死球
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死球(しきゅう)とは、野球において投手の投げたボールが打者(バッター)の体に当たること。デッドボール(和製英語)とも言う。英語ではhit by pitchと言う。日本語の「死球」及び「デッドボール」は、投球が打者に当たった結果ボールデッド(プレイが中断されること)が宣告されることを、「投球が打者に当たることをボールデッドという」と誤解したことに由来する、と言われる。
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[編集] 概説
直接体に当たらなくても、適正に着用していれば打者のユニフォームにかすっても成立する。また、ワンバウンドした投球が打者に当たった場合も成立する。球審は両手を上方に広げたジェスチャー(ファウルボールと同じジェスチャー)をして、「デッドボール」と宣告する。これによって、打者は安全に一塁に進む権利を得られる(テイク・ワン・ベース)。それにより押し出される走者に限り、次の塁へ進む権利を得られる(満塁の場合、三塁走者は本塁へ進む)。
また、死球が成立すると同時にボールデッド(プレイ中断)となるため、盗塁や暴投は適用されず、走者が次の塁に進塁を試みることは認められない。
以下の場合は、投球が打者の体に当たっていても死球とならない。ただし、ボールデッドになる。
- 投球がストライクゾーンを通過している場合。ストライクが宣告される。
- 打者がバットを振っている場合。ストライクが宣告される。
- 打者が故意にボールに当たった場合。ボールが宣告される。
- 打者が避けようとせずにボールに当たった場合。ボールが宣告される。ただし、球審が避けられないと判断した場合は除く。
死球は怪我の元となるもので、特に硬式球でプレーする場合は、指に当たって骨折するなどの例が多く、頭部に当たった場合には意識不明となることもあり、極めて稀であるが死亡例もある。このため、打者にはヘルメットの着用が義務付けられており、また日本のプロ野球では危険球の規定がある。(以下を参照。)
[編集] 危険球
日本プロ野球では、頭部への死球もしくはそれに準ずる投球がなされた場合には「投手の投球が打者の顔面 、頭部、ヘルメット等に直接当たり、審判員がその投球を危険球と判断したとき、その投手は試合から除かれる。頭部に直接当たった場合でも、審判員がその投球を危険球とまではいえないと判断したときは、警告を発し、その後どの投手であろうと再び頭部に当たる投球を行ったときは退場とする。危険球とは、打者の選手生命に影響を与える、と審判員が判断したものをいう。」 という形のアグリーメントが規定されている。
危険球制度が導入された事の発端は、1994年5月11日のヤクルト対巨人戦で起きた報復死球と大乱闘騒ぎに遡る。事態を重く見たセントラル・リーグは緊急理事会を開き、さしあたって「故意・過失を問わず頭部に死球を与えた投手は退場」というアグリーメントを規定した(最初の適用者は巨人の桑田真澄投手)。一方この件を受けたパシフィック・リーグでは、危険球の認定について審判が今まで以上に厳しい運用をするという見解にとどめた。このアグリーメントはその後も適用され続けた。
かようにセントラル・リーグとパシフィック・リーグでは危険球のペナルティに差違が見られていたが、2002年に上記のルールに統一された。最初の危険球で警告となるか即退場となるかは球審の裁量に委ねられる(この規則の第一号は読売ジャイアンツの三浦貴投手。広島東洋カープの緒方孝市選手の頭部に当てて退場)。しかし、従来から一度でも危険球を投げた場合は即退場としていたセントラル・リーグでは現在でも即退場となる場合が多く、対照的に警告後退場のルールを運用していたパシフイック・リーグでは即退場処分が少ない傾向にある(現在の規則でのパシフィック第1号は吉武真太郎投手(金子誠の左肩に当てて退場)。2003年に記録しており、セントラルではこの時既に三浦のほかに木塚敦志、東和政が退場になっていた)。
他に、威嚇目的で打者にめがけて投球し打者に当たる可能性の高い「ビーンボール」や、味方打者が死球を蒙ったことに対する報復などの明らかな危険球についても同様に球審の裁量で判断される。なお、ビーンボール(beanball)は本来、頭部への故意による危険球の事をさし(beanは古い英語の俗語で、頭を指す)、アメリカでは胸元等のきわどいインコースをついたボールに関してはブラッシュバック・ボール(brush-back ball)と呼んで区別しているが、日本では現在、これらを共にビーンボールと総称している。
