田中稔
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田中稔 | |
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プロフィール | |
リングネーム | 稔 田中稔 ヒート 田中 |
本名 | 田中稔 |
ニックネーム | 十字職人 |
身長 | 175cm |
体重 | 90kg |
誕生日 | 1972年11月29日 |
出身地 | 愛知県小牧市 |
所属 | 新日本プロレス |
スポーツ歴 | 器械体操 シュートボクシング |
トレーナー | 藤原喜明 |
デビュー | 1994年 |
田中稔(たなか みのる、1972年11月29日 - )は、新日本プロレス所属のプロレスラー。様々なリングネームを名乗っているが、現在は新日本本体参戦時は稔、「WRESTLE LAND」参戦時には田中として活動している(演出上は別人扱い)。愛知県小牧市出身。身長175cm、体重90kg。妻は元・女子プロレスラーの府川唯未。
テーマ曲はB'zの「ZERO」。過去のテーマ曲もB'zの曲を使用していた。
目次 |
[編集] 経歴
器械体操とシュートボクシングを経験後、1993年に藤原組に入門。翌1994年1月にマーク・アシュフォード戦でデビューし、同年2月にはリングスに参戦した。
1995年に格闘探偵団バトラーツの設立に参加、所属する。1999年4月の新日本の東京ドーム大会に参戦。同年のベスト・オブ・スーパージュニアにも出場する。2000年6月に金本浩二とジュニアスターズを結成し、IWGPジュニアタッグチャンピオンとなる。同年10月にバトラーツを退団、当時のIWGPジュニアチャンピオンだった高岩竜一とタイトル戦を行い、勝利し第39代IWGPジュニアヘビー級チャンピオンとなる。2001年1月に正式に新日本プロレス所属となる。2002年にゲームキャラクター「ヒート」のマスクとコスチュームになり、ヒートとしてたたかっていく。しかし、あまりに不甲斐ない試合が続いたために当時味方だった獣神サンダー・ライガーに批判され、敵対関係となる。
この時に再びIWGPジュニアヘビー級チャンピオンとなり、素顔に戻ったときも含めて、同タイトル最多連続防衛記録11回を記録する。 この頃からライガーにCTUに勧誘され、最初は難色を示していたが最終的にCTUの一員となる。2005年にリングネームを「稔」に改名する。また、ヘビー級挑戦を視野に入れる。
2006年ベストオブスーパージュニアにおいて初日敗戦もAブロック2位通過。決勝トーナメントでは井上亘(HEATクラッチ)タイガーマスク(ミノルスペシャル)と撃破し、7回目の出場で悲願の初優勝をかざる。
[編集] 得意技
- ミノルスペシャル
- 相手に組み付きながら前転して決める変形の飛びつき腕ひしぎ逆十字固め
- ミノルスペシャルⅡ
- ノーザンライトスープレックスを決め、その勢いのまま後転してマウントポジションに入り、そのまま腕ひしぎを決めていく。
- HEATクラッチ
- 相手の両足を折りたたむ変形のエビ固め。腕ひしぎをきめ、抵抗して足をばたつかせた相手をそのまま丸め込む場合もある。
- テラマエ485
- 相手の股間でクラッチしてバックドロップを決める。
- 投げっぱなしのタイガースープレックス。3代目は金本浩二のこと
- リストクラッチフィッシャーマンズバスター
- 受け身をとりにくくするために腕をとってのフィッシャーマン。
- サンタモニカ・ピア
- フィッシャーマンの体勢で抱え上げ、デスバレー・ボムの要領で叩きつける。
- カリフォルニア巻き
- フィッシャーマンで抱え上げた体勢から横に丸め込む。
- 迷子の子猫ちゃん
- タイガースープレックスで投げ捨て、起き上がろうとする相手にバズゾーキックを打ち込む。
- 各種キック
[編集] タイトル歴
- IWGPジュニア・ヘビー級王座…第39,42,46代王者
- IWGPジュニア・タッグ王座…第5代(パートナー:金本浩二)、第8代(パートナーは獣神サンダー・ライガー)、第15代(パートナーは後藤洋央紀)
- 第13回「ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア」優勝
- 年間最高試合賞(タッグマッチ部門)(2004年)
[編集] リングネーム
田中稔が現在、過去に使用したリングネーム。
- 田中稔
- ヒート
- 稔
- 田中
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