笑福亭鶴光のオールナイトニッポン
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笑福亭鶴光のオールナイトニッポン(しょうふくていつるこ - )はニッポン放送の人気深夜放送オールナイトニッポンの1つで、ラジオ番組。パーソナリティは笑福亭鶴光。1974年4月~1985年10月5日に放送された。別名:サンスペ・略称:鶴光のANN。
サンスペと呼ばれたのは放送時間帯が現在のように「土曜25時~29時」ではなく、「日曜1時~5時」と表記され、番組自体が「サンデー・スペシャル (Sunday Special) 」と位置づけられていたものの略称。
今まで11年9か月と一番の長寿番組であったが、その記録もナインティナインがパーソナリティをつとめ、現在も放送されている「ナインティナインのオールナイトニッポン」(木曜25:00-27:00)に更新(2006年3月2日放送分をもって)されてしまった。
[編集] 放送時間
- 1974.04 - 1974.06 水曜1・2部 25:00 - 29:00
- 1974.07 - 1985.10.5 土曜1・2部 25:00 - 29:00(一部地域は27:00終了)
[編集] 主なコーナー
[編集] 投稿コーナー
ごく普通のおたよりコーナーもある。
[編集] アホの子大集合
(1時のオープニングは必ず)母と子の会話シリーズ「お母ちゃん何で僕には弟か妹がいないの?」「それはお前が早く寝ないからよ」みたいな小話。 その後に内容が変わり、『~なる(する・思うなどの動詞)のは、僕(私)だけでしょうか?こんな僕(私)でも~はしません(以前の放送で鶴光やアシスタントが犯した失敗などをやり玉にあげる)』といった内容の投稿だった。それらを鶴光が『こいつら皆、アホだっせ…』とはき捨てる。その後ビタースイートサンバのテーマが始まり「○○の××が△な時、新しい時代のAが始まる。Aの代わりにBをBの代わりにCを。新しい時代のDをリードする鶴光のオールナイトニッポン」という(○やアルファベットの部分に毎週その時の時節柄のワードを入れ)鶴光の名調子が始まる。 ないない尽くし(「○のようで○でない。×のようで×でない。それは何かと尋ねたら、あー■」みたいなもの)
[編集] 芸能人株式市況
放送末期に「アホの子大集合」に代わりオープニングコーナーとなる。芸能人の最近のニュースを報じ、それぞれ価値の上下をつける。いわば芸能証券のようなもの。
[編集] 当てる気のないハ・ガ・キ
オープニング直後の曲を予想する葉書の当選者発表後に実施される。こちらは当時流行していた曲のタイトルのパロディを紹介し、特に面白いネタには笑い袋が鳴らされる。
[編集] この歌は、『こんな風』に聞こえる。
1982年頃からスタート。「一部が実際の歌詞とは違って聞こえる」歌を紹介する。大抵は放送禁止用語を含むような卑猥な言葉に聞こえる、というものであった(最も多かったのは「オーマイガッ」が女性器を表す四文字言葉に聞こえるケース。もちろん実際にはそのような歌詞ではないので自主規制の対象外であり、放送には全く問題ない)。「タモリ倶楽部」の「空耳アワー」はこのコーナーをヒントに同じコンセプトで作られている。毎週5~10通分の作品を紹介して、優秀作品には3,000~5,000円がもらえた。コーナータイトル曲はチャック・ベリーの「Too Much Monkey Business」(後に他の人のカバー・ヴァージョンも同コーナーで紹介された)。
[編集] 何となく笑えるコーナー
『男と女』のテーマ曲に乗せて、何となくおかしい一発ギャグを披露する。
[編集] あっと驚くさぶイボ話
ストーリーの途中までは怪談のようだが、オチに意外な展開を迎える話を語る。
[編集] 「なに」「それ」文
小説など一般的に文学として通用するもの、映画のセリフや日常生活にある説明文などの動詞と名詞を『あれ』『なに』『それ』などに置き換えると文章自体がエロティックなものに変わるというもの。
[編集] 田舎もんのコーナー
投稿者の田舎っぷりを自慢し合う。このコーナーで使用される「田舎もん!」の合いの手は、ゲストコーナーの最後にゲストの出身地を質問したとき、一部地域以外を答えるとやはりコールされる。
[編集] スターにインタビュー
「ある出来事に関して三人の芸能人にインタビューをした結果、それぞれからこういう返答が来た」という状況を創作する。三人目が必ずオチとして使われるいわゆる「三段オチ」になっており、三人目には鶴光やアシスタントがあてがわれる事が多かった。
[編集] 似たもの同士
共通点のなさそうな二つの物(人や現象等も含む)の共通点を考える。言うなれば「なぞかけ」の変型。ゲストやアシスタントへのクイズ形式で読まれる事も多かった。
[編集] 驚き桃の木ビックリ話
「悪の十字架」「恐怖のみそ汁」「血を咬んで吸う話」などの、怪談話に見立てたダジャレのコーナー。’メルヘン話’というおとぎ話、’ピンク話’という下ネタの話もあった
[編集] 一丁目の夕陽
歌謡曲や童謡の替え歌。
[編集] 初体験
バージン喪失の様子を綴ったハガキの紹介。
[編集] 本音とタテマエ
[編集] その時君は?
