立川反戦ビラ配布事件
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立川反戦ビラ配布事件(たちかわはんせんビラはいふじけん)は、反戦ビラ配布の目的で立川自衛隊官舎内に立ち入った三名が2004年2月に住居侵入容疑で逮捕・起訴された事件。一審で無罪判決。検察が控訴し二審で逆転有罪判決。被告は即日上告した。
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[編集] 評価
一部のNGO団体、市民団体、法学者などから不当逮捕ではないかという声があがっている。「立川反戦ビラ入れ事件」「立川反戦ビラ入れ弾圧事件」などとも一部では呼ばれている。反戦の意思表示に対する不当弾圧にあたるとして、一部の市民団体などは非難の意見を表明した。
[編集] 概要
[編集] 逮捕
立川自衛隊監視テント村のメンバーが2004年1月17日、「自衛官・ご家族の皆さんヘ 自衛隊のイラク派兵反対! いっしょに考え、反対の声をあげよう!」と書かれた反戦ビラ[1]を自衛隊東立川駐屯地の官舎戸別郵便受け(新聞受け)に配布。一ヶ月以上のちの同年2月27日に警視庁立川警察署は、同団体メンバー三人に対する住居侵入の容疑で事務所、自宅など六ヶ所を捜索し、書類、パソコンなどを押収、その直後に三名を令状逮捕、3月19日に起訴、さらに接見禁止(弁護人以外との面会禁止)をつけて二ヶ月以上(75日間)勾留し、5月11日に保釈した。
[編集] 背景
表現の自由は民主主義の根幹をなすとされ、憲法上の基本的権利となっている。一方、住居侵入罪の保護法益は住民の居住権(住居等の平穏が害されたり脅かされる態様での立ち入り行為を受けない権利 - 1976年、最判昭51・3・4)である。
問題となったのは、住人の注意があり、看板によってもビラ配布を何度も禁じられた団体が、なおも配ることが不法侵入にあたるかどうかという点になっていった。
法の通説によれば、集合住宅における住居ドアに付けられた郵便受けに至る通路などの共有部分は公共的な空間だと解釈され、そこへ立ち入ってビラなどを入れることは住居の静穏を乱すことにはならないという立場を一審ではとった。 ビラ配布を問題だとする立場から、以下のような意見が見られる。
- 「住居侵入罪には『要求を受けたにもかかわらずこれらの場所から退去しなかった者』とあり、反戦というメッセージに『自衛隊員に直接の敵意』があり、また反戦ビラが配られたのは自衛隊員がいた時間帯でもあり、国内のイラク派遣に反対する過激な勢力も存在することから、逮捕されるのは当然だ。今後、そういう人たちから自衛隊員を守るための予防策でもあったのだろう。決して、ピザのビラとは違う」とする主張がある。つまり、「自衛官およびその家族に対してテロを企図する者が、自衛官官舎にビラを入れにくる可能性がある」という意見。
- 配布するビラが同官舎住民に対し、不快な気持ちを起こさせる内容であることを被告は推察できたはずだとし、投函に先立ち同住宅の管理人に住宅の侵入とビラの配布について承諾を得ようとしなかった態度を批判する意見。
- 何人も不快な内容のビラを配布されることを嫌う権利があり、それを確認させる手続きを経ていないことから、商業目的のピザのビラを配布するのとは質的に問題が異なるとする意見。
- オウム真理教関連の事件において、住居侵入容疑による逮捕で結果的に犯罪の解明が進んだ例もあり、犯罪を未然に防ぎ、社会秩序を守るためには、同法の柔軟な運用が必要との意見。
被告を擁護する立場からは以下のような説がある。
- 問題となったビラ配布は、1976年から何度もビラを配布してきた団体によるものであったため、テロと無関係であることは明らかであったし、これまでもビラ配布員以外で、直接団体への抗議はなかった。また、ビラには住所や電話番号、ファックス番号が明記されていた。
- 2004年5月14日付東京新聞や同年12月17日付朝日新聞の報道によれば、取調べに当たって警察が被疑者を侮辱したとされている。検察が取り調べの際「今回の件は双方にとって大きい。全国の自衛隊官舎へのチラシ入れが増えているか、減っているか調べてみると面白いだろう」と述べる証言が公判で出された。従って検察・警察の逮捕目的がテロ対策ではなく、むしろ反戦運動に対する攻撃である。
