子殺し
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子殺し(こごろし、英語:Infanticide)とは、親が子を殺すことである。
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[編集] 人間の場合
人間の場合、親は一般に子を守るものと考えられ、子は親を扶養すべきものとされ、民法でも明確な扶養の義務づけが記載されている、大抵は、子供は大人にとっては愛すべき対象と見られがちである。
また、現代においては子も親と同等に一人の人間であると考えられている。しかし、その一方で子は親に従属し、隷属されるべきものである、あるいは親の所有するものであるとの判断も存在する。そのため、親の都合で子の生命や人生を左右する事例が多々ある。日本では親が自殺する際に巻き添えで子を殺す例も多く、無理心中といわれる。
他方、過去にさかのぼれば、親が子を殺すことはそれほど珍しいことではない。親が生き延びるために、子を犠牲にする事例は様々な時と場所で認められる。日本でも、明治以前の貧しい地域では、それ以上は子供を育てられない状況の場合、生まれた子をすぐに殺す事例があり、間引きと呼ばれた(1970年(昭和45年)ごろにも貧しさを原因とする子殺しが多発した)。
旧刑法において、子が親を殺す犯罪には尊属殺人罪が適用され、通常の殺人罪よりも極めて重い死刑又は無期懲役が課せられていたが、親が子を死なせる犯罪にはほぼ全てに傷害致死罪が適用され、殺人罪が適用されるケースはほとんどない(子が生存している場合は殺人未遂罪が適用されようが、それでも尊属殺人の未遂罪よりはるかに刑が軽いケースが多い)。
これは子の行動や法律行為を完全に制限できる親権や懲戒権を逆手に取り、あるいは乱用したもので、「お仕置き」と称して激しい折檻で死亡させたとしても、折檻時に殺意があったかどうかを判断するのは不可能であり、結果として「行き過ぎた懲戒権の行使」とされ、殺意があったと見なされないからである。
現在では、法律上、胎児の時期にのみ、特に望まない妊娠をした場合に限り、人工の妊娠中絶が認められる。ただし、これを(強姦の被害による妊娠であっても)認めない国や宗教もあり、よく論争になる点である。
[編集] 関連項目
- 殺人罪
- 尊属殺人罪 - 旧刑法第200条で規定されていた犯罪で、いわゆる親殺しと呼ばれる。1973年(昭和48年)4月4日に最高裁判所の判決で尊属殺人罪が通常の殺人罪より重いのは違憲、とする判決が下され(尊属殺法定刑違憲事件)、1995年(平成7年)の改正で完全に廃止されたが、現在でもなお(道義的に)親殺しは子殺しの何倍も罪の重い行為という認識が定着している。
[編集] 動物の場合
動物一般において、親が子を殺すのは、いくつかの場合がある。
一つは、子であることを知らずに殺す、あるいは食べてしまう場合である。たとえば金魚やメダカは、産卵させた水槽に親をそのまま置いておくと親が卵を食べてしまう。いわゆる共食いである。
また、猫やハムスターが子を産んだ時に、飼い主があまり干渉すると親が子を食い殺してしまうことがある。
これらの行動は、それほど珍しい訳ではないが、どちらかと言えば普通ではない、むしろ突発的な行動であると考えられることが多かった。一般的には、進化は自分の子を残すことで起こるものであり、その子を自ら殺す行動が進化の中で生まれるはずがないというのもその理由のひとつである。
[編集] 適応的な子殺し
動物行動学・行動生態学の発展の中で、子殺しの行動が見直しをされるようになったきっかけは、インドのサルの一種であるハヌマンラングールの例である。
このサルは、成獣の雄が多数の雌の群れをハーレムとして持ち、雌たちとの間で子供を作る。群れで生まれた雌は群れに残るが、雄は群れから出て若い雄の群れを作る。成長した雄はやがてハーレムを持つ雄に攻撃を仕掛け、勝てばハーレムを所有するに至る。