毎週出題されるテーマがある。「例:○○が△△を叱った。<この”叱った”の部分が動詞に変わる>その時それを見た□□は?という反応を歌の節で答える」というコーナー。 投稿者は、該当する言葉を含む楽曲のタイトルと歌手を書いて送り、該当歌詞の部分だけを抜き出して放送。初期サンスペ1時台の人気コーナーだった。「鶴光の噂のゴールデンアワー」でも一時期類似したコーナーが存在した。時間帯から投稿者は主婦が多かった。
[編集] おもろない節
出演者や関係者が悲惨な目に遭う事を歌う。
[編集] なーるほど、わーかるか
前文を紹介後「なーるほど」、オチとなる後文を紹介後「わーかるか」と鶴光の合いの手が入る。
[編集] あいうえお作文
詳細は当該記事を参照のこと。
[編集] 夜明けだョ!全員集合
『8時だョ!全員集合』のエンディングのパロディで、『いい湯だな』のテーマ曲に合わせて「○○しろよ!」と合いの手を入れる。
[編集] その他
[編集] 金玉二個助探偵シリーズ
鶴光とゲストのアイドル歌手、アシスタントによるラジオドラマ。鶴光が演じる探偵「金玉二個助」(あくまでも姓がキンタマニ・名がコスケである)が、アイドルの周辺で起こった難事件を解決する。内容はギャグに終始する物からシリアスに展開する物まで様々で、時にはニッポン放送のアナウンサーや番組担当ディレクターまで役者として出演する事も。コーナー終了後、ドラマの内容に関するクイズが出題され(解答はハガキで募集)、正解者の中から抽選でノベルティグッズがプレゼントされた(翌週発表)。
[編集] 鶴光のミッドナイトストーリー
鶴光の朗読によるミニラジオドラマ。途中までの流れは明らかに性行為を連想させるものの、「実は性行為とは全く関係のない行動をしていた」というオチが付くのがお決まりのパターン。午前2時の時報と同時に始まったコーナーで初期のサンスペにおける人気コーナーの代表格。鶴光ひとりのときもあったが、女性ゲストとともに朗読することが多かった。島倉千代子、五月みどりといった大物女性ゲストが出演したこともある。2006年10月16日~10月20日の1週間、「鶴光とひでおの歌の日本シリーズ」で復活した。
[編集] イントロ当てクイズ
いわゆる「イントロクイズ」。聴取者に電話をかけ、ヒット曲のイントロを聞かせて曲名を当てる事が出来たら、賞金かノベルティグッズがもらえた(何をもらうかは出題前に解答者自身が選択。賞金よりグッズの方がイントロの流れる時間が長い)。出題前に、男性解答者であればアシスタントと、女性解答者であれば鶴光と性行為を連想させるやりとりをするのが「お約束」となっていた。また出題のゴーサインとして男性には「でるー」、女性には「イクー」と言わせていた。このコーナーは27時以降の(第2部)に「走れヘッドライト」と銘打って行われていた(この名称は裏番組のTBS「歌うヘッドライト」と文化放送「走れ歌謡曲」からの造語であろう)。
[編集] 抜き打ち鶴光 気まぐれクイズ
[編集] 学光のドッキリマイク只今参上
3時近くに始まる弟子の笑福亭学光が街で通行人に毎週ある一定の言葉を投げかけその反応をレポートしてくるコーナー。おばあちゃんに「私妊娠してるんです」というと「妊娠しているんやったら仁丹あげようか」のは当時流行った。その他に「内緒ですが実は私犬なんです」というと「犬であろうと猫であろうと私はあんたに用はない」と言われたり「ものの言い方ひとつで命ほかすこともあるねんで」などたくさんギャグも生まれた。その他通行人に『乳吸わしてくれ」とか『ゴリラ」などと言いパトカーに追いかけられたり相手がやくだったりして、淀川に浮かぶのも近いといわれていたが、浮かぶことはなかった。その当時の中高生は翌日「昨日、ドッキリマイク聞いた?」から始まった。
[編集] あの子はだあれ
