聖飢魔II
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聖飢魔II | |
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活動期間 | B.D.16年~D.C.1年 (A.D.1983年~1999年) |
ジャンル | ロック/ヘヴィメタル |
レーベル | FITZBEAT アリオラ・レコード (BMG JAPAN) |
メンバー | デーモン小暮 エース清水 Sgt. ルーク篁III世 ゼノン石川 ライデン湯沢 準構成員 怪人松崎様 |
旧メンバー | ダミアン浜田 ジェイル大橋 ゾッド星島 ジード飯島 ジャギ古川 ジャントニオババヤシ ガンダーラ金子 魔女RYO子 準構成員 レクター・H |
聖飢魔II(せいきまつ、英表記:SEIKIMA-II、SEIKIMA II、海外公演の際にはTHE END OF THE CENTURY)は、日本のヘヴィメタルバンド。
公式プロフィールなどによれば、音楽を媒介にして悪魔教を布教するために組織された教団である。また各構成員(メンバー)は魔界から来た悪魔だとしている。 創設者はダミアン浜田地獄皇太子殿下。
目次 |
[編集] 概要
1982年12月末に結成。1983年3月23日に初黒ミサ(コンサート)を行う。 1985年に大教典(アルバム)『聖飢魔II~悪魔が来たりてヘヴィメタる』でCBSソニー (FITZBEATレーベル)から地球デビューし、翌年に発売した小教典(シングル)『蝋人形の館』の大ヒットで一躍有名になる。デビュー時の公約では1999年8月で活動を終えるはずであったが、事情を知らないマネージャーがその後の予定を入れてしまったために解散を延期。1999年12月31日、地球征服を完了したとして解散した。
デビュー当初は、バンドのコンセプトに沿った奇異な外見やパフォーマンスで世間の話題を集めた。赤色や金色に染めて逆立てたヘアスタイル、歌舞伎の隈取り風の派手なメイク(本人たちによれば、それが真の悪魔の姿である)や、少女を蝋人形にするといった過激な歌詞、ヘヴィでラウドな演奏などである。黒ミサでは、キッスばりの火吹きや血吐き(血を模したものを口から吐き出す)も披露した。同じソニー系列のレコード会社に所属していた米米CLUB、爆風スランプと合わせて「ソニー三大色物バンド」と呼ばれていた時期もある。
一時的な人気で終わりそうなキャラクターであったが、15年の長きに渡り活動を継続するなかで、幅広いファンを獲得した。リーダーでボーカルのデーモン小暮がテレビタレント的な才能に恵まれていたこともあり、音楽番組以外のバラエティなどにも積極的に出演し、お茶の間に浸透していった。
音楽的には初期の典型的なヘヴィメタルから、後にはハードロックやポップなロック、バラードまでそつなくこなすようになった。その間に各構成員の演奏力も磨かれ、高い評価を受けた。
1989年には『白い奇蹟』でNHK紅白歌合戦に出場。これはメタル系バンドとして史上初である。
1998年には「ふるさと 総・世紀末計画」と題した大規模な日本全国征服計画を遂行した。 その内容は、全国47都道府県でのミサツアーと、地元企業のCMにノーギャラで出演し、日本を征服することであった。
1999年には年末の三日間に渡って究極の解散黒ミサを行い、聖飢魔IIは地球征服を全うして解散する。
2005年11月~12月、地球デビュー20周年を記念し期間限定で再集結し、大黒ミサツアーを敢行した。
2006年には、新教典の発布も行われている。
[編集] 来歴
[編集] 結成~地球デビュー
1982年12月末、早稲田大学フォークソングクラブ(WFS)にて、地獄の皇太子ダミアン浜田殿下を中心に結成された (当初のバンド名は、は は は はまださんバンド)。 その他主なオリジナル構成員は、デーモン小暮閣下、エース清水長官、ゾッド星島親分であった (当時エース長官はドラマーとして参加)。
