箱根登山鉄道小田原市内線
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小田原市内線(おだわらしないせん)は、箱根登山鉄道が1956年まで小田原市において運行していた軌道線(路面電車)である。
元々、東海道本線が御殿場駅(現在の御殿場線)経由であった時代に、国府津駅から小田原市・湯本町(現、箱根町)への連絡を図る馬車鉄道として開業したのが始まりで、その後1900年に電化されたが、熱海線(丹那トンネルの開業後、東海道本線と改称)や鉄道線の開業によって次第に路線を縮小し、1950年の小田急電車箱根湯本駅乗り入れに伴う鉄道線小田原駅~箱根湯本駅間の600Vから1500Vへの昇圧によって市内線用の変電設備が別に必要になったこと、小田原市による道路拡張計画の阻害になることから、1956年をもって全廃された。
廃線後、一部の車両は長崎電気軌道へ転属している。
なお、この地域の鉄道沿革については「踊り子」の記事も参照のこと。
目次 |
[編集] 路線データ
1935年9月当時
1956年5月当時
- 路線距離(営業キロ):2.4km
- 軌間:1435mm
- 停留所数:11
- 複線区間:なし(全線単線)
- 電化区間:全線(直流600V)
[編集] 運行概要
1915年2月改正時
- 所要時間:国府津~小田原間30~32分、小田原~湯本間28分
- 運行間隔:20~40分
1934年12月改正時
- 所要時間:小田原~箱根湯本間27分
- 運行間隔:20~30分
1940年9月改正時
- 所要時間:小田原~板橋間21分
- 運行間隔:10~30分
[編集] 歴史
- 1888年10月1日 国府津~小田原~湯本(後、箱根湯本)間を小田原馬車鉄道によって開業。
- 1896年10月31日 小田原電気鉄道に改称。
- 1900年3月21日 全線を電化。日本で4番目、県内2番目の電気鉄道となる。
- 1919年6月1日 鉄道線箱根湯本駅~強羅駅間開業。小田原市内線と連絡。
- 1920年12月6日 この年10月21日の熱海線(現、東海道本線)国府津駅~小田原駅間開業に伴い、重複区間の国府津~小田原間廃止。小田原駅前に乗り入れられるよう軌道変更。
- 1923年9月1日 関東大震災によって被災し不通となる。
- 1923年12月28日 震災復旧。それまでの1372mmから1435mmへ軌間を改める。
- 1928年1月1日 日本電力に買収され、同社の小田原営業所管轄路線となる。
- 1928年8月16日 日本電力から分離し、箱根登山鉄道発足。同社の路線となる。
- 1935年10月1日 鉄道線の箱根湯本駅~小田原駅間開業に伴い、早川口~箱根湯本間は用地をそれに転用して廃止。残存区間を小田原町内線として、早川口~箱根板橋間を延伸し鉄道線箱根板橋駅に乗り入れ。
- 1940年12月20日 小田原の市制施行に伴い、町内線から市内線に改称。
- 1956年6月1日 全線廃止。
[編集] 停留所一覧
1900年3月当時
- 国府津 - 国府津館前 - 江陽銀行 - 親木橋 - 小八幡 - 酒匂松原(さかわまつばら) - 松濤園 - 連歌橋 - 網一色 - 山王原 - 山王松原 - 伊勢酒屋前駅 - 藤棚前 - 青物町四ツ角 - 郡役所前 - 市役所前 - 本社前 - 小伊勢屋前 - 御幸浜 - 箱根口 - 筋違橋(すじかいばし) - 諸白小路(もろはくこうじ) - 天神下 - 軽便鉄道前 - 板橋 - 板橋観音前 - 風祭 - 山崎交換所 - 三枚橋 - 湯本
1935年9月当時
- 小田原 - 緑町 - 郵便局前 - 市役所前 - 幸町(さいわいちょう) - 小伊勢屋前 - 御幸浜 - 箱根口 - 筋違橋 - 諸白小路 - 天神下 - 早川口 - 板橋 - 板橋観音前 - 風祭 - 入生田(いりゅうだ) - 三枚橋 - 箱根湯本
1956年5月当時
- 小田原 - 緑町 - 郵便局前 - 市役所前 - 幸町 - 御幸浜 - 箱根口 - 諸白小路 - 早川口 - 板橋見付 - 箱根板橋
[編集] 接続路線
- 国府津:(1888年~1920年)東海道本線(後、御殿場線となる区間含む)
- 小田原:(1909年~1956年)熱海線→東海道本線(1909年~)・小田急小田原線(1928年~)・箱根登山鉄道鉄道線(1935年~)・大雄山鉄道線(1935年~)
- 軽便鉄道前→早川口:(1895年~1922年)豆相人車鉄道→熱海鉄道→大日本軌道小田原支社→熱海軌道組合
- 箱根板橋:(1935年~1956年)箱根登山鉄道鉄道線
- 箱根湯本:(1919年~1935年)箱根登山鉄道鉄道線
[編集] その他
1900年5月10日に第1集東海道篇が発表された『鉄道唱歌』(大和田建樹作詞、多梅雅作曲)では、12番に国府津が東海道本線と小田原電気鉄道との乗り換え場所であったことから、「国府津おるれば電車あり 酒匂小田原とおからず…」と歌われているが、初版では歌い始めが「国府津おるれば馬車ありて」となっていた。これは、発表がちょうど小田原電気鉄道が馬車鉄道から電気鉄道に動力を改めた直後であったため、第2版以降で急遽書き直されたからである。
[編集] 外部リンク
- MemoLine 路線ファイル ライブラリ - 小田原電気鉄道(大正元年)、箱根登山鉄道町内線(昭和3年)のファイルがある。この中にもっと詳しい説明がある。