曽慶紅
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曽 慶紅(そう けいこう, Zeng Qinghong, 1939年7月生まれ)は中華人民共和国の政治家、国家副主席(在任2003年3月15日ー)、中国共産党政治局常務委員(在任2002年ー)。党内序列5位だが、実質的に胡錦涛に継ぐナンバー2の地位にあるとも言われる。
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[編集] 出身
1939年江西省吉安で生まれた。父は抗日戦争を戦う紅軍幹部・曽山、母も長征参加の経験をもつ鄧六金であった。曽山は解放後1949年に上海副市長となり、1960年には中央で内務部長(大臣)に任命されている。鄧六金も上海で党幹部の子弟を預かる華東幼稚園園長に在任した。両親が高位の党幹部であるため、曽慶紅は太子党と呼ばれることがある。北京工業学院自動制御系を卒業後、自動制御専門のエンジニアとして政府機関に勤務し、1960年4月に入党している。
[編集] 党歴
文化大革命中1969年に下放させられたこともあるが、1986年に上海市党委員会副書記に任命されたのが出世の糸口になった。当時の上海市長・江沢民に認められ、1989年の天安門事件後、江沢民が党総書記として北京に呼び寄せられると、指名されて北京に移り、党中央委員会弁公室副主任に任命された。曽慶紅は中央で江沢民の右腕として頭角を現し、1993年党弁公室主任に就任、党幹部の任免権を掌握した。1993年強大な力をもつ長老・楊尚昆を国家主席から引きずり降ろし、江沢民の国家主席就任を実現させた。また北京に地盤を築く北京市長・陳希同も汚職事件を暴いて失脚させ、「殺し屋」と恐れられた。その一方で江沢民の息のかかった「上海閥」を次々に昇進させている。自らも1997年党中央組織部長、1999年党中央委員、2002年党政治局常務委員と急速に昇進を重ねた。
[編集] 国家副主席
2003年3月江沢民が国家主席を副主席の胡錦涛に譲ると、曽慶紅は江沢民系「上海閥」の代表として副主席に就任した。胡錦涛は鄧小平が生前国家主席に指名していた人物で、江沢民の系列ではない。代理人である曽慶紅を通じて影響力を行使しようとする江沢民と新国家主席・胡錦涛の綱引きがしばらく続いた。中国共産党の最高権力機関である政治局常務委員9人のうち、6人は曽慶紅をはじめ、呉邦国、賈慶林、黄菊、呉官正、李長春が江沢民系であり、胡錦涛にはやりにくい局面であったが、SARS事件で果断な指導力を発揮した胡錦涛の実力が認められ、2004年9月江沢民は党軍事委員会主席も退いた。党軍事委員会主席に胡錦涛が就任すると、副主席には曽慶紅が就任すると見られていたが、胡錦涛系の徐才厚が任命された。
なお、野中広務・古賀誠・二階俊博など、日本側の旧来のいわゆる「親中派」に連なる人脈とパイプを持つと言われ、直接外交を監督する立場には無いが一定の影響力を持つともされる。
[編集] 外部リンク
- Zeng Qinghong - 人民日報略歴
- Zeng Qinghong: An Heir To Power - MSNBC