その後ダミアン殿下、ジード大将、ジャントニオババヤシらの悪魔事異動を経て、1984年、解散状態となる。 デーモン閣下・エース長官・ジード大将と、後の構成員Sgt.ルーク篁III世参謀は紫馬肥というバンドで活動していた。この時期にルーク参謀が後に聖飢魔IIの代表曲となる『EL.DORADO』を書いている。
1984年8月、解散前に応募していたCBSソニーのオーディションで合格したため、地球デビューが決まる。
1985年、デビュー直前になって、ギタリストのガンダーラ・サンゲリア・チグリス・ユーフラテス金子、ドラマーのジャギ古川CAPが脱退、急遽オーディションを行う。ジェイル大橋代官とライデン湯沢殿下が加入し、9月に地球デビュー大教典『聖飢魔II~悪魔が来たりてヘヴィメタる』を発布(発売)する。
同アルバムはヘヴィメタル専門誌BURRN!のレビュー史上初の0点をつけられた。タイトルの「ヘヴィメタる」に象徴されるバンドのコンセプトに対して、評者が「(神聖なる)ヘヴィメタルをコケにした」と反発したためである。コアなメタルファンも似たような反応をした者が多かった。
また、アルバムの演奏が構成員によるものではなく、フュージョンバンド、プリズムのメンバーが担当したと噂されてきた。(2005年11月20日プリズムオフィシャルサイトのBBSにおいて、ギタリスト和田アキラ本人と思われる人物が、この噂を肯定する趣旨の発言をしている)。聖飢魔IIとプリズムは交流があり、準構成員(サポートメンバー)のレクター・H伯爵は、石黒彰としてプリズムのステージ・サポートも務めている。
1986年4月、小教典『蝋人形の館』と、大教典『THE END OF THE CENTURY』を同時発布する。 (蝋人形の「蝋」の字は正しくは蠟(U+881F)であるが、一部の日本語環境では表示できないため、以後本文中では基本的に「蝋」と表記する) 「ザ・ベストテン」出演などで注目を集め、大教典はオリコン5位を記録し、小教典は初登場17位ながら30万枚をこえる大ヒットとなり、売り上げ以上に一大ムーブメントとなる。バンドのキャラクターグッズやゲームソフト「聖飢魔II 悪魔の逆襲」が発売されるほどだった。ちなみにファミコン版のBGMはオリジナル曲だが、MSX2版では「アダムの林檎」等、聖飢魔IIの曲が採用されている。
[編集] 悪魔事異動
この大ブレイクを受け、「夕やけニャンニャン」や「森田一義アワー笑っていいとも!」などへの出演など、多くのレギュラー番組を持つようになった。
そんな中、ゾッド親分が、自らの演奏テクニックの不足を理由に脱退、代わりにゼノン石川和尚が加入する。
ゼノン和尚は、フュージョン系バンドに所属していたため、聖飢魔IIからメンバーへの声がかかった時、相当意外だったという。彼はゾッド親分のベースの師でもあったテクニシャンである。
ゼノン和尚が加入した翌月、デーモン閣下が公演中に大怪我を負ってしまう。このため幾つものミサ、TV出演が延期や中止となった。
そんな中、第3大教典の制作をはじめる。初期の名盤との誉れ高い『地獄より愛をこめて』である。前2作は聖飢魔II創始者であるダミアン浜田殿下作曲によるデビュー前の遺産を中心に収録されていたが、この教典の楽曲のほとんどはジェイル代官の手による楽曲が多く収録されている。
彼のギタープレイはまさにギターヒーローであり、多くのファンを魅了していた。しかしこの教典のツアー中、11月前半にジェイル代官は脱退を決意。いわゆるミーハー・ファン、タレントじみたバラエティ番組への出演などに嫌気が差していた彼は、元々やりたかったアメリカン・ロックへの夢を実現させるべく、渡米する(聖飢魔IIとしての理由は、「人間の女性を愛してしまったため、サタン44世大魔王陛下から人間になることを許される代わりに魔界追放となり、聖飢魔II脱退」)。
その後1995年、1999年、2005年には、ジェイル大橋代官として聖飢魔IIのミサにゲスト参加する(聖飢魔IIとしての理由は、「サタン44世大魔王陛下からの特赦敢行により悪魔として復活」)。
ジェイル代官脱退後、早くも後任のギタリストが決定した。デビュー前のギタリストオーディションでは、ジェイル代官とどちらを採用するか悩んだとされる紫馬肥(むらさきうまごやし)のギタリスト、Sgt. ルーク篁III世参謀である。そして、1987年に入り小教典『EL.DORADO』で再出発を果たす。この曲は最後の最後まで聖飢魔IIの大黒柱的楽曲として機能していた。
