筑後国
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筑後国(ちくごのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった国の一つである。西海道に含まれ、その領域は現在の福岡県の南部にあたる。延喜式での格は上国、遠国。
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[編集] 沿革
筑紫国(つくしのくに)の分割によって、筑前国とともに7世紀末までに成立した。
戦国時代は、筑後の守護は大友氏であり、その勢力下にあったが、実際に筑後を支配し統括したのは筑後十五城と呼ばれた大名分の領主たちであり、筑後南部(下筑後地域)は柳川城主で筑後十五城を統括した蒲池氏の領地で、筑後北部(上筑後地域)その他は筑後十五城の田尻氏、黒木氏、星野氏、草野氏、問註所氏その他の大身が割拠。
江戸時代は、筑後南部(下筑後地域)の柳川市は立花氏の柳河藩、大牟田市は柳河藩と親類関係にある三池藩であり、筑後北部(上筑後地域)は有馬氏(摂津有馬氏)の久留米藩。
[編集] 国府・一宮など
国府は御井郡(三井郡)にあった。その政庁は、現在の久留米市内を転々とした。第三期の国府は久留米市朝妻町に営まれ、当時は全国でも最大級の威容を持っていた。
延喜式神名帳には大社2座2社・小社2座2社の計4座4社が記載されている。大社は三井郡の高良玉垂命神社(現 高良大社、久留米市)と同郡・豊比咩神社(久留米市内に論社4社)で、どちらも名神大社である。一宮は高良大社で、二宮以下は存在しない。総社は味水御井神社であるが、この神社は古くから高良大社の摂社であり、実質的には一宮の高良大社が総社の機能も持っていたものと見られる。
[編集] 守護
[編集] 鎌倉幕府
- 1206年~1213年 - 大友能直
- 1241年~1272年 - 名越時章
- 1272年~1277年 - 大友頼泰
- 1277年~1281年 - 北条宗政
- 1286年~1288年 - 少弐盛経
- 1295年~? - 宇都宮通房
- 1305年~1315年 - 宇都宮頼房
- ?~1333年 - 北条氏
[編集] 室町幕府
- 1333年~1349年 - 宇都宮冬綱
- 1349年 - 詫磨宗直
- 1363年~1364年 - 大友氏時
- 1364年 - 大友氏継
- 1375年 - 島津氏久
- 1375年~1391年 - 今川貞世
- 1391年~? - 大友親世
- 1401年~1426年 - 大友親著
- ?~1446年 - 菊池持朝
- 1446年~1466年 - 菊池為邦
- 1466年~1469年 - 菊池重朝
- 1469年~1482年 - 大友親繁
- 1482年~1484年 - 大友政親
- 1484年 - 大友親豊
- 1499年 - 大友親治
- 1501年~1516年 - 大友義親
[編集] 筑後十五城
- 蒲池氏 (下蒲池・柳川城540町) 山門郡・三潴郡・下妻郡 12000町(12万石)。蒲池鑑盛、蒲池鎮漣。
- 蒲池氏 (上蒲池・山下城540町) 上妻郡 8600町(8万6千石)。蒲池鑑広、蒲池鎮運。
- 問註所氏 (長岩城500町) 生葉郡 1000町(1万石)。問註所鑑景、問註所統景。
- 星野氏 (生葉城500町) 生葉郡・竹野郡 1000町(1万石)。星野吉実。
- 黒木氏 (猫尾城646町) 上妻郡 2000町(2万石)。黒木家永。
- 河崎氏 (犬尾城250町) 上妻郡 1000町(1万石)。河崎鑑実、河崎鎮堯。
- 草野氏 (発心城677町) 山本郡 900町(9千石)。草野鎮永。
- 丹波氏 (高良山580町) 高良山 2000町(2万石)。丹波良寛。
- 三原氏 (本郷城100町) 御原郡 700町(7千石)。 三原紹心。
- 西牟田氏 (城島城250町) 三潴郡 1000町(1万石)。西牟田家周。
- 田尻氏 (鷹尾城328町) 山門郡 1600町(1万6千石)。田尻鑑種。
- 五条氏 (高屋城500町) 上妻郡 1400町(1万4千石)。五条鑑量、五条鎮定。
- 溝口氏 (溝口城500町) 下妻郡 1000町(1万石)。溝口遠江。
- 三池氏 (今山城250町) 三池郡 800町(8千石)。三池鎮実。