女性騎手
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女性騎手(じょせいきしゅ)とは、競馬における女性の騎手のことである。
日本初の女性騎手は、1936年に京都競馬倶楽部の騎手免許試験に合格した斉藤澄子である。しかし、競馬関係者が「女性騎手の存在は風紀を乱す」と反対運動を展開し、それを受けて農林省は女性騎手のレース出場を禁止する命令を出し、東京帝国競馬協会も騎手免許を発行しなかったため、一度も騎乗することなく引退した。吉永みち子の小説『繋(つな)がれた夢』の主人公は斉藤がモデルとなっている。
海外初の女性騎手は1968年11月にアメリカで騎手免許を取得したペニー・アン・アーリーである。しかし男性騎手がストライキを起こすなどして抵抗し、一度もレースに出場することなく引退した。
もっとも成功した女性騎手はアメリカのジュリー・クローンである。クローンは通算3704勝、重賞132勝、1993年のベルモントステークスに優勝するなどの実績をあげ、2000年8月に女性騎手として初めて競馬の殿堂入りを果たした。
日本では勝利数の面において、中央競馬よりも地方競馬において女性騎手が活躍している。現在名古屋競馬場所属の宮下瞳が、日本における女性騎手の最多勝利記録を更新中である。なお、2002年に中央競馬の短期騎手免許を取得したニュージーランドのロシェル・ロケットが、中山大障害に優勝。これが中央競馬初の女性騎手による重賞優勝、かつGI(J・GI)優勝である。日本中央競馬会(JRA)所属の日本人女性騎手については、今のところ目立った活躍は見られない。
名古屋競馬場や笠松競馬場など、女性騎手に対して無条件でレース時の斤量を減量する特典を付与する制度を実施している競馬場もある。ばんえい競走でも、同様の制度が実施されている。
日本全国の女性騎手を招待して開催されるシリーズとして、「レディースジョッキーズシリーズ」がある。これは荒尾競馬場で2004年および2005年に行われた「全日本レディース招待競走」を前身とし、1997年から2000年まで中津競馬場で行われていた「卑弥呼杯」、2001年に新潟競馬場で行われた「駒子賞」を起源とする。なお、それ以前の女性競馬騎手招待レースには「レディスカップ」(1981年~1984年、水沢競馬場、上山競馬場、新潟競馬場)、「国内女性騎手招待競走」(1982年~1984年、水沢競馬場)、「ANJレディースカップ」(1988年、札幌競馬場)、「インターナショナルクイーンジョッキーシリーズ」(1989年~1993年)などがある。
なお、NARグランプリでは「優秀女性騎手賞」の部門を設置し、その年に最も活躍した女性騎手を表彰している。
[編集] 主な女性騎手
[編集] 日本の女性騎手
- 斉藤澄子(京都競馬倶楽部)
- 高橋クニ(岩手)
- 日本初の女性騎手。繋駕競走のみ騎乗し、通算253戦33勝、2着39回(1966~1971年)。水沢・高橋武厩舎所属。夫は高橋武調教師、娘の高橋優子は日本初の平地女性騎手。
- 高橋優子(岩手)
- 日本初の平地女性騎手。水沢・高橋武厩舎所属。1,776騎乗209勝(1969~1974年,通算5年6ヵ月)。1969年4月にデビューしたが1974年、急性心不全のため死去。父は高橋武調教師、母は高橋クニ。
- 吉岡牧子(益田)
- 安田歩(北海道)
- 宮岸由香(金沢)
- 中島広美(笠松)
- 米田真由美(高崎)
- 牛房由美子(浦和)
- 小田部雪(中津)
- 宮下瞳(名古屋)
- 増沢由貴子(JRA)
- 田村真来(JRA)
- 板倉真由子(JRA)
- 細江純子(JRA)
- 押田純子(JRA)
- 西原玲奈(JRA)
- 山本茜(名古屋)
- 別府真衣(高知)
- 森井美香(高知)
- 池本徳子(福山)
- 岩永千明(荒尾)
- 千田和江(岩手)
- 皆川麻由美
- 佐藤希世子(ばんえい)
- 竹ケ原茉耶(ばんえい)
[編集] 海外の女性騎手
- ペニー・アン・アーリー(アメリカ)
- ジュリー・クローン(アメリカ)
- リサ・クロップ(ニュージーランド)
- リサ・マンビー(ニュージーランド)
- ロシェル・ロケット(ニュージーランド)
- アンヌソフィ・マドレーヌ(フランス)
- 1999年開催インターナショナルジャンプジョッキーズで来日