桑原楽之
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男子 サッカー | ||
銅 | 1968 | サッカー |
桑原 楽之(くわはら やすゆき 1942年12月22日 - )は、元サッカー選手・日本代表選手。広島県広島市出身。
[編集] 経歴
1959年、広大付属高校2年の時、エースフォワードとして1学年上の桑田隆幸、同級の小城得達、溝手顕正らと全国高校サッカー選手権大会に出場して準優勝、国体も準優勝、3年時はベスト8。進学した中央大学では1962年、小城や同郷の野村六彦らと長沼健、宮本征勝、川淵三郎らを擁して天皇杯三連覇を狙った古河電工を決勝で破り中大の初優勝をもたらした。大学単独チームでの優勝は四半世紀振りとなる偉業だった。
1965年中大を卒業後、東洋工業サッカー部に入団。翌1966年から始まる日本サッカーリーグ(JSL)の初年度から主力フォワードとして、共に東洋入りした小城や先輩・桑田、小沢通宏、石井義信、今西和男、松本育夫らとリーグ四連覇を含む5回の優勝と3度の天皇杯制覇に貢献した。
1968年のメキシコオリンピック銅メダルのメンバーにも名を連ね、1次リーグ2戦目の対ブラジル戦で先発出場した。
[編集] 代表歴
- 国際Aマッチ 12試合 5得点(歴代46位) (1966年-1970年)
- メキシコシティーオリンピック(1968年)銅メダル
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