また、11月に発布した大教典『BIG TIME CHANGES』では、ルーク参謀の加入によるバンドの変化が如実に現れていた。ギターのエース長官とルーク参謀を中心に各構成員が作曲をするようになり、それまでのヘヴィメタル路線からハードロック路線へと変化していた。この変化は更なる信者を取り込み、さらに「デーモン小暮のオールナイトニッポン」もこの時期始まり、『蝋人形の館』のとき以上の人気を獲得していくことになる。
[編集] 更なる飛躍
再出発を果たした聖飢魔IIは、新規信者を獲得していくことを目指して、シンセサイザーを大胆に導入した小教典『STAINLESS NIGHT』を発布し、スマッシュヒットを記録する。
さらに1988年、NHK登場を果たすなど大活躍する。 その後、プロデューサーにレベッカの土橋安騎夫を迎え、大教典『THE OUTER MISSION』の製作に着手し、これに先駆けて発布された『WINNER!』は、自己最高の売り上げを記録し、一気に人気は上昇していく。
年末に発布された『THE OUTER MISSION』は、オリコン7位を記録し、売り上げ面でも好調だったが、その凝りに凝った内容は、メタルファンからも賞賛を浴び、一般ファンからも高評価を得、信者の裾野はさらに広がる。
1989年に入り、上半期は音楽活動をしていなかったが、8月に発布された小教典『白い奇蹟』は初のバラード小教典で、大ヒットを記録する。
翌月発布された極悪集大成盤(いわゆる、ベストアルバム)『WORST』は、オリコン1位を記録し、信者間でも大ニュースとなる。
また、年末にはNHK紅白歌合戦にも出演し、注目を浴びた。 紅白では登場初っ端ベースソロで始まりNHK紅白歌合戦初のベースソロだったと言われる。
[編集] 爆裂聖飢魔IIと海外公演
1990年、『白い奇蹟』に続きバラード小教典『BAD AGAIN ~美しき反逆~』を発布し、TV CMでも使われた。 同年アルバム『有害』をリリースする。 バラードが2曲続いた反動でハードロック路線の教典となったものの、構成員が期待していた程にはセールスは伸びなかった(『有害』は『WORST』に続く売上を誇る大教典ではあるが)。
1991年夏、期間限定のバンド「爆裂聖飢魔II」としてシングル『夏休み』をリリースする。 爆裂聖飢魔IIのメンバー名の頭には「爆裂」が付き、衣装は蛍光色を用いた派手なものであった。 結局爆裂聖飢魔IIとしてのリリースはこの1枚だけであったが、デーモン閣下はこの時の衣装を解散後にもよく使用している。
さらには映画主題歌となった『赤い玉の伝説』をリリースしヒットを記録する。 また同年、初の海外公演としてニューヨーク、ロンドン、セビリアにおいてもミサを行い、うちロンドンとスペイン公演は活動絵巻教典『実録!欧州非常事態宣言』に、ロンドン公演だけは大教典『LIVE! BLACKMAS IN LONDON』に収められている。 なお、MCや歌詞の一部は現地の言葉による。
このライブがきっかけでアメリカのレーベルからオファーが来たがしばらくして そのレーベルがデビューさせたバンドが失敗に終わり大赤字になったため アメリカデビューは白紙になってしまったという話がある。
また、この前後には、構成員全員が毎週レギュラー出演するラジオ番組「聖飢魔IIの電波帝国」の放送がスタートしている(文化放送制作)。
[編集] 原点回帰~サタン・オール・スターズ
この時期、聖飢魔IIの活動の合間を縫って全員がソロ活動を行い、それぞれCDも発表している(ソロ活動に関してはデーモン小暮閣下、ACE、ルーク篁、RXを参照)。
1992年、アニメビデオ『HUMANE SOCIETY ~人類愛に満ちた社会~』とそのテーマ曲『正義のために』を発布。また、悪魔的な世界観に回帰し、12曲中10曲で人が死ぬ大教典『恐怖のレストラン』を発布。「殺人教典」とも呼ばれ、あまりにも過激な内容のため、NHKから出演禁止処分を受けてしまう。(ただし、これはアルバムの内容上、聖飢魔IIはさすがに折り込み済みのものであったらしい)
