小山内美江子
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小山内 美江子(おさない みえこ、本名、笹平 美江子(ささひら みえこ)、女性、1930年〔昭和5年〕1月8日 - )は、日本の脚本家である。代表作には、東京放送 (TBS) のテレビドラマ『3年B組金八先生』や日本放送協会 (NHK) の大河ドラマ『徳川家康』『翔ぶが如く』などがある。
神奈川県横浜市鶴見区の出身であり、鶴見高等女学校(現在の鶴見女子高等学校、学校法人総持学園)を卒業。
1951年(昭和26年)には、映画のスクリプター(記録係)となった。結婚を経て、妊娠(その後、長男の剛(ごう)を出産)をきっかけに脚本家に転じた。初めて脚本を手がけたのは、1962年(昭和37年)2月10日放送の日本放送協会 (NHK) のテレビドラマ「テレビ指定席」の『残りの幸福』という作品である。1962年(昭和37年)7月31日には、剛を無事に出産し、それを区切りとして離婚した。
その後、現在までに多くの作品を世に送っている。手がけた作品の中には、教育や子育てへの思いを込めたものがあり、『3年B組金八先生』をはじめ誤算シリーズ(『親と子の誤算』『父母の誤算』)などのテレビドラマによって、教育界でも知られるようになった。
また、アクション、特撮ものも多く書いている。特撮界の第一人者ともいわれた円谷英二が設立した株式会社円谷特技プロダクション(現在の株式会社円谷プロダクション)の初めての作品である『ウルトラQ』の第28話「あけてくれ」などの脚本を書いた。また、東映制作の人気刑事ドラマシリーズ「キイハンター」「アイフル大作戦」「バーディ大作戦」でメインライターを務めている。(なお、これらのテレビドラマの放送は、いずれも東京放送〔TBS〕)
1990年(平成2年)、湾岸戦争の直前にヨルダン・ハシェミット王国への支援に参加し、難民キャンプでボランティア活動を行い、1993年(平成5年)には、教育困難な国で学校建設の活動を行う特定非営利活動法人JHP・学校をつくる会(当時は、任意団体「カンボジアの子供に学校をつくる会」)を設立するなど国際協力活動も行っている。
2004年10月現在、特定非営利活動法人JHP・学校をつくる会代表理事、社団法人日本シナリオ作家協会理事、特定非営利活動法人日本子どもNPOセンター理事、社会福祉法人NHK厚生文化事業団理事(非常勤)、熱海国際交流協会会長なども務めている。
2005年1月に病気で金八先生第7シリーズの第11話以降の脚本から降板したと発表されている。 それに関連して、自身の「金八先生」への思いを書いた「さようなら私の金八先生」を出版した。
長男の笹平剛(ささひら ごう、本名)は、俳優・映像作家の利重剛(りじゅう ごう)として活躍しており、母が脚本を担当した『徳川家康』では、豊臣秀頼役、金八先生第6シリーズでは性同一性障害の相談に乗る医師役での出演もしている。
象印クイズヒントでピントの初代女性軍キャプテンを務めていた。
[編集] 代表的な脚本作品
- 特別機動捜査隊(第126話「天使の乳房」)(NET、現・テレビ朝日系列局、1964年〔昭和39年〕3月25日放送)
- ウルトラQ(第28話「あけてくれ」)(東京放送〔TBS〕系列局、1965年〔昭和40年〕12月14日放送)
- キイハンター(東京放送〔TBS〕系列局、1968年〔昭和43年〕~1973年〔昭和48年〕放送)
- 帰ってきたウルトラマン(第48話「地球頂きます!」)(東京放送〔TBS〕系列局、1972年〔昭和47年〕3月10日放送)
- マー姉ちゃん(日本放送協会〔NHK〕、1979年〔昭和54年〕4月~9月放送)
- 3年B組金八先生 第1シリーズ~第7シリーズ(東京放送〔TBS〕系列局、1979年〔昭和54年〕放送~)
- 父母の誤算(東京放送〔TBS〕系列局、1981年〔昭和56年〕放送)
- 親と子の誤算(東京放送〔TBS〕系列局、1982年〔昭和57年〕放送)
- 徳川家康(日本放送協会〔NHK〕、1983年〔昭和58年〕放送)
- 翔ぶが如く(日本放送協会〔NHK〕、1990年〔平成2年〕放送)