地獄の黙示録
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地獄の黙示録(じごくのもくしろく Apocalypse Now 1979年, アメリカ)は、フランシス・フォード・コッポラが監督したベトナム戦争を舞台にした映画で、ジョゼフ・コンラッドの小説『闇の奥』をもとにしている。日本での公開は1980年2月。
2001年には53分もの未公開シーンが追加された特別完全版が公開された。
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[編集] 解説
公開直後から賛否両論が噴出した映画で、批評家の間で「ストーリーもあるようでないようなものである」「戦争の狂気を上手く演出できている」「前半は満点だが後半は0点」など、意見が分かれがちな映画である。
製作発表時、ベトナム戦争を批判的に題材とした初の映画として物議を醸したが、撮影と編集が異常に長引き、撮影は17週間の予定が61週間(1976年3月~1977年5月)にも延びて、編集に2年あまりの時間がかけられた。後から制作が始まり、同様にベトナム戦争を題材にした「ディア・ハンター」の方が先に公開される。1979年のカンヌ映画祭で未完成のまま出品され、グランプリを獲得した。一般公開されたのは1979年8月である。
映画としての質は別にして、批評家たちは泥沼のベトナム戦争がアメリカ市民に与えた心の闇を、衝撃的な映像として残した怪作である、と結論付けた。
撮影ロケは、フィリピンのジャングルでおこなわれた。アメリカ軍の協力が得られなかったため、映画に登場するF-5戦闘機やUH-1ヘリコプターは全てフィリピン軍の協力に拠った。当時、フィリピンは共産ゲリラとの内戦や南部イスラム教住民の反乱に直面しており、これらへの実戦出動によってヘリコプターシーン撮影のスケジュールが乱れる事もしばしばであった。資金難やキャスティング関連のトラブルに見舞われる事も多かった。
この映画には、とてつもない費用が投じられた。最初の予算は1200万ドル(当時の日本円で約35億円)だったが、実際にかかったのは3100万ドル(約90億円)だった。 うち、1600万ドル(約46億円)はユナイテッド・アーティスツ社が全米配給権と引きかえに出資したが、残りはこの映画を自分の思いのままに作りたかったコッポラが自分で出した。資金の一部は(日本の配給元でもある)日本ヘラルドから支援されたともいわれる。
コッポラ監督は『地獄の黙示録』の制作初期段階から、音楽をシンセサイザーの第一人者である冨田勲に要請していたが、契約の関係で実現には至らなかった。結局、監督の父親であるカーマイン・コッポラが音楽を担当した。この音楽関連の事情は、完全版『地獄の黙示録』のサウンドトラック盤のライナーノーツで、コッポラ自身が詳細に語っている。
結局、アカデミー賞で撮影賞、音響賞受賞、カンヌ映画祭でグランプリ、ゴールデングローブ賞で監督賞、助演男優賞(ロバート・デュヴァル)などの映画賞をとったが興行的には大失敗してしまい、その借金の返済のためにゴッドファーザーPartIIIが製作された。
[編集] あらすじ
注意 : 以降に、作品の結末など核心部分が記述されています。
ベトナム戦争末期、ウィラード大尉は、軍上層部によりカーツ大佐暗殺の密命を受ける。カーツ大佐は軍の指令を無視して暴走し、カンボジアのジャングルの中に王国を築いていた。ウィラードと部下はパトロール・ボートでジャングルの大河を遡り、その途中で戦争の狂気を目の当たりにする。王国にたどり着いたウィラードは捕らえられるが、最後にカーツ大佐を暗殺する。
スタートシーンは、ベトナム戦争を象徴する兵器のナパーム弾で全てを焼き払うかのような映像シーンで、ドアーズの"The End"が流れた。スタートシーンを巡っての様々な解釈が公開当時から行われていた。キルゴア中佐率いる部隊がワーグナーの『ワルキューレの騎行』を鳴らしながら、9機のUH-1を中心とする戦闘ヘリで原住民を虐殺していくシーンなど、様々な意味で話題となったシーンは多い。
