木村阪喜
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木村 阪喜(きむら さかき、1945年9月3日 - )は、ヤクザ、指定暴力団・六代目山口組若中、木村會会長、元四代目山健組舎弟頭、旧加茂田組若頭補佐。後の愛媛県伊予市生まれ。
1973年、木村會の前身となる「木村組」を結成。三代目山口組 加茂田組(組長・加茂田重政)の下部団体として、“四国の火薬庫”と言われた愛媛県松山市に進出し、1977年に地元組織・兵藤会(会長・兵藤卓也)との「第2次松山抗争」を繰り広げ、抗争の最高責任をとって1986年までの8年間 服役した。服役中の1984年に加茂田が一和会結成に参加して同会副会長兼理事長に就任したため、一和会傘下となった。出所後の1987年、木村組を「木村會」と改めた。
1988年5月、加茂田の引退により加茂田組が解散されたため、同年11月に四代目山口組若頭・渡辺芳則(二代目山健組組長)から舎弟盃を受け、二代目山健組 木村會となって山口組傘下に復帰。
翌1989年、渡辺が五代目山口組組長に就任し、山健組若頭・桑田兼吉(二代目健竜会会長)が三代目山健組組長となったことに伴い、山健組舎弟頭補佐に就任。 2004年、山健組舎弟頭に昇格した。
2005年8月に発足した四代目山健組(組長・井上邦雄)でも舎弟頭を務めたが、同年11月5日、六代目山口組(組長・司 忍)の直参に昇格。