司忍
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司 忍(つかさ しのぶ、本名:篠田 建市(しのだ けんいち)、1942年1月25日 - )は、ヤクザ、指定暴力団・六代目山口組組長、弘田組組長、二代目弘道会総裁(初代会長)、司興業初代組長。
[編集] 略歴
大分県出身。大分県立水産高校(後の大分県立海洋科学高等学校)卒業後、地元の大手海運会社に就職。その後、大阪を経て名古屋に出て、1962年に三代目山口組 弘田組(組長・弘田武志)に入った。中京地区の抗争では武闘派として活動し弘田組最高幹部を務めた。四代目山口組が発足した1984年6月、弘田の引退に伴い弘道会を結成、山口組直参に昇格。1989年5月、五代目山口組発足に伴い若頭補佐に就任し、ブロック制が導入されてからは中部ブロック長を兼任した。
1997年8月28日の山口組若頭暗殺事件を受けた「新頂上作戦」で、護衛の配下組員に拳銃を持たせていたとする銃刀法違反容疑で同年11月に指名手配され、1998年6月、出頭し逮捕、起訴された。1999年7月、10億円の保証金で保釈された。
2001年3月には大阪地裁で無罪判決を受けたものの、2004年2月24日、大阪高裁で懲役6年の逆転有罪判決を受け、上告。判決後収監されたが、10億円の保証金で即日保釈された。
2005年3月、弘道会会長を同会若頭・髙山清司(二代目髙山組総裁)に譲って二代目弘道会総裁となり、自らは弘田組組長に就任。 同年5月10日、五代目山口組若頭に就任し、7月29日には六代目山口組組長に就任した(継承式と盃直しは8月27日)。6代目を継承すると確実視された銃刀法違反裁判における実刑確定を念頭に、最高幹部人事、幹部職創設、倉本組と小西一家の復活から、國粹会を傘下に収める形での電撃的な“東京進出”、五代目会津小鉄会会長との舎弟盃に代表される親戚団体との関係強化までをも わずか数ヶ月のうちに行った。
2005年11月29日付けで上告が棄却され、懲役6年の実刑判決が確定。同年12月5日に出頭して大阪拘置所に収監され、2006年2月、府中刑務所に移監された。
- 司興業組長
- 初代: 1960年代-1984
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- 先代:
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- 次代:
- 〔氏名不明〕