東北大学の学生寮
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東北大学の学生寮(とうほくだいがくのがくせいりょう)は、東北大学内に存在するあるいは存在した、いくつかの学生寮・学生寄宿舎のことを指す。いずれも自治寮である。
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[編集] 以文寮(いぶんりょう)
- 所在地
- 宮城県仙台市太白区八木山緑町16-3(982-0832)
- 沿革
- 浩寮(1949年に旧制第二高等学校の柔道部合宿所として建築)と尚心寮(旧宮城県師範学校が建築)が、1976年に合併し以文寮として八木山に建て替えられた。
- 在寮資格
- 学籍をもつ男子(学部・院は問わない)
- 建築形態
- 鉄筋四階建て
- 部屋形態
- 11畳/2人 or 5.5畳/1人(学年による。1学年と2学年で相部屋となる。ただし、人数が合わない場合は、一年同士や二年同士の相部屋、または2年が一人で二人部屋に入ることもある。3学年以上は一人部屋。)
- 施設
- トイレ・補食スペース共同。風呂・食堂は八木山三寮で共用
- 食事
- 学期内平日の朝と夜
- 入寮応募書類(募集要項)配布方法
- 大学入試2次試験当日に各試験場で配布
- その他
- 日就寮、霽風寮の隣に位置する。なお、以文寮、日就寮、霽風寮の三寮をあわせて、「八木山三寮」と呼ばれる。
- 寮委員会について
以文寮は設立当初からの「学生自治寮」であり、委員長(ボス)と各委員(総勢8名程度)を寮生(通例1-2年生)から選出し、以文寮運営委員会を結成し、電話受付等の日々の日常業務を行っている。
歴代委員長 一覧
38期:桐原自然(文学部) 1994年11月~1995年4月
39期:松下善昭(理学部化学科) 1995年5月~1995年10月
40期:雨宮大吾(法学部) 1995年11月~1996年4月
41期:兜谷文嗣(理学部数学科) 1996年5月~1996年10月
[編集] 如春寮(じょしゅんりょう)
- 所在地
- 宮城県仙台市青葉区三条町19-1(981-0935)
- 沿革
- 旧制宮城県女子師範学校時代に全寮制度のために構内に設立されたものであるが、同学校が東北大学に吸収されるとともに東北大学の所管となる。1953年に農学部構内に旧如春寮が建築される。その後1981年に三条に建て替えられる。
- 在寮数
- 最大64人
- 在寮資格
- 学籍をもつ女子(学部・院は問わない。研究生は不可)
- 建築形態
- 鉄筋四階建て
- 部屋形態
- 5.5畳/1人
- 施設
- 風呂・トイレ・補食スペース共同
- 食事
- ない
- 入寮応募書類(募集要項)配布方法
- 郵送による配布
[編集] 霽風寮(せいふうりょう)
- 所在地
- 宮城県仙台市太白区八木山緑町16-3(982-0832)
- 沿革
- 旧制第二高等学校明善寮の一部を東北大学の寮として利用したことに始まる。戦後、寮内で闇米を食うか否かで対立が生じ、霽風寮(食わない)・寒山寮(食う)に分裂した(その後再び統合)。1975年に現在の八木山に建て直される。
- 在寮資格
- 学籍をもつ男子(学部3年以上:院生は余裕があれば募集している)
- 建築形態
- 鉄筋2階建て
- 部屋形態
- 全室個室(81部屋) 5.5畳/1人
- 施設
- トイレ・補食スペース・集会室共同。風呂(2006年改修済み)・食堂は八木山三寮で共通
- 食事
- 学期内平日の朝と夜
- その他
- 以文寮、日就寮の隣にある。
[編集] 日就寮(にっしゅうりょう)
- 所在地
- 宮城県仙台市太白区八木山緑町16-3(982-0832)
- 沿革
- 旧制仙台高等工業学校において、同校生徒の一年生の中、自宅通学者を除いた全員を一年間寄宿舎に収容して同校の教育を徹底させるという目的で1910年同校構内に設立されたのが始まりである。1936年に至り八木山の現在地に150名収容の寮が建設されたが、その後に火災のため大半を焼失したので終戦直後に旧日就寮が再建された。
- 旧制仙台高等工業学校が東北大学に吸収されることに伴って東北大学の管理下におかれる。1971年に北山にあった宏富寮と合併し現在に至る。
- 在寮資格
- 学籍をもつ男子(学部・院を問わない)
- 建築形態
- 鉄筋四階建て
- 部屋形態
- 7.5畳/2人
- 施設
- トイレ・補食スペース共同。風呂・食堂は八木山三寮共通棟のものを利用
- 食事
- 学期内平日の朝と夜
- 入寮応募書類(募集要項)配布方法
