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血縁選択説

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血縁選択説(けつえんせんたくせつ)というのは、動物の利他的行動を進化論的に説明することを可能にした理論で、行動生態学の基礎を築いた考えである。

それまでの自然選択説では、社会性昆虫における不妊の階級の存在が説明できなかったが、これを遺伝子の伝達を直接に子供を作ることではなく、親戚を増やすことでも可能であることを根拠に説明したものである。

目次

[編集] 前史

社会性昆虫に見られる大きな特徴に、特定個体だけが繁殖に預かるという点がある。例えばミツバチでは、女王バチは雄バチと交尾すると、その後一生の間、卵を産み続けるが、生まれた子供はすべて雌バチでありながら、繁殖はせず、女王の生んだ卵や幼虫の世話をする。特別に育てられた幼虫だけが新たな女王となるのみである。

ところが、この働きバチの進化が自然選択説では説明しがたいのである。自然選択説は優れた形質を持つ個体が生き残り、その子孫にその形質を伝えることが進化の仕組みの基本であるとしているので、子を残さない働き蜂が進化するはずがない。

これを解決する理論としては古くから考えられていたのが群淘汰の考えである。個々の個体はともかく、その個体群にとって有利な形質であればその群の生存率を高めるから、進化するのだ、とするものである。しかし、この考えは個体を中心に考えた場合とは矛盾する部分がある。

もう一つの考え方は、女王にとっては有利な形質であるから、そのような性質を持つ女王が自然選択で残ったのだとするものであるが、この説は働き蜂の側での反乱が生じる可能性がある。

他にも、動物の行動が、一見すると自分を犠牲にして他者を助けるように見える例は多々ある。それらは一般に利他的行動と呼ばれ、進化論では説明が難しいと考えられた。ただし、親が子を助ける場合は、自然選択説でも説明できそうであった。

[編集] この説の立場

この部分を説明可能にしたのが、この血縁選択説である。この呼び名は、ウィリアム・ドナルド・ハミルトンの研究を紹介するにあたって、ジョン・メイナード=スミスが発表した論文 (1964年) のなかで使われた。

この説は、基本的には自然選択説に立脚しながらも、大きく二つの点で、それまでの考え方を変えたものである。

[編集] 自然選択の対象

一つは、それまでは自然選択の対象となるのは個体であると考えられてきたのに対して、それが遺伝子であると考えたことである。

本来の自然選択説は、例えばある動物種の個体群の中で、より足が速い個体が生き延びることが繰り返されれば、その種は次第に足の速い個体の子孫ばかりになるから、種そのものが足の速い個体ばかりになるし、そこに突然変異でもっと足の速くなる個体が生まれれば、それが引き継がれて、という風に、個体に対して選択が働くものと考えた。

しかし、よく考えれば、それぞれの個体の持つ形質は、足の早さだけではないはずである。もし、その個体群の置かれた状況において、足の速さが生存率に対して重要な要素になるのであれば、それぞれの個体のそれ以外の形質にはあまりかかわりなく、足の速い個体が生き延びることであろう。

そこで、これを個々の遺伝子の側から見ると、その動物の足を速くする遺伝子は、その動物の生存率を高める、と言い直すことができよう。そこで、その動物の遺伝子プールを考えれば、この遺伝子のように、その遺伝子を持つ個体の生存率を高めるような遺伝子は、次第にその比率を増すことになると考えられる。つまり、具体的に選択の対象となるのは個体であるが、実際に選択されているのは遺伝子だと考えるべきだというである。

[編集] 遺伝子存続の方法

これまでの自然選択説では、親が子をなすことによって親の遺伝子が子に伝えられると考えてきた。そのため、より多く子を残すものが自然選択の上での成功者と考えられ、どれだけの子孫が得られるかを適応度と呼んだ。

確かに、子供を残すことは自分の遺伝子を残す確実な方法であると考えられる。つまり、親が子を産めば、親の中の遺伝子が子供に伝えられるから、多くの子を生んだ親の方が、親の中の遺伝子をより多く子に伝えるのである。しかし、先に述べたように、選択の対象になっているのは、個々の遺伝子である。そこで、個々の遺伝子の立場から、この内容をより具体的に考えて見る。

例えばヒトのように、両親ともに2nであり、受精によって子をなす動物の場合を考える。ある親の中にある任意の遺伝子をとり、その親が子をなした場合を考える。この時、親の中にある任意の遺伝子をひとつ取り上げた場合、その遺伝子が必ず子に含まれているかと言えば、そうとは限らない。なぜなら、精子や卵などの配偶子を作る際には減数分裂が行われ、親の持つ遺伝子の半分だけが配偶子に入るからである。その結果、親の中の任意の遺伝子が、その親が作る配偶子に入っている確率は2分の1、したがって、子の中にそれが入っている確率も2分の1である。そこで、ある遺伝子が発現したことで、子供をより多く得ることができれば、その遺伝子は適応的には成功していることになる。その観点から見れば、親が身を挺して子を助ける場合でも、助ける子の数が少ないなら、むしろ子を見殺しにする方が有利な場合も有り得ることになる。

