大宮龍男
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大宮 龍男(おおみや たつお、1954年6月19日 - )は、日本ハムファイターズ、中日ドラゴンズ、西武ライオンズに所属したプロ野球選手。ポジションは捕手。所属3球団すべてでリーグ優勝を経験した。
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[編集] 来歴・人物
1981年日本ハム優勝時の正捕手だったが、田村藤夫の台頭で出番が減少し、1987年オフに大島康徳・曽田康二との交換トレードで田中富生と共に中日に移籍した。2年後の1989年オフ、広橋公寿・小川宗直との交換トレードで宮下昌己と共に西武に移籍した。西武では伊東勤の刺激剤としての役割を果たし、1992年限りで引退。その後は西武、日本ハムのコーチを経て日本ハムのフロントに入った。
強面で短気でなおかつ気が強い。エピソードは以下の通りである。
- 駒澤大学時代、現中日ドラゴンズバッテリーチーフコーチの森繁和とバッテリーを組んでいたが、お互いに気が強くて相手のサインに首を振ってばかりいたので、業を煮やした太田監督がベンチから投球に対するサインを出していたという。
- 日本ハム時代は、ロッテオリオンズのレロン・リーや西武のスティーブ・オンティベロスなど外国人選手とトラブルを起こすことが多かった。
- 日本ハム時代の大沢啓二監督や中日時代の星野仙一監督と言った指導者とすらやり合ったことがある。
- 中日時代は唯一落合博満にヤジを飛ばせる存在であったという。
- 駒澤大学・日本ハム通じての後輩である広瀬哲朗は、著書で「大宮さんだけは本当に怖い」と書いている。
- 西武在籍時、ゴルフコンペで高級マウンテンバイクをもらったものの持ち運び手段がなく、後日所沢の西武ライオンズ球団事務所から自宅まで約40kmをその自転車に乗って帰ったことがある。
[編集] 略歴
- 投打 右/右
- 出身地 愛知県岡崎市
- 血液型 O型
- 球歴・入団経緯 亨栄商 - 駒大 - 日本ハムファイターズ(1977年-1987年) - 中日ドラゴンズ(1988年-1989年) - 西武ライオンズ(1990年-1992年)
- ドラフト年度・順位 1976年・4位
[編集] 通算成績
[編集] タイトル・表彰
- この年大宮の打撃成績は135打数34安打。三塁打と本塁打は1本ずつしか出ていない。それをサイクルヒットに結びつけたのは驚異的な幸運と言える