2005年5月13・14日に行われたセ・パ交流戦「西武-巨人」(インボイスSEIBUドーム)の試合では、両日2戦合わせて6個の死球が出たことから、審判団が15日の第3回戦を「パ・リーグ アグリーメント」に基づいて「警告試合」とした。この試合で死球を与えた投手は即刻退場、また意図的にぶつけたなど悪質な場合はそのチームの監督も退場にするという警告を両軍に下した。
[編集] プロ野球の死球・与死球記録
- 通算死球
順位 | 名前 | 所属 | 死球数 | 順位 | 名前 | 所属 | 死球数 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | *清原和博 | 西武→巨人→オリックス | 196 | 6 | 野村克也 | 南海→ロッテ→西武 | 122 |
2 | 竹之内雅史 | 西鉄→阪神 | 166 | 7 | 加藤俊夫 | サンケイ→東映→大洋 | 116 |
3 | 衣笠祥雄 | 広島 | 161 | 8 | 王貞治 | 巨人 | 114 |
4 | 井上弘昭 | 広島→中日→日本ハム→西武 | 137 | 9 | *古田敦也 | ヤクルト | 111 |
5 | 田淵幸一 | 阪神→西武 | 128 | 10 | 田宮謙次郎 | 阪神→大毎 | 104 |
*は現役。
- シーズン死球
順位 | 名前 | 所属 | 達成年度 | 死球数 |
---|---|---|---|---|
1 | 岩本義行 | 大洋 | 1952年 | 24 |
2 | G.ラロッカ | 広島 | 2004年 | 23 |
3 | 城島健司 | ダイエー | 2004年 | 22 |
4 | 三村敏之 | 広島 | 1972年 | 19 |
J.ズレータ | ダイエー | 2004年 |
- 通算与死球
順位 | 名前 | 所属 | 死球数 | 順位 | 名前 | 所属 | 死球数 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 東尾修 | 西鉄・太平洋・クラウン・西武 | 165 | 6 | 山田久志 | 阪急 | 135 |
2 | 渡辺秀武 | 巨人→日拓→大洋→ロッテ→広島 | 144 | 7 | 足立光宏 | 阪急 | 130 |
3 | 米田哲也 | 阪急→阪神→近鉄 | 143 | 8 | 村田兆治 | 東京・ロッテ | 124 |
坂井勝二 | 大毎→大洋→日本ハム | 9 | 佐々木宏一郎 | 大洋→近鉄→南海 | 122 | ||
5 | 仁科時成 | ロッテ | 142 | 10 | 平松政次 | 大洋 | 120 |
- シーズン与死球
[編集] その他
- 1942年の夏の甲子園全国大会(非公式大会)では戦時下で軍事色が強い大会のため、打者にボールが当たっても死球にはならないという特別ルールが存在した。
- ニューヨーク・ヤンキースの元コーチ、ドン・ジマーは現役時代に頭部へ死球を食らい、2週間意識不明になったエピソードがある(1953年7月7日オハイオ州コロンバス:ピッチャー、ジム・カーク)。これがもとで打者に対する危険球には人一倍敏感になっており、2003年のアメリカンリーグ・チャンピオンズ・シリーズ第3戦での乱闘騒ぎの引き金となっている。
- 1920年8月16日のニューヨーク・ヤンキース対クリーブランド・インディアンズ戦で、インディアンズのレイ・チャップマンがヤンキースのカール・メイズの投球を頭部に受け、翌日死亡した事故があった。これはメジャーリーグにおいて、試合中のプレーが原因で死亡した唯一の例である。
[編集] 関連項目
- 自打球
- 乱闘
- 東尾修(与死球歴代1位)
- 森安敏明(与死球シーズン1位)
- 達川光男(死球時のパフォーマンスで有名)
- 市川和正(同上)
- 金森栄治(死球時の絶叫で有名)
- 清原和博(死球数歴代1位)
- 鷹野史寿(2000年にルーキーながら最多死球)
- 緒方孝市(三浦貴、木塚敦志、戸叶尚と3人から危険球を食らっている最多選手)
- 渡辺俊介(2006年4月29日の楽天戦でノーヒットノーランを続けていながら、危険球退場で途切れた)
- 松坂大輔(2006年のプレーオフで4死球を与えながらも完封)
- マイク・キンケード(わざと足を出して死球を食らわせた疑惑がある)
- 三浦貴(危険球が原因で野手に転向した)
- 松本奉文(日本記録の4打席連続死球を記録)
- バルビーノ・ガルベス(危険球が多いことで有名)
- MAJOR(主人公の父親はプロ野球選手であったが、試合中受けた死球が元で死亡)