しかし、ある個体の持つ任意の遺伝子を持っている可能性のある個体は、その個体の子には限らない。その個体の遺伝子はその個体の親から引き継いだものであるから、当然親には含まれるし、兄弟や親戚にも含まれている可能性はある。その確率は血縁が近いほど高い。そこで、その確率をもって、血縁の近さを示すものと考えてよい。これを数値化したものを血縁度という。

したがって、子供を作ることだけが遺伝子を残す方法ではないことが明らかである。例えば、ある行動を支配する遺伝子が発現することで、自分の子供をより多く生き延びさせることができれば、その遺伝子は適応的に成功であると言える。しかし、同様に、ある遺伝子が発現することで、その個体が子供を作ることをあきらめて、その代わりに多数の兄弟姉妹を生き延びさせるとすれば、これもまた自然選択的には成功していると言えるのである。こう考えれば、子供を残す数だけで自然選択の上での成功を判断する適応度は視野の狭いものと言わねばならない。その代わりに、親戚一同の数を、それぞれの血縁度を勘案しつつ数える必要がある。この値を包括適応度と言う。

[編集] 社会性昆虫への適用

この考えを社会性昆虫に適用すると、働きバチなどの進化の説明が可能になる。つまり、仮に働き蜂遺伝子というものがあって、それを持つ個体を働きバチとしてふるまわせると考える。そして、その働きによってその個体の兄弟姉妹を多数増やすことに成功するならば、その個体自身が子供を残さなくても、その兄弟姉妹を通じてその遺伝子は子孫にそれ自身を残すことに成功する。つまり働きバチという性質が遺伝し、進化することは可能だと考えられる。

特に、ハチやアリ類では染色体による性決定にやや特殊な形式を持っている。ハチ目に共通する性質であるが、受精して生まれた卵からは雌が生まれ、未受精の卵からは雄バチが生まれる。雄は女王と受精するとそのまま死亡し、群れにはかかわらない。交尾した雌バチは女王蜂となり、受精によって雌になる卵を産む。この卵から孵化した子が働き蜂になるのである。つまり受精した卵から生まれた個体は雌になり、未受精卵から生まれた個体は雄になる。このような性決定の仕組みを雄へテロ型という。

このような仕組みの中では、先に説明した血縁度はやや異なった値になる。たとえば雄バチとその母親の間では血縁度は1である。同様に考えると、姉妹間での血縁度は0.75という、高い値を示す。つまり、この性決定様式の元では、同じ数であれば自分の子を作るよりも姉妹を増やした方が遺伝子を残すには効果が高いという結果となる。このことから、ハチやアリでは社会性が発達しやすかったと考えられるのである。

もっとも、これは結局は程度の問題であって、ヒトなどと同じ性決定様式の場合でも、十分に多くの兄弟姉妹が得られるのであれば、子供をあきらめても採算は取れる。実際に古くから社会性昆虫として知られるシロアリ類はこれに当たる。

さらに、管クラゲなど群体性の動物には繁殖個体が分化する例も珍しくはない。これらはそれまでは何の疑問もなく受け入れられていた。しかし、この考えで見直せば、このような群体は無性生殖によって数を増すから、その個体間の血縁度は1であり、社会性昆虫と同じような現象が見られることは不思議でない。

[編集] 理論的影響

このようにして、血縁選択説はそれまで困難であった社会性昆虫の進化を、自然選択説の考えを歪めることなく説明することに成功した。その反響はすぐには現れず、1980年代後半までは次第にその理解をひろめる様子であったが、それ以降は急速に影響力を強めた。

この説の直接的な影響としては、社会性昆虫の進化を説明できるようになったことで、社会性昆虫の進化に関する新たな知見が多く積み上げられるようになった。と同時に、社会性を捕らえ直すきっかけとなったことが挙げられる。つまり、真社会性という考え方である。これを元に、新たな社会性動物の発見も行われた。

また、社会性昆虫とは異なる性質をもつ脊椎動物の社会における利他的行動に関しても、包括適応度などの考え方は大きな影響を与え、さまざまな新たな現象の発見にもつながった。

さらに、より広く考えた場合、行動の遺伝や進化に関して新たな見方を提出したことが挙げられる。特に自然選択を遺伝子の単位で考えることは、それまでは種のような群の単位で考えられがちであった習性の研究を、個々の行動、を取るそれぞれの個体の単位で考えることを可能にしたことが大きい。そこからの発展は、行動生態学の流れとなって20世紀末以降の生態学を大きく変えることになった。利己的遺伝子論もその流れにある。それらの余波はそれ以降のマスコミの論調やテレビ放送の内容を席巻するまでに至るのである。

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