武帝 (陳)
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武帝(ぶてい、506年-559年、在位557年-559年)は、中国南北朝時代の南朝の最後の王朝・陳の初代皇帝。姓名は陳覇先(ちん はせん)。字は興国。廟号は高祖。
呉興郡長城(浙江省長興県)の人。梁の軍人として活躍し、547年に交州で反乱を起こした李賁を討って頭角を現した。侯景が反乱を起こした時も、王僧弁と協力して、552年にこれを討っている。これらの功績から、陳覇先は征北将軍に任じられた。 554年に元帝が西魏とその傀儡下の後梁の軍により殺害されると、陳覇先は王僧弁と共に敬帝を擁立する。だが、その後北斉により蕭淵明が皇帝として送り込まれると、蕭淵明を支持する王僧弁と対立し、結局555年には王僧弁を討って蕭淵明を廃し、自らは敬帝を擁して実権を掌握したのである。さらにその後、南下してきた北斉の大軍を打ち破るなどで確実に実力と人望をつけた陳覇先は、557年に敬帝に禅譲を迫り、陳王朝を開いた。また、敬帝は同年のうちに殺害されている。
だが、彼が王朝を開いた後は、自らが討った王僧弁の残党の反攻に苦しみ、この鎮圧に追われて国政を磐石なものとすることなく生涯を終えた。
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