1993年には「ロックオペラ ハムレット」に出演。そのエンディングでは出演者一同聖飢魔IIの『世界一のくちづけを』を演奏した。
さらには、デーモン閣下のCM (フジカラー写ルンですやローソン等) が非常に好評で、閣下はタレントとしても充実した時期を送っていた。
1994年夏、ロンドンのアビー・ロード・スタジオでレコーディングされた大教典『PONK!!』を発布。ポルカやフォークソングなど、それまでの聖飢魔IIにはない楽曲が収録されていて、解散後も信者間で賛否のわかれる問題作となった。裏を返せば、この後の原点回帰に至るまでの模索の一つの形が現れた作品ともいえる。
当時、デーモン閣下の隠し子騒動が起こり、ソニーからのオリジナルアルバムのリリースは今作が最後となった。ただ、これについては隠し子騒動は表向きの理由で、実際のところ当時はヴィジュアル系の全盛に押される形で、HR/HM系がジャンル全体として氷河期といわれたほどに売上・興行面で不振を極めていた時期であり、その中でソニーが行ったHR/HM系バンドの整理の対象になったという説もある。(なお、ビデオやコンピレーションはその後も発売された)
1995年には地球デビュー10周年記念として、過去の構成員であるダミアン浜田殿下、ジード飯島大将、ゾッド星島親分、ジェイル大橋代官が復活しTHE SATAN ALL STARSというミサツアーが行われた。この模様は活動絵巻教典『オール悪魔総進撃! THE SATAN ALL STARS』に収録されている。
そして新たな所属レコード会社を探す事となる。
[編集] BMGへの移籍
1996年、BMGに移籍した聖飢魔IIは地球デビュー前の曲『野獣』に続き大教典『メフィストフェレスの肖像』を発布。 離れていった信者を呼び戻すべく、旧構成員ダミアン殿下とジェイル代官の楽曲を収録している。 また本作は、非常に低予算で作られたという。 しかし、『GREAT DEVOTION』や『HOLY BLOOD ~闘いの血統~』といった、解散時や再集結時にも演奏された名曲も収録されている。
1997年、後期の名盤といわれる『NEWS』をリリース。 悪魔云々というスタイルから脱却した、美しいコーラスを用いた心地よいハードロックアルバムである。 なお、今作のブックレットと『PONK!!』のCDレーベル面には同じ人物の写真が使われているが、この人物については1999年12月31日のミサ中に明かされた。
また、本年には所属事務所を吉本興業とし、「THE BLAND NEW BLACKMASS TOUR」というライブハウスでのツアーを行い、周囲を驚かせた。
1998年、解散を翌年に控えた聖飢魔IIはジョー・リノイエ氏をプロデューサーに迎え『MOVE』をリリース。 一般に聖飢魔IIらしいと言えるヘヴィメタルの曲を一切含まない作品である。 また、この時期デーモン閣下は金色の長髪を逆立てずにオレンジ色の比較的短い髪を下ろしていた。 尚、「ふるさと総世紀末計画」による地方CM製作においての選曲は、この『MOVE』に収録されている曲が大半を占めた
[編集] 解散
解散してもその後同じメンバーで別名のバンドとして活動してしていくのではないか等の噂のあった聖飢魔IIだったが、地球デビュー当時からの予定通りに解散する事を1999年4月に改めて発表した。この際、テレビや新聞など多くのマスコミから『本当の世紀末まであと1年残っている』とツッコミを受ける羽目になった。
4月にリメイク曲『蝋人形の館 '99』、5月に新録・新曲を含む本家極悪集大成盤『1999 BLACK LIST』、7月に新録を含む元祖極悪集大成盤『1999 BLOOD LIST』、11月にソロ活動のベスト盤『聖飢魔II 個悪魔活動大選抜』といったコンピレーション作品を多くリリースした。
そして最終大教典『LIVING LEGEND』を10月にリリースし、最後のツアーを行った。 また、最初で最後のディナーショーも行った。
1999年12月29日から31日の3日間、東京ベイNKホール(千葉県 浦安市)にて究極の黒ミサTHE ULTIMATE BLACK MASSが開かれた。 3日間メニューが異なり全部で60曲以上が演奏された。
