日本電力
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日本電力株式会社(にほんでんりょく)は、太平洋戦争前に存在した日本の電力会社。日本発送電が設立されるまでの五大電力会社(東京電燈、東邦電力、大同電力、宇治川電気、日本電力)の一つだった。略称は「日電」(にちでん)。本社は大阪府大阪市北区。
1919年12月15日設立。黒部川水系に水力発電所を設置し、主に京阪神方面へ電力を供給していた。特に京阪神圏では、松永安左エ門率いる東邦電力と激しいシェア争いを演じた。
国の電力国家管理政策によって、1939年から1942年にかけて全施設を日本発送電と関西配電など9配電会社に現物出資させられ、電力会社としての命脈を絶たれた。会社自体は社名を「日電興業」に改め、持株会社となったが、傘下に残った事業は大阪ビルヂング(現・ダイビル)など一部を除いて振るわず、戦後の財閥解体政策によって1947年に解散した。
黒部峡谷鉄道は黒部川流域の発電所建設のために日電が建設したもの。同じく、黒部川沿いに開削した道路が(旧)日電歩道である。
また小田原電気鉄道を合併して関東進出の足がかりとした。小田原電気鉄道は、合併10ヵ月後に箱根登山鉄道へ再分離されている。
なお、同じ「日電」を略称としたことのある日本電気(NEC)とは関係がない。