桂正和
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桂 正和(かつら まさかず、男性、1962年12月10日 - )は日本の漫画家。 福井県出身。(東京都豊島区生まれ。1歳の時父方の故郷の福井に移る) 阿佐ヶ谷美術専門学校卒。血液型A型。
代表作に『ウイングマン』、『電影少女』『I"s』など。 現在「週刊ヤングジャンプ」誌上において『ZETMAN』を連載中。(2006年5月現在)
目次 |
[編集] 略歴
- 幼少時に千葉県に引っ越し、中学から20歳頃までを市原で過ごす。
- 1980年 - 阿佐ヶ谷美術専門学校へ入学。『ツバサ』で第19回手塚賞佳作受賞。またフレッシュジャンプ賞に応募していた作品が鳥嶋和彦の目に止まる。
- 1981年 - 『転校生はヘンソウセイ!?』で第21回手塚賞準入選を取り、漫画家としてデビューする。
- 1983年 - 『ウイングマン』で連載デビュー。初の単行本となる『ウイングマン』1巻が8月に発売。
- 1984年 - 『夢戦士ウイングマン』として『ウイングマン』がテレビアニメ化。初の短編集『桂正和コレクション』1巻を発売。
- 1985年 - 『超機動員ヴァンダー』連載開始。
- 1987年 - 『プレゼント・フロム LEMON』連載開始。
- 1988年 - 「スーパージャンプ」に『小さな灯り』を掲載。初の青年誌掲載。
- 1989年 - 『電影少女』連載開始。
- 1991年 - 『電影少女』が実写映画化。
- 1992年 - 「Vジャンプ」において『SHADOW LADY』(VJ版)連載開始。
- 1993年 - 『D・N・A² ~何処かで失くしたあいつのアイツ~』連載開始。
- 1994年 - OVA『I・R・I・A ZEIRAM THE ANIMATION』のキャラクターデザインを担当。
- 1995年 - 『SHADOW LADY』(WJ版)連載開始。
- 1996年 - 『エム』を「MANGAオールマン」に掲載。初の青年向け漫画。
- 1997年 - 『I"s』連載開始。
- 1998年 - 初のイラスト集『4C』を発売。
- 1999年 - ゲーム『LOVE & DESTROY』のキャラクターデザイン。
- 2002年 - 「週刊ヤングジャンプ」で『ZETMAN』の連載開始。
※特に表記のない連載作品は「週刊少年ジャンプ」において連載。
[編集] 作風
「週刊少年ジャンプ」(WJ)に連載した歴代漫画家の中でも画力の高さには定評がある。特に美少女を描かせたら右に出る者がいないと賞賛されている。女性独特の体の柔らかさ(ほっぺたやお尻、下着のふくらみなど)や女の子がはにかむ表情などは読者をドキッとさせるほど秀逸。その実写的な少女たちにはモデルがいると思われがちだが、写真などを模写する手法では漫画的に表現するのが難しいらしく、想像で描いていると話す。作品は主人公の男性目線の作品が多く、女性の気持ちを隠しながらのストーリー展開のうまさは読者の多くが認めるところである。
しかし出世作である『ウイングマン』で表現されているとおり、元来は戦隊モノや宇宙刑事シリーズなどの特撮ヒーローファンで、変身ヒーローものをテーマとする作家を目指していた。したがって、デビュー前は作品にそれほど美少女をモチーフとして扱っていたわけではなかった。しかし、プロになった当初(1980年代前半)、少年誌各誌でラブコメが流行していたこともあり、鳥嶋和彦らWJの編集部からラブコメ・美少女を描くようにいわれたことによって作品の主役等、重要な位置づけとして多数登場させるようになった。
特に映画『バットマン』のファンでもあるため、その影響を受け筋肉の描き方や造形の細部などが丁寧に描かれている。コウモリやコウモリ状の羽を持ったキャラクターが作中に登場することも多く、そのためか海外のファンからも高い評価を得ている。
また作品内容はちょっとエッチだが、読者が共感できる作品が多く、男性のみならず女性にもファンが多い。また鳥山明とも交流があり、ファンの間では漫画を買うときには「堂々と買う鳥山作品」「こっそりと買う桂作品」と言われている。
ちなみに、桂作品の作中のエッチな場面が少年漫画の限界点だと言われているが、『電影少女』は青年漫画レベルだとも言われており、再版の単行本にはエッチなコマの差し替えがみられる。
なおキャラクターの画風が途中でかなり変化している。特に『電影少女』を連載した際の女性キャラクターの画風にて顕著に見られる。それ以前は比較的アニメ風のポップな画風であったが、この作品を境に、かなり写実的に描くようになった。作者自身もJC版『電影少女』2巻にて「絵を壊す」と答えており、その理由として、「自分のキャラクターのルックスに飽きた」「できるだけ人間の顔に近づけたい」と述べている。 これは桂によれば自身の美的意識の変化、作品に合わせた画力の追求の両面から発生したもので、結果的に『ウイングマン』などの初期作品のキャラクター達を当時のように描くのは困難になってしまったそうである。
