毛利煕元
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毛利熈元(もうり ひろもと ? - 寛正5年(1464年))は毛利氏当主。毛利光房の子。毛利豊元の父。
1436年(永享8年)、父・光房の死去により家督を継承する。翌1437年に将軍足利義教より上京の命を受け畿内へと出陣することとなった。幕府に忠勤を励んだ。1442年の嘉吉の乱に際しても、謀反を起こした赤松満祐を討つためにわざわざ播磨まで出陣している。1457年(長禄元年)、周防を本拠とする大内教弘が安芸武田氏の佐東銀山城に進攻した際にも、幕府の命令により武田氏への支援に当たった。
このように幕府への忠勤を励んだ煕元であったが、1463年(寛正4年)、毛利氏庶家の反抗を受けることとなる。諸家の中に幕府に対して讒言する者があり、結果として領地の一部を関所として召し上げられた。
翌1464年、嫡男の豊元に知行を取り戻すように遺言して死去。所領の奪回は子の豊元へ引き継がれることとなる。