類似の事件としては、以下のようなものがある。
- 日本共産党のビラ配布事件との関連が指摘されている。2004年3月、休日に職場とは関係のない地域で共産党を支持するビラを配布した社会保険庁目黒社会保険事務所の係長が、国家公務員法違反(政治的行為の制限)容疑で令状逮捕された事件(社会保険庁職員国家公務員法違反事件)が起きている。
- 立川反戦ビラ配布の無罪判決から七日目に、マンションの郵便受けに議会報告を入れた行為が住居侵入にあたるとして、警視庁亀有警察署が、東京都葛飾区内の七階建てマンションにおいて男性を住居侵入容疑で現行犯逮捕した事件が起こっている(葛飾政党ビラ配布事件)。
葛飾政党ビラ配布事件については、この事件を立川事件にからめ、無罪判決に言及して報道したのは、毎日新聞、共同通信配信の産経新聞、朝日新聞などで、読売新聞は言及しなかった。朝日新聞2004年12月29日付社説「ビラ――配る作法、受け取る度量」のように、「配る方も配る方である。ビラのまき方に配慮がない」と集合ポストへ配布すればよいとし、配る側の節度を説く立場もある。なお、日本共産党は『しんぶん赤旗』の2004年12月25日付記事「ビラ配布の男性を不当逮捕」で、“住人は110番ではなく本署に直接電話し、しかも通報の際に警察スラングを使っていた”、とその不審さを主張している。
いずれの事件も、ビラ配布をめぐって警視庁公安部(公安警察)が指揮し、東京地検の検察官検事が起訴。一部の憲法学者や法学者らは、これら一連の事件を微罪による別件逮捕として思想を弾圧する典型例だと指摘、批判し、注目を集めている。
なお、元公安調査官のジャーナリスト・野田敬生は「公安当局の捜査手法として、微罪逮捕は伝統芸ともいえる手法」と述べた。また魚住昭は「住民の安全を守るという名目で微罪逮捕し、自由な言論を封殺していく」と述べるなど、微罪逮捕が警備・公安警察の常套手段とする説もある。立川反戦ビラ配布事件と葛飾ビラ配布事件を担当したのはいずれも公安担当検事・崎坂誠司であったことが判明したため、特定の政治的思想を弾圧する公安事件とする見方を取る立場と、あるいは単なる住居侵入事件とする見方とがある。
[編集] 第一審
国際人権団体アムネスティ・インターナショナルなどが一審を擁護した。(アムネスティは3人を日本初の“良心の囚人”と認定)
9月9日の第5回公判では、弁護側証人として憲法学者の奥平康弘と元防衛事務次官・元郵政大臣でイラク派兵違憲訴訟原告の箕輪登が出廷した。奥平は、住居侵入罪の規定それ自体に問題があることや、現在社会において受け取りたくない情報が受忍されている現状から政治的に選別して刑事事件の対象とすることは許されないなどを証言した。その一方で、治安維持法のない現代、住居侵入罪などの一般法を用いる犯罪立件は、戦前への回帰であるとの懸念を表明。続けて政府批判、国家批判をおこなった。
第6回公判の被告人反対尋問で検察が、被告らの新左翼との接触や、立川基地内に爆発物を発射した事件、天皇制反対運動などとの関連について質問。弁護側の唱えた「被告がどんな思想を持っているかは事件とは関係がない」の異議を裁判長も認めた。
2004年12月16日、東京地方裁判所八王子支部(裁判長・長谷川憲一)は3人に対し無罪を言い渡す。
公判での事実認定は、「自衛官官舎の管理人は、立川警察の刑事から被害届を出すよう言われて出した。その際、警察が作った被害届の文章にサインした」「管理人は被告の属する団体が暴力行為を起こすような団体でないと知っていた」「ビラの内容は自衛隊を批判してはいても個々の自衛官を敵視するものではなく、しかも官舎側は内容を全く把握していなかった」と主張していた。
