義経千本桜
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義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)は、義太夫節またそれに合せて演じられる人形浄瑠璃・歌舞伎の演目。江戸時代の作品。源平合戦後の源義経の都落ちをきっかけに、平家の武将の復讐とそれに巻き込まれた者たちの喜悲こもごもを描く。角書に「大物船矢倉/吉野花矢倉」。四の切(四ノ切)は一般に本作の四段目の切場、河連法眼館の段を指す。また、本作中の道行初音旅は、吉野山の通称で知られる。
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[編集] 前史
[編集] 題材となった事柄
これらをもとに、作者の創造によるドラマが加えられ、複雑な筋をもつ作品が誕生した。また、二段目の一部は能の船弁慶を下敷きとしている。
[編集] 先行作品
[編集] 概略
主人公は義経だが、彼はいわば多数の登場人物を繋ぐ扇の要のような存在で、物語の主体となるのは源平合戦で滅びたはずの敵平知盛・平維盛・平教経、吉野の庶民一家そして義経家臣佐藤忠信の偽者である。この為あらすじも、平知盛・吉野の一家・偽忠信それぞれを主役とした三つの筋が交互に上演される形態となっている。
もともと悲劇の英雄として人気の高かった義経伝説に、優れた作劇(後述)がされた本作は大当たりとなり、後世『菅原伝授手習鑑』『仮名手本忠臣蔵』と共に義太夫狂言の三大名作のうちの二作目と評されるようになった。
[編集] 作者・初演
初演は「古今の大当たり」と評され(『浄瑠璃譜』)、以来人形浄瑠璃・歌舞伎とも人気演目として現在でも盛んに上演される。商業演劇のみならず、鳥居前の段等は地芝居(地域住民による素人芝居)でも良く演じられる。
[編集] 登場人物
- 源義経
- 九郎判官。源平合戦で活躍するも、その後源氏の総大将である兄頼朝に追われる事となる。義経伝説を背景に、武勇に優れ一軍の将に相応しく情理をわきまえた人物として描かれる。
- 武蔵坊弁慶
- 豪腕無双の荒法師。義経一の家来。
- 静御前
- 義経の愛妾で白拍子。義経に、千年の劫を経た雄狐・雌狐の皮を張った初音の鼓を託される。
- 源九郎狐(げんくろうぎつね)
- 初音の鼓に使われた狐達の子。
- 佐藤忠信(さとうただのぶ)
- 奥州藤原氏より託された、義経の家来。兄の佐藤継信(つぐのぶ)は屋島の合戦で討死。
- 駿河次郎/亀井六郎/片岡八郎/伊勢三郎
- 義経の主だった家来。義経四天王と呼ばれる。
- 渡海屋銀平実は平知盛(たいらのとももり)
- 大物浦で船宿を営む銀平は、実は壇ノ浦で入水して果てたと思われた新中納言知盛であった。客として訪れた義経一行を狙う。
- お柳実は典侍の局
- 銀平の妻。実は安徳天皇の乳母、典侍の局。
- お安実は安徳帝
- 銀平の一人娘。実は壇ノ浦で入水とされていた安徳天皇。祖父である故平清盛によって、姫宮でありながら皇位につけられた。
- 若葉の内侍
- 平維盛の妻。幼い息子六代君と共に、北嵯峨に潜伏している。
- 六代君
- 平維盛の息子で、平氏棟梁直系の六代目。
- 主馬小金吾武里(しゅめのこきんごたけさと)
- 通称小金吾。平維盛の家臣。若葉の内侍と六代君を護る。
- いがみの権太
- 村のはぐれ者、ゆすりたかりで金儲け。妻子がある。弥左衛門(後述)の息子だが勘当されている。
- 弥左衛門/お米
- 吉野ですし屋、釣瓶鮓(つるべずし)を営む。過去には船乗りで、故平重盛に恩がある。/その妻。
- お里
- 弥左衛門の娘。権太の妹。気立てがよい釣瓶鮓の看板娘で優男の手代弥助に憧れ、祝言を夢見る。
- 弥助実は平維盛(たいらのこれもり)
- 釣瓶鮓の手代だが、実は平重盛の長子三位中将維盛。弥左衛門にかくまわれている。
- 河連法眼(かわつらほうげん)
- 吉野山の検校。屋敷に義経一行をかくまう。
- 横川の覚範実は平教経(たいらののりつね)
- 吉野山の宗徒だが、実は能登守教経。義経への報復を企む。
[編集] 上演形態
人形浄瑠璃では義太夫節本文通りの段組みで演じられるが、歌舞伎では場面の名称が本文の段名とは異なることがあり(例1)、全編を通して上演される機会は少なく見ごたえのある場面が独立して上演される事が多い。また本来交互に演じられる三つの筋のうちの一つの筋に該当する部分を抜き出して上演することもある(例2)。
例1
- 伏見稲荷の段 → 鳥居前
- 椎の木の段 → 木の実
- 道行初音旅 → 吉野山 本文では四段目の冒頭だが、歌舞伎の通し上演では大物浦の場の後に上演される事が多い。