1980年を中心に2時台にあったコーナー。毎週女性アイドル(たまに男性)が1人ゲスト登場し、鶴光の出題する10問のアナグラムのクイズに答える。(「例:せこいつまだ→まつだせいこ、の様に文字の並べ替えて人名にする)このコーナーの問題が本にもなった。(「あの子はだあれ」KKベストセラーズ社のワニの豆本より。また、このワニの豆本からよく鶴光のANNの本「新かやくごはん」も何巻か出版されていた。
[編集] その他雑記
- 土曜日に移動・降格して以降、当時デビュー間もない女性歌手やタレントをアシスタントに起用した。芦川よしみや榊みちこなど、1人がある期間継続してアシスタントを務めていたが、途中から3人組に移行。その最初が日高のり子、坂上とし恵、浜田朱里で、「がけっぷちトリオ」と命名された。彼女たちが卒業した翌週からは新たに柳沢純子、小森みちこ、松本明子がアシスタントとなった。当初は「やけっぱちトリオ」と命名されるも途中から「トリオ・ザ・ゴミ」に改名されてしまった。
- 「がけっぷちトリオ」と「やけっぱちトリオ」、そしてそのトリオの構成について、かなり誤解されるケースが多いようだが、正確には上記の通り。
- 担当ディレクターが遊ばれることが多かったのも、この番組の特徴であり、「田舎モン」「ボボたん」「紫電改糸川」など、個性豊かな“ニックネーム”をつけられることも多かった。
- CM前後の番組ジングルでは色んな歌手(田原俊彦、松田聖子、河合奈保子、柏原よしえ{後に芳恵}、三原順子といった80年デビュー組が軒並みジングルに登場していた。特に松田聖子の(電話口で)「わんばんこ鶴光でおま」「松田聖子でおま」「何着てんのや」「ピンクのネグリジェよ」「乳頭の色は」「ピンク」「イッイッイクーーッ」というのは流行った。
- 70年代後半~80年代初めは2部(27:00~)のアシスタントでは芦川よしみ(現在は女優)が登場しイントロ当てクイズをリスナーと電話口でやっていた。芦川のあだ名は「お100個姉ちゃん」(100を2乗した数字が放送で言えない代わりに・・・の意)
- 山梨放送では、一時期のみの放送だった(1981年頃に一旦打ち切りのため 放送していた当時でも27:00までのネットだった)。
- 時期は不明だが、鶴光が相当なプレッシャーで押しつぶされそうになり、放送中のスタジオを抜け出して会社前の赤ちょうちんつきの居酒屋で飲んでいたことがある。局内は大騒ぎとなり、鶴光がいなかった30分間ずっと河内音頭が流れていた。
- ラジオ大阪では、日野ミッドナイトグラフィティ 走れ!歌謡曲をネットしている関係上、27:00で飛び降りていた(そのためか、当時フルネットしていたKBS京都で聞いていたリスナーも多かった。事実、鶴光も「このあとはKBSで聴いて」と呼びかけていた時期があった)。
[編集] これまでに休止・代替番組への差し替えとなった例
- 1977年12月24日 オールナイトニッポン ラジオ・チャリティー・ミュージックソン
- 1979年7月14日 マトモ人対インベーダー
- 1982年1月2日 1000年女王超人ロック
- 1982年8月14日 仮面ライダー10号誕生記念・石森章太郎のオールナイトニッポン
- 1983年1月15日 オールナイトニッポン 宇宙戦艦ヤマトスペシャル
- 1983年12月24日 オールナイトニッポン ラジオ・チャリティー・ミュージックソン
- 1983年12月31日 ポップスベスト100
- 1984年6月9日 薬師丸ひろ子のオールナイトニッポン(土曜1部)
- 1985年1月12日 糸居五郎氏追悼オールナイトニッポン
- 1985年7月13日 ザ・地球コンサートLIVE AID
[編集] ディレクター
- 鈴木隆
- 宮本幸一
- 石原信和
- 島野光男
- 杉沢肇
- 本郷純二
- 田村光広
- 田中厳美
- 糸川宗一郎