[編集] 作品リスト
原則として発表年順だが、雑誌未掲載作品については執筆年で代用。 各作品の詳細はリンク先を参照の事。 なお、短編の独立記事は設けておらず、リンク先は収録されている短編集の記事内の該当節等に飛ぶ(例:ツバサ→桂正和コレクション#ツバサ)。
<掲載雑誌>(全て集英社)FJ:フレッシュジャンプ/SJ:スーパージャンプ/VJ:Vジャンプ/WJ:週刊少年ジャンプ/YJ:週刊ヤングジャンプ/MA:MANGAオールマン/未:雑誌未掲載
<短編>★:『桂正和コレクション』VOL.1収録/☆:『桂正和コレクション』VOL.2収録/●:『ZETMAN 桂正和短編集』収録/○:その他の短編
- ★ツバサ(1980年、未) - 第19回手塚賞佳作。
- ★転校生はヘンソウセイ!?(1981年、WJ) - 第21回手塚賞準入選作。
- ★学園部隊3パロかん(1981年、WJ増刊)
- ★学園部隊3パロかん II(1981年、未)
- ★夏にすずみ!(1982年、FJ)
- ★秋にすずみ…(1982年、FJ)
- ウイングマン(1983年 - 1985年、WJ) - 『夢戦士ウイングマン』としてテレビアニメ化。
- ☆ヴォーグマン(1985年、WJ増刊)
- 超機動員ヴァンダー(1985年 - 1986年、WJ)
- ☆すず風のパンテノン(1986年、WJ増刊)
- ☆KANA(1986年、WJ)
- プレゼント・フロム LEMON(1987年、WJ)
- ★小さな灯り(1988年、SJ)
- ☆エトランゼ(1988年、WJ増刊) - 原案・大場ひろし。唯一の原案付き作品。
- ●SHIN-NO-SHIN 愛と憎しみのタイムスリップ(1989年、WJ)
- ☆ビデオガール(1989年、WJ増刊)
- 電影少女(1989年 -1992年、WJ) - 映画化、OVA化されている。
- SHADOW LADY【VJ版】(1992年 - 1993年、VJ)
- ●WOMAN IN THE MAN -男の中の女-(1993年、WJ)
- D・N・A² ~何処かで失くしたあいつのアイツ~(1993年 -1994年、WJ) - テレビアニメ化、OVA化されている。
- ●ZETMAN(1994年、WJ増刊)
- ●SHADOW LADY【読切版】(1995年、WJ)
- SHADOW LADY【WJ版】(1995年 - 1996年、WJ)
- ○エム(1996年、MA)
- I"s(1997年 - 2000年、WJ) - OVA化されている。
- ○a virgin(2001年、Bitch's Life、グラフィックス社)
- ○Dr.チャンバリー (2000年、WJ) - 単行本未収録。
- ○M 完全版(2002年、YJ) - 『エム』に加筆した作品。
- ○記憶の迷宮(2002年、YJ)
- ZETMAN(2002年 - 、YJ) - 連載中。
[編集] イラスト集
[編集] キャラクターデザイン
- I・R・I・A ZEIRAM THE ANIMATION【OVA】(1994年)
- LOVE & DESTROY【プレイステーション用ゲームソフト】(1999年)
[編集] エピソード
- 漫画家になった最初のきっかけはステレオコンポ(当時50万円)が欲しくて、集英社のコンクールに賞金目当てで応募した。落選を繰り返し、受賞した頃には既にコンポは手に入れていた。
- お互いに相手の地元のほうがよりド田舎だ、と、愛知県の鳥山明と醜い(というか、しょうもない)争いをしていたことがある。(『Dr.スランプ』作中でネタとして語られている)
- 2006年札幌テレビ放送の番組「爆笑問題のススメ」で一度だけテレビ出演した。
- 作品中随所に実在する商店や建物が正確に描かれ、交通機関なども舞台になった地域を忠実に表現するため、ファンが舞台になった場所を巡ることが多い。(他の漫画家の場合、特に後者は北海道や九州など地方が舞台でも交通機関には都営バスや山手線などの通勤型電車が登場することがあるが、『電影少女』の場合、小田急バス、中央線の国鉄201系電車、東西線の営団5000系電車と実際に三鷹市周辺で見られるものが忠実に表現されていた。
[編集] アシスタント
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- 『ドラゴンクエスト ダイの大冒険』と『冒険王ビィト』の作画者。同門の黒岩の元でもアシスタントをしていた。
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- 『鬼神童子ZENKI』の作画者。