例2
- 偽忠信に関する筋で構成される場合。
- 鳥居前・道行・河連法眼館を続けて上演。
- いがみの権太に関する筋で構成される場合。
- 木の実・小金吾討死・すし屋を続けて上演。
[編集] 作品構成・あらすじ
- 初段
- 二段目
- 伏見稲荷の段 義経一行は伏見稲荷までやってくる。静もようやく追いつくが義経は初音の鼓を与え、静を置去りにする。そこに捜索に来た逸見藤太が静を襲うが、佐藤忠信が現れ藤太を討取り、静に同道することになる。
- 渡海屋の段 九州を目指す義経一行は、摂津国大物浦で船出を待っていた。主人の銀平は義経探索の者を追い払う胆力を見せるが、それは計略で実は安徳帝を掲げ平氏の再興を狙う平知盛であった。
- 大物浦の段 知盛は幽霊に化け海上の嵐に乗じて義経を葬る作戦であったが、義経に露見しておりまたも敗れる。安徳帝を義経に預けた平家方は、典侍の局を初めとする女官達、そして最後に知盛が入水して果てる。
- 三段目
- 椎の木の段 夫、平惟盛が高野山に向かったと聞いた若葉の内侍・六代君・小金吾の一行は、大和を経由して後を追う。途中大和国吉野下市村の茶店で休憩するが、思わぬことに地元の無法者いがみの権太に路銀を騙り取られてしまう。
- 小金吾討死の段 藤原朝方の追っ手に立ち向かった小金吾はついに息絶える。村の寄合いからの帰り、すし屋の弥左衛門は偶然小金吾の遺骸を見付ける。
- すしやの段 釣瓶鮓には、主人の弥左衛門・女房のお米、娘のお里、美男の手代弥助が暮らしている。そこに一夜の宿を借りに来た、若葉の内侍と六代君。弥助との思わぬ出会いに、彼の正体が三位中将維盛と知れる。寄合いで平家探索の手が下市村まで伸びてきていることを知って戻ってきた弥左衛門。そんな中、勘当されている息子の権太が父親の目を盗んで訪れ、母に無心をして出行く。いよいよ詮議役の梶原景時がやってきて、弥左衛門はは維盛一家を別の場所に移すが、そこに権太が一家を捕らえたと言ってやってくる。絶望する弥左衛門。しかしそれは、権太命がけの親孝行だった。一家は救われ、維盛は出家し高野山へと向かうが、弥左衛門家の権太は絶命しお里は婚約者を失った。
- 四段目
- 道行初音旅(みちゆきはつねのたび) 景事(所作事)。吉野へ向かう、静と佐藤忠信の旅路を描く。
- 河連法眼館の段 吉野山、河連法眼館に身を寄せる義経。そこに佐藤忠信がやってくるが、自分は故郷から戻ったばかりで、静の事は知らないという。義経はいぶかしむが、静が初音の鼓を叩くとまた忠信が現れた。静の問い掛けに、自分は鼓にされた狐の狐の子だという。親を思う狐の心に感じ入った義経は鼓を与える。僧兵のいでたちの平教経が復讐に現れるが場を改めての決戦を約する。
- 五段目
- 藤原朝方は平教経に、その教経は佐藤忠信に討たれ、事件は終結する。
[編集] みどころ・解説
単純に源平合戦を叙事劇として上演するのではなく、後日譚としたことで作劇の幅が大きく広がった。ある場面では合戦の再現を、ある場面では抽象劇の写実劇化(能の歌舞伎化)を、ある場面ではまったくの創作、と多彩な形態の場面群を提供する事に成功した。
[編集] 初段
[編集] 二段目
[編集] 渡海屋の段
- 銀平の出で着ている長い上着は、厚司(あつし)という蝦夷地産の衣服をかたどったもの。
[編集] 大物浦の段
能の船弁慶を下敷きにしているが、能の平知盛は幽霊であるのに対し、本作では幽霊に偽装した知盛本人が登場し壇ノ浦の合戦を再現している。義経に再度敗れた後、平知盛が戦乱を「潮(うしお)にて水に渇(かっ)せしは、これ餓鬼道。・・・」と六道に例えて述べるくだりは、仏教思想の影響の強い平家物語色を感じられる場面である。
[編集] 三段目
[編集] 四段目
[編集] 河連法眼館の段
動物の肉親への情愛を描くことで、肉親同士が争う人間の非道さが浮き彫りになるという構成が優れている。頻繁に上演されるため歌舞伎の世界では、「四の切」といえばこの場面を指す。主役が狐ということもあり、武士から狐への早変り・欄干渡り・トリックを用いた舞台上への出現など、ケレンと呼ばれる観客を驚かせる派手な演出が多用される。歌舞伎は明治時代から昭和にかけて高尚化を目指し、ケレンを廃する演出が志向されたが、この場面はそういった時代にもケレンの代表演目として演じ続けられててきた。
[編集] 五段目
[編集] 関連作品
[編集] こぼれ話
- 釣瓶鮓は、なれ寿司製造販売の店であって桶売りをもっぱらとし、弥助が寿司を握ったり客が店で飲食いするようなことは無い。
- 題名の千本桜は、吉野山の花盛りを称える表現、「一目千本」を思わせる。
[編集] 参考文献・関連項目
義太夫節の本文については、下記のサイトに掲載の床本を参照した。