初日は演出に趣向を凝らしたTHEATRICAL DAYとして日本舞踊家花柳鳴介氏と劇団☆新感線をゲストに迎えた。
二日目はTHE SATAN ALL STARS' DAYとして過去の構成員のうち2名を除く新旧構成員全13名でミサを行った(その2名はビデオメッセージで登場)。
そして最終日はTHE DOOMSDAYとして二幕構成による聖飢魔II史上最も多くの曲を演奏するミサが行われた。 このミサの最後1999年12月31日23時59分59秒、聖飢魔IIは光の中へ姿を消し15年の歴史にピリオドを打った…。
[編集] 期間限定再集結
…かに思えた聖飢魔IIだったが、2005年に地球デビュー20周年を記念して年内限定で再集結した。 ちなみに、再集結の話は結成20周年となる2002年にもあったが流れ、2005年の再集結の発表は6月6日の悪魔の日に行われる予定だったがある事情により6月2日になった。
永続的な活動ではなく、あくまでも期間限定のため「再結成」ではなく「再集結」である。
まず10月に着うたフルで新曲5曲を発表、そして11月にNHK ポップジャムへの出演(オンエアは12月2日、演奏曲は『創世紀』と『SAVE YOUR SOUL ~美しきクリシェに背をむけて~』)した後、「聖飢魔II 地球デビュー20周年記念 THE LIMITED BLACK MASS TOUR D.C.7 恐怖の復活祭」(11月17日から12月26日までの11公演)と「聖飢魔II 地球デビュー20周年記念 THE SPECIAL BLACK MASS オールスタンディング処刑(一部を除く)」(12月10日から17日までの4公演)の2つのツアーを行った(ちなみに一部を除くとなっている理由は、ライブハウス会場によっては二階などに座席があるため)。
ミサ会場の規模は、解散後の構成員の動員人数を合計するなどして決められたが、いざ発売日となると予想を遥かに凌ぐ売れ行きで、結局は全会場即日ソールド・アウトとなり急遽アリーナ規模での大幅な追加公演が予定されたが、日程が差し迫っていたこともあり、ほとんどの会場は空きが無く、やむなく追加公演は12月26日(クリスマスではないところが聖飢魔IIらしい)東京国際フォーラム ホールAのみとなった。案の定5,012枚のチケットは瞬く間に売り切れ、前列の方の席はネットオークションで28万円まで釣り上がった。
なお、復活祭の全日程には最終構成員(および怪人マツザキ様)に加え、ジェイル代官も参加した。さらに12月26日の追加公演にはゾッド親分も参加し、ゲストに水前寺清子が迎えられた。
また、解散後には青から赤に変わっていたデーモン閣下の目元の色が青に戻っていた事は信者を喜ばせた。
翌2006年4月29日25:20-26:00、再集結聖飢魔II最後のミサがNHK総合テレビジョンにて放送された後、既に発売されていたDVD「オールスタンディング処刑 THE LIVE BLACK MASS D.C.7」が、各レコード店において売上ランキングの上位を記録。新たな信者を獲得したようである。
[編集] 代表曲
- 蝋人形の館
- 1986年発布のファーストシングルで、1999年にはリメイク版が発布された。セカンドアルバム「THE END OF THE CENTURY」他に収録。デーモン閣下によるイントロでのMC「悪魔の森の奥深く…」も有名である。
- アダムの林檎
- ミサでは演奏される前に、紅玉という種類の林檎に関する説明がデーモン閣下によりなされる。会場にいる者はたとえその内容を知っていたとしてもあたかも初めて知ったかのような反応をすることが要求される。
- EL・DO・RA・DO(スペイン語としての正しい表記はEL-DORADO、EL.DORADO)
- ミサの最後に演奏されることが多く、1999年の最終ミサにおいても最後に演奏された。4つのバージョン(キーやギターソロなどが違う)が存在する。
- STAINLESS NIGHT
- デーモン閣下曰く、聖飢魔II最初のオシャレ曲。
- 白い奇蹟
- バンド初のバラードシングル。紅白歌合戦で演奏した。というより、もとから紅白歌合戦のために作られた曲らしい。
- WINNER!
