大村航空基地
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長崎空港A滑走路地区 | |||
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IATA:NGS-ICAO:RJFU | |||
概略 | |||
空港種別 | 共用 | ||
航空管制 | (自衛隊機のみ)海上自衛隊 | ||
開港日 | 1955年 | ||
運用時間 | 7:00-22:30 | ||
受け持ち | 大村市 | ||
海抜 | 15ft(5m) | ||
位置 | 北緯32度55分01秒東経129度54分49秒 | ||
滑走路 | |||
方向 | 全長 | 表面 | |
ILS | m | ||
14/32 | YES | 2,999×61 | 舗装 |
大村航空基地(おおむらこうくうきち)は、長崎県大村市に所在する長崎空港のうち、陸上部分にあたる、「長崎空港A滑走路地区」の一般的な名称。海上自衛隊の飛行場として使われているほか、軽航空機の離発着にも使用されている。戦前からの歴史ある飛行場であり、戦前からの建造物が残っている。現在、八八艦隊ヘリコプター部隊としてSH-60Jを運用する第22航空群と、佐世保地方隊に所属する大村航空隊の航空基地となっている。
かつては大村空港と呼ばれていたが、1975年の海上滑走路の完成により、長崎空港A滑走路地区に名称が変更になった。 長崎空港の一部であり、滑走路および東側駐機場は国土交通省の管轄である。海上自衛隊は西側駐機場、誘導路および海上滑走路に対して独自の運用と管制を実施している。
目次 |
[編集] 飛行場データ
- 所在地:長崎県大村市今津町
- 位置:北緯32度55分28秒、東経129度56分10秒
- 空港コード:RJFU/NGS
- 滑走路:1,200m×30m(18/36)
- 管理者:防衛庁
[編集] 概要
現在、海上自衛隊自衛艦隊の各護衛隊群は、護衛艦8隻とヘリコプター8機からなる、いわゆる「八八艦隊」の体制をとっているが、大村航空基地は、館山航空基地とともに、そのヘリコプター部隊の基地となっており、SH-60J哨戒ヘリが配備されている。1護衛隊群ごとに8機の哨戒ヘリが搭載され、4機は予備機とする運用形態になっている。
1992年からは、日米地位協定に基づき、佐世保海軍施設を母港とするアメリカ海軍の強襲揚陸艦「ベローウッド」~「エセックス」艦載ヘリの格納・整備のために、大村航空基地の一部施設が提供されている。
また、長崎空港B滑走路地区の沖合部分に、US-1飛行艇の離着水用の水域が設定されている。
[編集] 歴史
- 1923年(大正12年)・・・大日本帝国海軍大村海軍航空隊が開設される。戦前は、日中戦争における海軍航空部隊の重要な出撃基地であり、ここから中国へ直接向かい、空爆を行った。
- 1941年(昭和16年)・・・当時、東洋一の規模を誇った、第21海軍航空廠が完成する。広大な土地に、航空機・エンジンの製造工場、補修工場、武器弾薬の補給廠が揃っていた。
- 1945年(昭和20年)・・・特別攻撃隊の出撃基地となった。
- 1955年(昭和30年)・・・大村航空隊の準備部隊が鹿屋航空基地内に鹿屋第2航空隊として発足。「大村空港」が開港。
- 1957年(昭和32年)・・・大村航空基地への移駐が完了し、佐世保地方隊大村航空隊が本格始動。
- 1975年(昭和50年)・・・大村湾に浮かぶ箕島を造成し、世界初の海上空港長崎空港が開港。海上が「長崎空港B滑走路地区」に、陸上が「長崎空港A滑走路地区」になる。
- 1981年(昭和56年)・・・第122航空隊が、八八艦隊の佐世保基地への配備に関連して、大村航空基地で新編。
- 1987年(昭和62年)・・・館山航空基地の第21航空群から分離して、第22航空群が新編。同年12月に、第122航空隊が佐世保基地の第2護衛隊群のヘリコプター部隊となり、第123航空隊が舞鶴基地の第3護衛群のヘリコプター部隊として新編された。
- 1998年(昭和62年)・・・舞鶴飛行場の設置に伴い、第123航空隊が第124航空隊と名称変更し、呉基地の第4護衛隊群のヘリコプター部隊に改組。
[編集] 所属部隊
[編集] その他
- 長崎県警察航空隊
- 長崎県防災ヘリ