天然信仰
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天然信仰(てんねんしんこう)とは「天然物(自然物)は合成物(科学物質、人工物)より安全」という思想が過剰になった状態のこと。特に、食品や健康、医療、環境に係る分野で問題になることが多い。
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[編集] 定義と問題点
天然信仰の根本となる思想を定義付けると、「人類が慣習的に利用してきた物質(=天然物)は、近年(産業革命期以降を示すと思われる)開発された化学物質(=人工物)より安全、かつ環境への負荷が少ない。」ということになる。
また、近年開発された遺伝子組換え作物や遺伝子組換え食品等に対し過剰な反対運動を行う人達や、食糧生産の実態や近代農法の利点を学ぶこと無しに有機農法に支持する人達にも同様の傾向が見られるが、上記の定義の「物質」を「技術」に替えれば同様の思想であるといえる。
人類が長い間、慣習的に利用してきたことがある物質や技術の安全性を一定のレベルで担保する、という考えは必ずしも誤りとはいえない。しかし、このことが近代以降に開発された物質や技術が危険である、ということを意味しないことは明らかである。
明らかに天然物の範疇に入り、かつ、人類が慣習的に利用してきた物質の中にもコカやたばこ等、人体や精神に有害なものが多数ある。また、ヒトは環境適応能力によって、毒性の弱い有害物質に対する耐性や代謝能力を獲得する可能性もあるので、甲という民族が長年問題なく利用しているという事実が乙、丙……という別の民族に対する安全性を担保するものであるとはいえない。
更に、科学技術が発達した今日、ある物質に対し法的規制などを求めるための安全性や危険性の証明には科学的根拠が求められ、前記のような理由だけでは不十分である。
以上のような事実があるにも関らず、一部の人達は、科学的な知識の不足や偏り、政治的な目的に基づく扇動により正確な判断ができない状態に陥り、自らの主張と相反する科学的な情報を拒絶する精神状態になってしまう。このような姿勢が「信仰」と呼ばれてしまう所以ある。
[編集] 天然物と合成物
天然信仰を持つ人達の中でも「天然物(自然物)」と「合成物(化学物質、人工物)」間や「安全」と「危険、有害」間の境界の引き方は様々である。なぜなら、天然信仰を持つ人達の判断基準の大半は「環境に良さそう」「身体に良さそう」などという多分に主観的、情緒的なものであり、科学的な根拠が重視されることがほとんど無いからである。
但し、安全、危険の判断基準や各物質の安全性そのものも科学研究の発展による新知見やそれに基づく政府や国際機関による規制や基準の強化や緩和により絶えず変化しているのも事実である。
かつて、天然添加物と呼ばれていた既存添加物が指定添加物(俗称:合成添加物)より安全であると誤解されることなども天然信仰の一つといえる。しかし、実際には既存添加物の一つであったアカネ色素について、厚生労働省が食品安全委員会において食品健康影響評価を行ったところ、遺伝毒性及び腎臓への発がん性が認められたため、名簿から消除されたという事例がある(このことに関する経緯等の詳細は関連項目「既存添加物」の項を参照されたし)。近年の化学的分析技術の発展や、有害物質に対する規制の強化が嘗て安全であったとされる物質に危険性があることを証明してしまうことがある一例である。
[編集] 悪用される天然信仰
更に問題になることには、天然信仰を商業的、或いは政治的な目的で悪用する事業者や団体が存在することである。
商業的に利用する事例としては、「天然の」「自然な」「伝統的製法」「昔ながらの」「手作り」「漢方を利用した」「非遺伝子組換え」という言葉を用いて消費者の印象操作を行うケースが挙げられる。無論、商品がこれらの言葉通りに生産され、なおかつ、そのことが実際に商品の優良性を意味するとすれば、表示は消費者の商品選択に資する好ましいものであるといえる(ただし、前記の言葉の中には景品表示法により優良誤認とみなされ、事実であっても特定の商品に対し使用できない可能性があるものもある)。
政治的に利用する勢力としては、日本では冷戦終了後に行き場を失った左翼勢力が新たな行政や大企業攻撃の方便として環境や食品の安全に関する天然信仰を悪用する事例がある。天然信仰と左翼思想結び付くと、運動が先鋭的になると共に、行政や大学などが提供する科学データを拒絶する姿勢が一層強くなる傾向がある。そのような姿勢を持った勢力と建設的な対話を持つことは困難である。
遺伝子組換え食品反対運動の一部は商業的及び政治的思惑が一致して反対運動が行われている一例であるといえる(無論、すべての反対運動がそうである、ということではない)。
[編集] ゼロリスク思想とワン・イシュー
天然信仰を持つ人達の多くは有害物質に対し「有害な物質はともかく無くせばよい」という、いわゆるゼロリスク思想に基づいた運動を展開することが多い。
しかし、この世にある物質で人体に対し全く無害であるものはほとんど無いといってよい。あくまでも日常生活で常識的とされる摂取量を守る限り悪影響が出ないだけである。物質の使用の可否に関する評価は安全性を最優先しながらも必要性、利便性、コスト等をあわせて勘案されるべきである。また、実際に有害な物質であっても分解や回収が可能であったり、工業的利用に際して閉鎖系の中で循環させることが可能なものもある。物質そのものの危険性だけを見て使用禁止を訴える行為はいわゆるワン・イシュー(one issue:一つの問題を単一方向からしか解析しない姿勢)な捉え方であり、科学的とはいえない。
ワン・イシューの例としては食品に対する放射線照射に関する問題が挙げられる。
現在、日本では食品衛生法に基づき、じゃがいもの発芽防止を目的としてのみ食品に対する放射線照射が認められている。しかし、世界では英米中など31ヶ国と1地域で殺菌を目的とした照射が多数の食品を対象に認められている。世界保健機関(WHO)や国際原子力機関(IAEA)も照射食品の安全性や栄養について問題はないと評価している。特に香辛料に対する照射は商品の品質を損なわずにカビの発生を防げるとあって、最も有効な殺菌法であるとされている[1]。
しかし、日本では反原子力を目的とする市民運動が放射性物質の平和的利用すら認めないという姿勢で根強い反対運動を行っている。そのため、香辛料の種類によっては輸入品の数割が加工前に廃棄されるという多大な無駄が発生している。照射推進派は食品を大量廃棄することの是非や日本が食料品自給率が低い輸入国であることを視野に入れて議論を行っているが、反対派は「放射線=原子力」の視点からのみしか議論を行っていないために、このような無駄が現在も発生し続けている。
[編集] 天然信仰を持つ人達について
天然信仰を持っても、基本的に危険なことは無い。天然信仰を持つ人達が好む食品等は割高なものが多いが、本人の精神的満足度を考慮すれば、趣味嗜好の範疇といえる。従って、知人友人に対ししつこい勧誘等をしない限り、放置しておいて問題は無い。また、勧誘されても、興味が無ければきっぱりと断るべきである。
しかし、いわゆる健康食品の摂取等が原因と思われる、身体的又は精神的な悪影響が判明した場合は速やかに地域の保健所や保健センターの食品衛生及び精神保健の担当者、又は消費者センターに相談すべきである。決して自分一人や素人同士で解決しようとしてはいけない。
[編集] 脚注
[編集] 参考文献
- 公安調査庁 平成14年(2002年)版 内外情勢の回顧と展望 第2「国内関係」 4「21世紀を迎え組織と活動の活性化に努める過激派」
- 週刊ダイヤモンド 2006年8月5日号 特集 危険な食卓 (ダイヤモンド社)
- ジョン・エムズリー著、渡辺正訳 逆説・化学物質(1996年・丸善)