- STAINLESS NIGHTに続く、おしゃれ曲第2弾。
- BIG TIME CHANGES
- ミサで演奏される際には、デーモン閣下がメロディをアドリブで歌い、そのメロディをエース長官がギターでなぞるという掛け合いがなされた曲。また、デーモン閣下と信者との掛け合いにも使われた。
- JACK THE RIPPER
- ミサでは演奏前にデーモン閣下が、ランダムに選んだ信者を指差し、「お前を殺す、お前も殺す、・・」と言うのが恒例。
- G.G.G.
- 『ゲゲゲの鬼太郎』の主題歌を聖飢魔IIがHeavyMetalにアレンジしたもの。この曲もデーモン閣下と信者との掛け合いによく使われた。
[編集] 功罪
日本において、1980年代前半までは一部のコアな洋楽ファン(ロックマニア)にしか認知されていなかったヘヴィメタル(HM)という音楽ジャンルが一般に認識され始めたのは彼らの活躍、ことにテレビやラジオといった電波マスコミへの露出によるところが大きい。 日本唯一のヘヴィメタル専門誌「BURRN!」の初代編集長酒井康によるアルバム評でデビュー・アルバムが非常に珍しい「0点」を獲得したことは一部に有名だが、実際にヘヴィメタルを(レコード会社が)コケにしていたかどうかはともかく、非常に高いタレント性と演奏技術力をもってこの音楽を知らしめた功績は否定できない(ただし、前述のようにデビューアルバムが他のミュージシャンによって録音されていたという説も有力で、もしこれが真実とすれば「0点」は非常に正しい評価だったと言えよう)。
一方、当初目指していた音楽性は明らかに様式美HMであったはずだが、そのルックスはキッスを強く意識したものにも見え、彼らの知名度やメディアへの露出度を考えると、日本における一般的認識としてHMとは何であるかが誤解されることになったことも否めない。日本にもVOW WOW、LOUDNESS、アンセム、アースシェイカー等のいわゆる「良質な邦楽の正統派」ヘヴィメタル・バンドとされる者たちが存在していたが、結果的に聖飢魔IIやX JAPANの方が一般大衆からの認識度は勝ってしまう結果となってしまった。X JAPANについても当初のヴィジュアル系ファッションは当時の世界的なヘヴィメタルの流れとは全く異なるもので、こういったことが日本における一般的認識としてHMを誤解させた一因と考えられる。
しかしながら、当時の「邦楽正統派」ヘヴィメタル・バンド」については、音楽性や演奏能力、ライブでの実力は高くとも特にテレビマスコミに対するプロモーション能力や注目の集め方に難があるものが多く、特にテレビマスコミが要求するインパクトのあるタレント性においては、いずれも聖飢魔IIに遅れを取っていたことは否めない。また、他にも酒井康の率いる「BURRN!」の編集スタイルなどの影響もあり、当時の正当派ヘヴィメタルのミュージシャンの多くには、音楽一筋というイメージを最重視し、歌番組以外での、トーク番組やバラエティ番組への出演といったタレント的なテレビパフォーマンスによる宣伝活動を軽視する風潮が根強かったと言われている。さらには、聖飢魔IIの出現以前も以後も、ヘヴィメタル自体が日本の音楽史にあってはニューミュージック、J-POPなどの一番の売れ線からは一貫して外れた位置にあり、視聴率を至上命題とするテレビマスコミにとって、ヘヴィメタルがイロモノ音楽以上の価値を持たなかった事も、ヘヴィメタル音楽への誤解を招いた一因として考える事ができる。
事実、テレビ局にとってのヘヴィメタル観がいかなるものであったかは、後年の元アンセム(当時)の坂本英三の活動によってまざまざと示される事となった。ある意味では聖飢魔IIより遥かに企画的なイロモノ要素が強かったアニメタルとしての活動によって、坂本はアンセム在籍当時でも得た事が無い程の高い注目を集める事となったのである。また、アンセム再結成以降も彼がアニメタルとしてテレビマスコミ経由で得た知名度が、アンセム自身の新規ファンの開拓にも繋がっている面は、従来からのアンセムのファンはやはり心理的に否定したい様ではあるが、それでも完全否定する事は中々に難しい。
