菊池持朝
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菊池 持朝(きくち もちとも 1409年(応永16年) - 1446年(文安3年))は、菊池氏の第19代当主。第18代当主・菊池兼朝の子。官位は従四位下肥後守。
子に菊池為邦・菊池為安・詫摩為房・宇土為光。
1431年、父との対立により、父・兼朝を追放し家督を継ぐ。
持直は時勢を見ることのできない兼朝と異なり、動乱の九州地方で幕府方の立場を示し、大内氏と結んで少弐氏と対立した。持朝は父・兼朝の後ろ盾を得て、反抗をしていた実弟の菊池忠親を自殺に追い込み、一族の統制を強めて、惣領の権威強化に邁進した。
肥後国の有力国人である宇土城主宇土忠豊の後嗣として、子の為光を送り込み、勢力の拡大に腐心。持朝の治世に菊池氏としては初めて筑後守護職に任ぜられる。
しかし1446年に38歳の若さで病死する。