この時、群れを乗っ取った雄は、その群れの雌が抱えている乳児をすべて食い殺してしまうというのである。これは突発的な行動とか、異常な行動とかではなく、群れを乗っ取った雄は必ずこうすると言う。
この行動は1962年に杉山幸丸によって初めて発見された(発表は1965)。当初はその行動のあまりの突飛さ、残虐さもあって、ほとんど認められなかった。しかし、その後1975年にアフリカのライオンにおいても同様の行動が発見された。タンザニアのライオンも、単独の雄が複数の雌を抱えて繁殖し、雄が入れ替わった際に新しい雄は群れの中の乳児を殺すという。この発見によって、ハヌマンラングールの例も広く認められるようになったものである。その後さらに、複数のサル類やジリスなどいくつかの分類群でも同様の行動が確認されている。
[編集] 行動生態学的意味付け
ここに見られる子殺し行動は、非常に残虐に見えるが、冷静に考えれば、論理的に理解できる。特に、群淘汰ではなく、血縁選択説のように個々の個体を中心にすえ、最適戦略選択説的に考えることで説明が可能なものである。
ハヌマンラングールの場合で、前代の雄が負けて新しい雄がハーレムを所有することになった時点で考える。新しい雄にとっては、次に自分が負けるまでに自分の子を雌に産ませなければならない。ところが、雌は乳児を持っている間は発情しないから、子供が独り立ちするまで待たなければ次の子を産ませることができなくなる。しかも、その場合に自分が守ってやる子は自分の遺伝子を引き継いでいないから、雄にとっては全く利益がない。そこで、乳児を殺してしまえば、雌は発情が可能になるから、自分の子を持つまでの時間を大幅に短縮できる。雌の側でも、すぐに次の子を持てば不利は少ない。つまり、乳児を殺してしまうことは雄が支払った投資(先代雄と戦った苦労や、今後当分の群れを維持防衛するためのエネルギーなど)に対する利潤(自分の遺伝子を受け継ぐ子の獲得)を非常に大きくする、すぐれて適応的な行動と言える。
なお、ハヌマンラングールはインドから東の地域にも分布するが、その地域では、雄は単独でハーレムを維持するのではなく、雌の群れに複数の雄がつく。その地域では上記のような子殺しの行動は見られないと言う。
[編集] 思想的影響
この行動は、雄にとって自分の子ではないから、子殺しという言い方は必ずしも正しくないが、自分の群れにいる子を殺すという点でも、はっきりと子供を自分の子であるかどうか判断できる状態で殺す点でも、それまでに考えられたことのなかったものであり、大きな衝撃を与えた。それまでは、同種間の争いは、他方を殺すまでには至らないようになっているものと考えられており、その点でも驚くべき行動と考えられた。
一般の人々からは、動物は人間のように高度な心を持たないから、野蛮なまねをすることも多いと考えられ、「獣のような」とか「動物的な」といった言われ方をされる訳であるが、他方でそれは動物には分別がないからで、分からないでやっているんだから仕方がない、言わば無知によるものだから罪とは言えないという感覚がある。また、動物の行動の研究家は、逆に動物は意外に野蛮でもないし、無意味に殺し合ったりするものでもなく、むしろ過度な攻撃を避けるものだ、言わば動物は意外に高潔なのだという印象を持っていた。
しかし、ここに見られる子殺しは、そのどちらの感覚にも反するものであった。無知と見なすには筋が通り過ぎているし、しかも残虐に見える。そのため衝撃も大きかった。同時に、それを説明しきれる行動生態学の理論に対しても驚きと一部では警戒が生まれたと言ってよいだろう。動物の行動の科学的な理解が目的であるから、何も道義的、道徳的である必要はないが、それが人間に適用された場合、人道的見地からは問題のありそうな議論がたやすいことが見て取れるからである。
なお、杉山がこの行動について発表した時点ではほとんど認められなかったにもかかわらず、後にライオンの例が出た際には大きく取り上げられたことについては、その内容が突飛であったことのほかに、発表したのが非白人(あるいは非西洋人)であったことに基づく人種的偏見があったことを指摘する向きもある。