このように、彼ら自身の演奏する音楽に対して彼らが十分に敬意を表していない点で、聖飢魔IIを批判する意見は当然のことであろう。しかし、日本人によるヘヴィメタルが順調に発展しなかった原因を全て彼らに押し付けてしまうのは誤りであり、多くのファンをつかんだ「バンド」としての素晴らしさは正当に評価されるべき部分である。
[編集] 「悪魔教布教団体」としての功罪
宗教をパロディとして笑い飛ばしながら、その快感を味わわせ、なおかつ、本来、宗教が持つべき「支え」と「指し示し」を達成したという観点から見れば、聖飢魔II=悪魔教もやはり一つの宗教的な団体であったと言える。
[編集] 構成員
[編集] 最終構成員
- デーモン小暮閣下 ボーカル (リーダー) 1982年12月 - 1999年12月31日
- 悪魔教教祖・元地獄副大魔王 →デーモン小暮閣下、小暮伝衛門、!(exclamation)として活動
- エース清水長官 ギター 1982年12月 - 1983年10月1日、1983年10月28日 - 1983年11月18日、1984年8月18日 - 1999年12月31日
- 元地獄中央情報局長官 →face to aceにて、ACEとして活動
- Sgt. ルーク篁III世参謀 ギター 1987年2月 - 1999年12月31日
- 元地獄軍事局参謀 →CANTAにて、ルーク篁として活動
- ゼノン石川和尚 ベース 1986年6月 - 1999年12月31日
- 元地獄文化局長 →RX(活動停止中)などで、石川俊介として活動(悪魔の頃の記憶がないらしい)
- ライデン湯沢殿下 ドラム 1985年6月 - 1999年12月31日
- 公家。天地共通の凶皇・雷神の息子(故に、本来は神の一族であり、正確には悪魔ではない) →RX、CANTAにて、雷電湯澤として活動
[編集] 途中脱退した構成員
- ダミアン浜田(サタン45世)殿下 ギター (創設者・リーダー) 1982年12月 - 1985年2月
- 地獄の皇太子殿下 →高校教師(数学・軽音楽部顧問)
- 聖飢魔IIを結成した張本魔。数々の初期の名曲を作曲するが、卒業とともに数学教師になり脱退(聖飢魔IIとしての理由は、自らの実父たるサタン44世大魔王陛下危篤のため、地獄へ帰還ということだった)
- 地獄の皇太子殿下 →高校教師(数学・軽音楽部顧問)
- エース清水長官 ドラム 1982年12月 - 1983年10月1日、1983年10月28日 - 1983年11月18日
- 元地獄中央情報局長 →1984年8月、ギタリストとして復帰
- ゾッド星島親分 ベース 1982年12月 - 1986年6月
- 元地獄最高審問官閻魔 →ソニーレコードやZEPP SAPPORO支配人を経て、2005年11月9日にソロ・ミニ教典『メタル・ローズ』をリリース。
- ジェイル大橋代官 ギター 1985年6月 - 1987年1月
- 元地獄最悪刑務所拷問官 →脱退後、Cats In BootsやTHE OUTSIDERSにて、大橋隆志として活動
- ジード飯島大将 ドラム 1983年9月 - 1985年4月
- 地獄の皇太子殿下の衛兵
- 魔女RYO子嬢 キーボード 1983年9月 - 10月
- →聖飢魔II唯一の女性構成員。長い歴史の中、白地に黒の線で書かれた小さなイラストでしかその姿を見ることは出来なかったが、1999年のTHE ULTIMATE BLACK MASS<THE SATAN ALL STARS DAY>において聖飢魔IIデビュー後、初めてその姿を披露。華やかなピンクの髪に細身の姿。激しくも軽やかなプレイで多くの信者を魅了した。渋さ知らズにて、丸山涼子として活動