- 大学入試試験(AO入試、推薦入試、2次試験前期、2次試験後期)当日に各試験場で配布
- その他
- 以文寮、霽風寮の隣に位置する。
[編集] 明善寮(めいぜんりょう)
- 所在地
- 宮城県仙台市青葉区上杉六丁目3-2(980-0011)
- 沿革
- 旧制第二高等学校が仙台市清水小路一番地に明善寮を設立したのが前身である。同高校が北六番丁(位置的には現在の農学部・雨宮キャンパスの南部)に校舎を建設したとき、1926年現在地に旧明善寮が建築された。1945年に東北大学が旧明善寮の一部を霽風寮として借り受け、1956年に東北大学の所管となり、1981年に建て替えられた。
- 在寮資格
- 学部1・2年のみ
- 建築形態
- 鉄筋5階建て
- 部屋形態
- 6畳/1人
- 施設
- 風呂・トイレ・補食スペース共同
- 食事
- なし
- 入寮応募書類(募集要項)配布方法
- 郵送による配布
- 周辺施設
-
- 東北大学農学部
- 寮西側の愛宕上杉通りを挟んで向かいに位置する。旧制二高が現在の農学部に位置したことから明善寮に非常に近い。
- 仙台市立上杉山中学校
- 寮北隣の公立中学校。校舎の塗装を2002年にしたため、比較的新しい学校に見られるが、仙台市内の公立中学校で最も老朽化が進んでいる。
- 宮城教育大学附属小・中学校
- 寮南隣の国立大学法人「宮城教育大学」に附属する中学校。上杉山中学校とは違い、校舎はきれいである。ただ、小学校は少し老朽化が進んでいる。
[編集] 松風寮(まつかぜりょう)
- 所在地
- 宮城県仙台市青葉区上杉六丁目3-2(980-0011)
- 在寮資格
- 学部3年以上もしくは大学院に学籍をもつ男子
- 建築形態
- 鉄筋5階建て
- 部屋形態
- 6畳/1人
- 施設
- 風呂・トイレ・補食スペース共同
- 食事
- なし
- 入寮応募書類(募集要項)配布方法
- 郵送による配布
- 周辺施設
- 明善寮の周辺施設が松風寮の周辺施設である。
- その他
- 明善寮の隣に位置する。
[編集] 廃寮化された寮
[編集] 昭和舎(しょうわしゃ)
昭和舎は、東北大学医学部管轄であった寮。2000年9月に焼失。その後、建物は新しく建てられていない。
- かつての在寮資格
- 医学部の男子学生
[編集] 有朋寮(ゆうほうりょう)
有朋寮は仙台市立長町中学校に隣接、1952年に建造された木造2階建ての寮である。木造のため老朽化が激しく、有朋寮の学生は立て替えを要求していた。
しかし、当時の文部省(現在の文部科学省)では新しく寮を建設するにあたって、個室化や食堂の廃止、国庫負担分と学生負担分の明確化などを条件として定めており、この条件に学生側が反発したことから立て替えは進まなかった。
膠着状態のまま年月が過ぎたが、2000年9月1日に有朋寮と同じく木造の昭和舎が全焼する事件が発生、大学側は学生側との協議を待つことはできないと判断した。そこで2001年に廃寮決定がなされ、2003年3月をもって閉寮した。
しかし、廃寮決定に反対している10人程度の寮生が現在も住み続けている。明け渡し裁判は現在進行中である。もちろん入寮できない。にもかかわらず、2002年度には廃寮反対運動に賛同する理学部の新入生が大学の反対・制止を振り切って入寮したため、翌年には理学部教授会が当該学生に対して無期停学処分を下した。現在も有朋寮に住み続けており、停学処分は継続中。
なお、この廃寮問題に関して、日就寮は支持を表明しているが、大学側の考えに理解を示す寮も存在しており、東北大学全学生寮を巻き込んでの活動とはなっていない。
- 所在地
- 宮城県仙台市太白区鹿野2丁目19-5 (982-0023)
- かつての在寮資格
- 学部1・2年生の男子(学部は問わない)
- 収容定員
- 238名
- 建築形態
- 木造2階建てが4棟
- 部屋形態
- 6.5畳/2人
- 施設
- 風呂・トイレ・補食スペース共同
- 食事
- 学期内平日の朝と夜
[編集] 東北大学学生寮8寮自治会連合
東北大学の学生寮には東北大学学生寮8寮自治会連合、通称「寮連」というものが存在している。しかし、寮自治とは直接関係のない活動も積極的に実施しているため、2003年に代議員総会(寮連全体の最高議会)の場において明善寮・如春寮・霽風寮・松風寮が脱退を宣言、しかし会議中に「明善寮の不正」(寮連執行部の表現)が発覚。その場においては脱退が認められたが、後に寮連執行部は不正を理由に4寮の脱退は認めていない。その後4寮は寮連の活動には一切参加しておらず、また2000年には昭和舎の焼失のため、実質的には日就寮・以文寮・有朋寮の3つの寮が残るだけとなっている。