要所、要所にベトナム戦争批判がみられる。たとえば、サーフィンをするために村を焼き払う指揮官(キルゴア中佐)が登場する。一方、多くの戦闘の場所に指揮官たちがおらず、ベトナム戦争のいい加減さを強調する。また、ギリシャ伝説を隠喩的に織り込んでいるといわれ、熱心な解釈を試みる鑑賞者たちもいる。
なお、エピソードの一つにカーツらが民生活動の一環として予防接種を行なった子供達の腕を、ベトコン達が切断して村の中心部に積み上げる、というものがあった。このエピソードは「事実無根」としてベトナム政府から抗議された経緯がある(結局修正されず)。
この映画の原案『闇の奥』の舞台となったコンゴ川一帯は、同作品が発表された当時、コンゴ自由国と呼ばれるベルギー王レオポルド2世の私有国家となっており原住民への搾取政策が国際問題となっていた。この搾取政策の一端を語るエピソードとして、ゴム採取のノルマを達成できなかった原住民労働者の片腕を容赦なく切断したという記録があり、この話が物語に組み込まれたものと考えられる。
[編集] 評価
ウィラード大尉は、原住民を無情に殺害したあと、最後に自分の腕力を使い、幹部暗殺に成功する。ウィラード大尉の行為は矛盾している。軍上層部のやり方が大きな矛盾や偽善を含んでいる事に気がつきながら(「それはウソだった、アメリカ軍のウソを見れば見るほど、俺はそれらのウソに憎しみを覚えた」)、その命令に不要な犯罪を犯しさえしながら忠実に服従している。製作者コッポラは、映画ゴッドファーザーの三部作で非常に高名であるが、ゴッドファーザー第一作、第二作で、マフィアの暴力を間接的に礼賛しているとして、映画の人気とは対照的に知識人たちから批判を受けた事を自ら告白している。当映画は戦争の非情さ、狂気を強調し、アメリカのベトナム戦争への加担を強く批判したという点で評価される面がある。その陰に隠れがちなものの、ゴッドファーザー第一作、第二作同様、暴力、殺人を礼賛してその一見「かっこいい」雰囲気を肯定的に表現している傾向があるという解釈も可能である。よって、映画の最終評価は個人によってかなり変わってくるだろう。すなわち、暴力をエンターテイメントとして評価したり、戦争批判を重視するものは、高い評価を与えるかも知れないし、不条理な殺人を嫌悪するものは低い評価を与えるであろう。又、隠喩的に織り込まれた神話に興味を抱く者はさらなる象徴的な表現を追求し続けるかも知れない。
本映画製作のための巨額負債の返済のためもあって製作したといわれるゴッドファーザーの第三作において、彼が暴力を強く否定する必要があったのは大変な皮肉であったともいえる。本映画はゴッドファーザー第一作、第二作と同様、最高レベルの人気をアメリカにおいて長期に渡って維持しており、映画制作者としてコッポラは大成功したと考えられる。彼は映画界の最重要人物の一人といえる。一方、倫理的、論理的面で批判を受け続けたあと、それを容認し反省する映画(ゴッドファーザーの第三作)を監督した点で、倫理的矛盾を揶揄される弱みをコッポラは持っている。
[編集] 映画のデータ
- 原題:Apocalypse Now
- 製作・監督:フランシス・コッポラ
- (原作:ジョゼフ・コンラッド※アンクレジット)
- 脚本:ジョン・ミリアス、フランシス・コッポラ
- 撮影:ヴィットリオ・ストラーロ
- 音楽:カーマイン・コッポラ
- 提供:ゾーエトロープ・スタジオ
- 出演:
- マーロン・ブランド(ウォルター・E・カーツ大佐)
- マーティン・シーン(ベンジャミン・L・ウィラード大尉)・・・当初ハーヴェイ・カイテルが担当している役だったが、撮影開始2週間で降板した
- ロバート・デュヴァル(ビル・キルゴア中佐)
- フレデリック・フォレスト(シェフ)
- サム・ボトムズ(ランス)
- ラリー・フィッシュバーン(クリーン)
- アルバート・ホール(チーフ・フィリップス)
- ハリソン・フォード(ルーカス陸軍大佐)
- デニス・ホッパー(報道写真家)
- G・D・スプラドリン(コーマン将軍)
- 製作予算3150万ドル(概算)
- 米国収益7878万ドル(1979)、リバイバル時8347万ドル(2002)