- ジャギ古川CAP ドラム 1985年3月 - 6月
- ジャントニオババヤシ ギター 1984年4月
- ガンダーラ・サンゲリア・チグリス・ユーフラテス金子 ギター 1985年1月 - 6月
[編集] 準構成員(サポートメンバー)
- レクター・H伯爵 キーボード 1992年7月 - 1994年8月
- →石黒彰として活動
- 怪人松崎様 キーボード(妖怪松崎様、爆裂マツザキ様、キャプテン・キリヤマ、コナン・ザ・マツザキ・グレート、ニンジャdeマツザキ、スポックdeマツザキ様、キャプテン・ピカード、オースティン・マツザキ様・パワーズ) 1988年10月 - 1992年4月、1994年9月 - 1999年12月
- →松崎雄一としてRXに参加ほか、各方面で活躍
[編集] 構成員の変遷
- 第1期 1982年12月 - 1983年9月
- ヴォーカル:デーモン小暮閣下
- ギター:ダミアン浜田殿下
- ベース:ゾッド星島親分
- ドラムス:エース清水長官
- 第2期 1983年9月 - 1985年3月
- ヴォーカル:デーモン小暮閣下
- ギター:ダミアン浜田殿下、エース清水長官 またはジャントニオ・ババヤシ
- ベース:ゾッド星島親分
- ドラムス:ジード飯島大将
- キーボード:魔女RYO子嬢
- 第3期 1985年3月 - 6月
- ヴォーカル:デーモン小暮閣下
- ギター:エース清水長官、ガンダーラ・サンゲリア・チグリス・ユーフラテス金子
- ベース:ゾッド星島親分
- ドラムス:ジャギ古川CAP
- 第4期 1985年6月 - 1986年6月
- ヴォーカル:デーモン小暮閣下
- ギター:エース清水長官、ジェイル大橋代官
- ベース:ゾッド星島親分
- ドラムス:ライデン湯沢殿下
- 第5期 1986年6月 - 1987年2月
- ヴォーカル:デーモン小暮閣下
- ギター:エース清水長官、ジェイル大橋代官
- ベース:ゼノン石川和尚
- ドラムス:ライデン湯沢殿下
- 第6期 1987年2月 - 1999年12月
- ヴォーカル:デーモン小暮閣下
- ギター:エース清水長官、Sgt. ルーク篁III世参謀
- ベース:ゼノン石川和尚
- ドラムス:ライデン湯沢殿下
- キーボード:怪人マツザキ様 またはレクター・H伯爵
- 期間限定再集結 2005年11月 - 12月
- ヴォーカル:デーモン小暮閣下
- ギター:エース清水長官、Sgt. ルーク篁III世参謀、ジェイル大橋代官(「復活祭」のみ参加)
- ベース:ゼノン石川和尚、ゾッド星島親分 (「復活祭」最終日のみ参加)
- ドラムス:ライデン湯沢殿下
- キーボード:怪人マツザキ様
[編集] 教典
[編集] 聖飢魔IIとしてのレギュラー出演番組
- テレビ番組
- ラジオ番組
- 聖飢魔IIの電波帝国(文化放送他)
[編集] 悪魔用語
[編集] 関連項目
- 筋肉少女帯 - デーモン閣下がボーカルの大槻ケンヂとともにラジオ番組「デーモン・オーケンのラジオ巌流島」のパーソナリティを担当。
- 爆風スランプ - 同じ早稲田大学出身のロックグループ。母体バンドスーパースランプにデーモン閣下が在籍した。
- ブラバムF1 - 1992年、ドライバーにデイモン・ヒル(日本語表記は「デーモン」であることが多かった)が起用されていたことが縁でスポンサーに。
- 水前寺清子 - ミサでは「EL.DORADO」の前フリで「365歩のマーチ」の出だしを歌うことが恒例となっていたが、期間限定再集結の最終公演では、水前寺清子本人が登場し、ワイドショーなどでも話題となった。
- 非公認! 聖飢魔IIカヴァーアルバム VOICE - 地球デビュー20周年を記念してリリースされたカヴァー・アルバム。
[編集] 外部リンク
カテゴリ: 聖飢魔II | 日本のバンド | ヘヴィメタル・バンド