宮下昌己
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宮下 昌己(みやした まさみ、1965年1月4日 - )は、中日ドラゴンズ、西武ライオンズに所属した投手である。
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[編集] 来歴・人物
1986年には40試合、1987年には50試合に登板したがその後は登板数が減少、1989年オフ、広橋公寿、小川宗直両選手との交換トレードで大宮龍男選手と共に西武に移籍したが登板のないまま1991年限りで現役を引退した。引退後は吉祥寺で飲食店を経営して繁盛していたものの、諸事情で店をたたみ(店舗が住専がらみの物件だったためといわれる)、現在は米屋経営のかたわら少年野球チームの東京青山シニアコーチを務める。
1987年6月11日、熊本・藤崎台県営球場での読売ジャイアンツ戦でウォーレン・クロマティ選手の背中に死球を与えたが、これに対してクロマティが激高し、マウンド上の宮下に右ストレートパンチを食らわせた事件はあまりにも有名(デッドボールを受けた際、クロマティは宮下に帽子を取って謝罪するよう要求したが、宮下はそれに応じなかったため暴力行為に及んだそうで、もし宮下がきちんと謝罪していれば暴力行為を回避できた可能性もある)。
[編集] 略歴
[編集] 所属球団
- 中日ドラゴンズ(1984年 - 1989年)
- 西武ライオンズ(1990年 - 1991年)
[編集] 通算成績
- 117試合 9勝12敗1セーブ 191奪三振 防御率3.31