平和主義
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平和主義(へいわしゅぎ)とは、理念的・原則的に非戦・非武装・非暴力を志向する思想的立場を意味する。
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[編集] 概説
平和の達成・維持をどのように実現すべきかについて、人々の考え方は分かれている。あらゆる実力的手段を全て放棄すべきだとする立場(絶対平和主義)や、一定の実力的手段の必要性を容認した上で、実効的統制・漸進的縮減の追求を重視する立場などがある。後者については、細かいプロセスについて様々な考え方が示されている。しかし、以上のような立場の相違に関わりなく、平和の達成・維持を目指すうえで必要な手段を考える根底に、平和的状態そのもの(非戦・非武装・非暴力)を志向する理念・原則を認める点で、広い一致が見られる。この非戦・非武装・非暴力を理念的・原則的に志向する考え方を、平和主義と呼ぶ。
[編集] 歴史
ヨーロッパにおける「平和主義(英語pacifism、ドイツ語Pazifismusなど)」の語源は、フランス語のpacifismeに由来し、さらにラテン語pax(平和)+facere(つくる)から来ている。
思想的伝統としては、東洋においては墨子における非攻・墨守から非戦に連なり、西洋においてはキリスト教の伝統を背景とする。しかしその他さまざまな民族において平和主義の伝統を指摘することができ、たとえばアメリカ原住民であるイロコイ族の伝承は有名である。
第一次世界大戦後、イギリスをはじめとするヨーロッパ列強諸国では、深刻な被害をもたらした戦争への反省や厭戦感を背景に、平和主義にもとづく議論や行動が盛んになった。この潮流を背景に、不戦条約(ケロッグ=ブリアン条約、または締結地に因んでパリ条約、パリ不戦条約とも呼ばれる)などが締結された。ただし、このときドイツを取り巻く各国首脳(とくにイギリス首相チェンバレン)がとった現状維持的な「平和主義」の姿勢は、たんなる「宥和政策」であり、結果として 第二次世界大戦をひきおこしたという批判も根強い。
[編集] 日本国憲法との関連
日本国憲法前文および日本国憲法第9条で平和主義が掲げられており、国民主権(主権在民)、基本的人権の尊重とならぶ三大原則の一つとなっている。憲法第9条で規定される軍事力の不所持は、武力抵抗と軍事的抑止を否定した「絶対平和主義」と批判される。当初の政府の解釈では、国際平和の達成時には軍隊は不必要であるから率先して軍隊を持たないとし、実際に軍隊を持っていなかった。(ただし米軍の駐留は続いていた)しかし、冷戦の激化などとともに解釈の変更が行われて絶対平和主義(という語は憲法解釈として公式には使っていないが)を標榜しなくなり、現在では事実上軍隊(自衛隊)を保持している。
日本国憲法は、立憲民主主義のひとつの具体化と見ることもできる。立憲民主主義は、多元的な価値を事実として前提し、万人の万人による闘争を超えた善と善との衝突を繰り広げるよりは共同体を形成して「まし」な生活を送ろうという思想の伝統である。そのエッセンスである社会契約説は、今日の思想家にも影響を与え続けている。さて、「まし」な生を守る、そのための工夫として、立憲主義は、公と私の線引きを行う。そして、日本の平和主義は、立憲主義に基づくものである。したがって、憲法九条も立憲主義に基づいて解釈されるべきとされる。
憲法九条を文言通りに解釈し、絶対平和主義に立った場合、諸外国にとって、日本は決して反撃をしない国だと思われる。すると、侵略者となることが合理的であるかのように見える。このことは、憲法学者の長谷部恭男によって指摘されている。この観点からすると、最低限の自衛力は各国と抑止的な関係に立つために今のところ必要である。重要なのは、やられたらやり返すという「ポーズ」であるとされる。もちろんそのためには軍事的な実力をもっていなければならないし、万が一その必要が生じれば、軍事攻撃を行うこともあるだろう。
一方で一旦自衛力を容認すると、なし崩し的に「自衛」の解釈が広がって、侵略戦争も「自衛」とされる危険がある。欧米では侵略戦争とみなされている太平洋戦争の開戦は、日本の「自存自衛を全うする」ためとされ、アラブ側では「侵略」と見られているイラク戦争が、アメリカでは「自衛」とされているなど、侵略的な意図を持って戦争を仕掛けることが自衛の口実で行われることがしばしばあることが問題であるとするものである。この意見によると国内法では「自衛」は緊急避難や正当防衛としてその正当性が定着しつつあるが、国際的にはまだ共通理解が出来ていないことが問題点の一つとされる。
もう一つ日本国憲法と平和主義のかかわりについて、特に非武装主義を否定する立場から、「日本国憲法9条は『一国平和主義』に過ぎず、世界にこの理念が広がる余地はない」と言う主張がなされている。(日本)一国平和主義では、悪く言えば「日本が平和ならそれで良い」という考えであるという意見も唱えられている。これに対して、すでに諸外国の多くの憲法に平和主義的規定があり、憲法第9条はその理想主義的な具現化であるから、基本的理念はすでに世界的に共有されており、いずれは世界的に受け入れられる素地があるとの主張もある。
しかし一国平和主義が仮に世界中の全ての国に受け入れられたとしても、相互不信までが消え去ることまでは保障されないため、「一国の平和のために他国を犠牲にするのも止むを得ない」という考えが生まれる可能性は否定できないとする意見もある。もっとも、日本国憲法第9条が「一国平和主義」でなく、「世界平和主義」ならこの欠陥は回避される。
事実、自国の安全という意味での一国平和主義を軍事力で確保しようとすることは憲法9条第二項により放棄されているのであり、また強力な国々の一方的な平和主義になりかねない国際紛争に武力を用いる行為も憲法9条第一項で放棄されていることからして、そもそも憲法9条の精神は自分さえ平和ならいいという立場に最も否定的である、とされることもある。9条第一項には「国際平和を誠実に希求」するという趣旨が明記されており、第二項もその第一項の目的を達成するために戦力の不保持を謳っている。つまり日本一国のためというより世界の平和のために自ら率先して非武装化しようという立場であるから、厳密に言えば、憲法9条の絶対平和主義は一国平和主義の対極に位置している、という意見もある。
さらに近年では、日本憲法における平和主義の理念が実質的に戦後の日本復興を下支えしたとする意見もあり、憲法9条が必ずしも国益を損なうわけではないという評価がある。これに対し、経済のグローバル化が加速する中、米国の核の傘のもとでの「平和主義」がこれまで同様に有効であり続けるかについて反論する者もいる。
[編集] 宗教
クエーカー教徒やエホバの証人信徒などは教義上戦争に参加することができないことから、徴兵制が存在し良心的兵役拒否の制度がない国家では深刻な政治的迫害を受けることがある。
[編集] 参照
- 社会契約
- ホッブス
- ロック
- ルソー
- リベラリズム(自由主義)
- ジョン・ロールズ(『a theory of justice』『正義論』)
- ロバート・ノージック(『アナーキー・国家・ユートピア』リバタリアニズム自由至上主義)
- ロナルド・ドゥオーキン(『権利論』『法の帝国』『平等とは何か』)
- イマヌエル・カント
[編集] 関連項目
- 平和 - 戦争
- 非暴力
- 自衛権(個別的自衛権/集団的自衛権)
- 憲法 - 日本国憲法前文 - 日本国憲法第9条
- 平和主義者の一覧
- 反戦 - 非戦論 - 反核
- 武器輸出三原則
- 良心的兵役拒否
- WAR IS STUPID
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