東京地裁は、被告らの官舎内立ち入りは住居侵入罪の構成要件に該当するとしつつも、ビラの内容が一般マスコミ報道と比較して過激なものではないこと、立ち入り行為が居住者のプライバシーを侵害する程度は相当に低いものであり相当性の範囲を逸脱したものとはいえないこと、などに照らして「刑事罰に処するに値する程度の違法性があるものとは認められない」(可罰的違法性なし)と認定した。また、被告人によるビラ投函のような憲法上の権利である表現の自由が保障する政治的表現活動は、商業ビラの投函よりも優越的地位が認められており、商業ビラが黙認されている現状で、政治的主張のビラを刑事罰の対象にはできないとし、商業ビラの投函が放置されている状況で正式な抗議や警告なしにいきなり検挙したことに対する疑問を呈した。また、被告ら団体は、自衛隊反対で集まった支配・服従関係のない一市民団体にすぎないと認定、検察側による公安情報に基づく左翼・新左翼などの被告らに関して立証しようとした思想的性格については、「仮に事実であっても」、本件判決とは無関係と判示。検察官の公訴提起については「本件各公訴提起には、ビラの記載内容を重視してなされた側面があることは否定できない」としたが、官舎住民が「他の商業的宣伝ビラに対するものとは異なる不快感を抱いていたと認められる」として訴追裁量権の逸脱は認めず、弁護側が主張した公訴棄却(起訴の無効)を退けている。
[編集] 第二審
第二審においては逆転有罪がいいわたされた。東京高等裁判所(裁判長・中川武隆)は2005年12月9日、無罪判決を破棄、差し戻しせず自判し、三被告に罰金20万 - 10万円を言い渡した。判決理由は「配布の仕方が社会的に認められる範囲内だなどとして、刑事罰に値する違法性(可罰的違法性)がないとした一審判決は、事実を誤認している。ビラによる政治的意見の表明が言論の自由で保障されるとしても、そのために他人の権利を侵害してよいことにはならない」と判示。被告三名は直ちに最高裁へ上告した。
全国紙、ブロック紙、地方紙など少なくとも九社が社説で取り上げ、二審判決について「市民の人権を損なう判決だ」(河北新報)、「表現の自由を切り捨て」(京都新聞)、「表現の自由が心配だ」(朝日新聞)など、いずれも疑義を表明。神奈川新聞は「権力の暴走ともいえる事態であり、今後が極めて憂慮される」と批判した。
ほとんどのメディアは両方の判決に関心をしめさなかったが産経新聞は社説で取り上げなかったものの、全国紙で唯一、署名(佐久間修志)つきの解説記事で、刑法学者の白鴎大学法科大学院教授・土本武司による「『表現の自由』より『居住者の平穏』」とする判決支持の意見を紹介している。
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
[編集] 被告を擁護する立場の文献
- 魚住昭、斎藤貴男、大谷昭宏、三井環『おかしいぞ!警察・検察・裁判所 市民社会の自由が危ない』創出版、2005年8月、ISBN 4924718661
- 内田雅敏『これが犯罪? 「ビラ配りで逮捕」を考える』(岩波ブックレット)岩波書店、2005年7月、ISBN 400009355X
- 岡本厚編集長『世界』2005年3月号、「特集 警察はどうなってしまったのか」岩波書店
- 立川・反戦ビラ弾圧救援会 編著『立川反戦ビラ入れ事件 「安心」社会がもたらす言論の不自由』明石書店、2005年5月、ISBN 4750321117
- 宗像充『街から反戦の声が消えるとき 立川反戦ビラ入れ弾圧事件』樹心社、2005年1月、ISBN 4434057529
[編集] その他、本件に直接の言及はないが、理論的に参考になる文献
- 藤木英雄『可罰的違法性』学陽書房、1975年、ISBN 4313430016
- 藤木英雄『可罰的違法性の理論』有信堂、1967年 [2]
- 前田雅英『可罰的違法性論の研究』東京大学出版会、1982年6月 [3]
- 『法学セミナー』2004年8月号、特別企画「ポスティング」は犯罪か?
- 石埼学「立憲主義の『ゆがみ』と表現の自由」
- 市川正人「表現の自由と2つのポスティング摘発事件」
- 安達光治「事件の刑事法的問題点 『住居』の管理権とその限界」
[編集] 外部リンク
- 第二審有罪判決全文(2005年12月9日、東京高等裁判所第3刑事部)
- 第二審逆転有罪判決要旨(2005年12月9日、東京高等裁判所第3刑事部)
- 第一審無罪判決(2004年12月16日、東京地方裁判所八王子支部刑事第3部)