を目的として訪日する外国の元首・首相その他に対しては「公式実務訪問賓客」として宿泊を伴わない招宴その他の接遇も行われている。過去3回行われた東京サミットなどの多国間国際会議も、この接遇範疇に該当する行事として実施されている。
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[編集] 赤坂迎賓館
[編集] 沿革
東京の元赤坂にある迎賓館の建物は旧赤坂離宮であった。改修前の赤坂離宮は、建築家ジョサイア・コンドルの弟子である宮廷建築家の片山東熊によって1909年(明治42年)に元紀州藩の屋敷跡に東宮御所として建築されたものであるが、当初はあまり使用されなかった。なお、この建物は日本における唯一のネオ・バロック様式の洋風建築物である。戦後になって、敷地や建物は皇室から行政に移管され、国立国会図書館(1948年~1961年(昭和23年~36年))、法務庁法制意見長官(1948年~1960年(昭和23年~35年))、裁判官弾劾裁判所(1948年~1970年(昭和23年~45年))、内閣憲法調査会(1956年~1960年(昭和31年~35年))、東京オリンピック組織委員会(1961年~1965年(昭和36年~39年))などに使用された。
その後、国際関係が緊密化して外国の賓客を迎えることが多くなったため、1962年(昭和37年)に池田勇人総理大臣の発意により、迎賓施設を建設する方針が閣議決定された。検討の結果、1967年(昭和42年)に旧赤坂離宮を改修し、これを迎賓施設とすることが決定された。5年の期間と108億円(工事費101億円、家具等製作費7億円)の費用をかけて、本館は村野藤吾、和風別館は谷口吉郎の設計協力により1974年(昭和49年)3月に迎賓施設として改修された。
[編集] 本館
- 構造:鉄骨補強煉瓦石造、地上2階(地下1階)
- 延床面積:15,000m²
- 彩鸞の間(さいらんのま)
名前は、左右の大きな鏡の上と、ねずみ色の大理石で作られた暖炉の両脇に鸞と呼ばれる架空の鳥をデザインした金色の浮き彫りがあることに由来している。室内はアンピール様式であり、白い天井と壁は金箔が施された石膏の浮彫りで装飾されている。そして、10枚の鏡が部屋を広く見せている。広さは約160m²である。この部屋は、表敬訪問のために訪れた来客が最初に案内される控えの間として使用されたり、晩餐会の招待客が国・公賓に謁見したり、条約・協定の調印式や国・公賓とのインタビュー等に使用されている。
- 花鳥の間
名前は、天井に描かれた36枚の絵や、欄間に張られたゴブラン織風綴織、壁面に飾られた30枚の楕円形の七宝に花や鳥が描かれていることに由来している。室内はアンリー2世様式であり、腰壁は茶褐色のジオン材を板張りしていて重厚な雰囲気を醸し出している。広さは約330m²である。この部屋は、主に国・公賓主催の公式晩餐会が催される大食堂であり、最大約130名の席が設けられている。
- 朝日の間
名前は、天井に描かれた「朝日を背にして女神が香車(チャリオット)を走らせている姿」の絵に由来している。天井画は長径8.26m・短径5.15mの大きな楕円形である。室内は古典主義様式であり、壁には京都西陣の金華山織の美術織物が張られている。広さは約200m²である。国・公賓用のサロンとして使われ、ここで表敬訪問や首脳会談などの行事が行われている。
- 羽衣の間
名前は、天井に謡曲の「羽衣」の景趣を描いた300m²の曲面画法による大壁画があることに由来している。室内は朝日の間と同様、古典主義様式である。正面の中2階には、オーケストラボックスがある。これは、羽衣の間が舞踏会場として設計されたからである。迎賓館の中で最も大きいシャンデリア(重量:800kg)がある。広さは約330m²である。この部屋は、雨天の際に歓迎行事を行ったり、また、晩餐会の招待客に食前酒や食後酒が供されるところである。
- 東の間
建物の2階の東の端にある。
[編集] 和風別館
1974年(昭和49年)に谷口吉郎の設計により新設された。游心亭という名前である。主和室は、47畳の畳敷である。
[編集] 庭園
主庭は全面砂利敷きであり、中央には噴水池や花壇が設けられている。フォード大統領(1974年(昭和49年)、ハナミズキ)、エリザベス2世女王(1975年(昭和50年)、ブラウン・オーク)、ゴルバチョフ大統領(1991年(平成3年)、フユ・ボダイジュ)の記念樹がある。
[編集] 京都迎賓館
京都の迎賓館は1994年(平成6年)に「国立京都迎賓館」として建設が閣議決定され、2005年(平成17年)4月17日に開館した。 赤坂離宮とは対照的に和風建築として京都御苑の敷地内に建設された。英語表記は"Kyoto State Guest House".
- 夕映の間
- 最大約70名までの大広間。山に沈む夕日を描いた綴れ織が壁面をかざる。
- 藤の間
- 最大120名までの大広間。檜舞台を備え、藤をはじめとする四季の花々を描いた綴れ織が壁面を飾る。
- 桐の間
- 56畳の和室
- 滝の間
- 貴船の間
- 水明の間
- 首脳会談などに用いられる。
- 宿泊エリア
- 国賓・公賓とその随員のための宿泊施設
- 日本庭園
[編集] 各国の迎賓館
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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