第3次吉田内閣第2次改造内閣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
第3次吉田内閣第2次改造内閣(だい3じよしだないかく だい2じかいぞうないかく)は、1951年7月4日に第49代内閣総理大臣吉田茂によって改造された内閣である。
サンフランシスコ講和条約締結に向けて、吉田茂首相は広く日本国民の支持を得て講和条約締結に臨むべく、民主自由党に加え、各党の支持を獲得したいところであった。そのため、民自党は民主党との保守提携に動いた。しかし、この時期、民主党保守提携派は林屋亀次郎などの閣外協力を志向する一派と、西田隆男らの閣内協力にまで踏み込む一派とがあり、これに民自党の増田甲子七幹事長と広川弘禅総務会長(この二人は、吉田後継をめぐるライバルでもあった)とが、それぞれに接触、工作を繰り広げ、1950年6月下旬から7月上旬にかけて、保守提携の交渉は暗礁に乗り上げる形となった。結局、7月3日に吉田内閣は単独で内閣改造を行い、閣僚の大部分が留任、前の党三役であった佐藤栄作、益谷秀次、根本龍太郎らが、入閣した。
[編集] 閣僚
- 内閣総理大臣 - 吉田茂
- 法務総裁 - 大橋武夫
- 外務大臣 - 吉田茂(兼務)
- 大蔵大臣 - 池田勇人
- 文部大臣 - 天野貞祐
- 厚生大臣 - 橋本龍伍
- 農林大臣 - 根本龍太郎
- 通商産業大臣 - 高橋龍太郎(参議院議員、緑風会)
- 運輸大臣 - 山崎猛
- 郵政大臣 - 佐藤栄作
- 電気通信大臣 - 佐藤栄作(兼務)
- 労働大臣 - 保利茂
- 建設大臣、北海道開発庁長官、首都建設委員会委員長 - 野田卯一
- 経済安定本部総務長官、中央経済調査庁長官、物価庁長官、賠償庁長官 - 周東英雄
- 行政管理庁長官 - 橋本龍伍
- 地方自治庁長官 - 岡野清豪
[編集] 政務次官
stub
[編集] 外部リンク
日本国歴代内閣 | ||
第3次吉田内閣第1次改造内閣 | 第3次吉田内閣第2次改造内閣 1951年7月4日 - 1951年12月26日 |
第3次吉田内閣第3次改造内閣 |
カテゴリ: 日本の歴史関連のスタブ項目 | 日本の歴代内閣 | 1951年