国立中央大学
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モットー: 誠樸 | |
総長/学長 | 李羅権 |
大学種別 | 公立 |
宗教の有無 | なし |
設立年 | 1903年 |
所在地 | 台湾 桃園県 中壢市 中大路300号 |
人数 | 卒業生○人,在校生9,804人 |
教員数 | 501人 |
寄付金 | X |
キャンパス環境 | 都市 |
キャンパス面積 | --- |
スポーツチーム | Xxxxx |
マスコット | Xxxxx |
国立中央大学(こくりつちゅうおうだいがく、國立中央大學、National Central University)は、台湾中壢市に位置する国立大学である。戦前は中華民国の最高学府との位置づけがなされ、前身は1903年に南京に於いて設立された三江師範学堂に遡ることができる。校名は258年に創建された南京中央学府に由来し、1928年より中央大学と改称されている。
現在文、理、工、管理、資訊電機、地球科学、客家の7学院(学部),19学系(学科)と43研究所(大学院課程)を擁し、同時に宇宙、防災、ナノテク等の10研究センターを擁した総合大学としての地位を占めている。特に宇宙工学や天文関係に関しては台湾随一の設備を有し、台湾の先端工学を担っており、重点研究大学7校の一つに指定されている。2005年に教育部が推進する「邁向頂尖大学計画」の中でも科学技術に立脚した発展を目標に定めている。2005年10月には桃園科技工業区内に観音キャンパスを建設し、同時に研究開発センターを設置した。産学協力での産業発展に寄与することを目的とし、台北地区での学術研究の中心としての地位を占めている。
尚、略称の中大であるが、1999年2月24日に中華民国智慧財産局により商標が認められており、台湾国内では他者による使用が制限されている(註冊番号00105869号)
目次 |
[編集] キャンパス
[編集] 歴史
中央大学の歴史は1903年に設けられた三江師範学堂まで遡ることができる。民国初期の師範学校として発展していたが、1927年に河海工科大学、上海商科大学、江蘇法科大学、江蘇医科大学を統合し国立第四中山大学と改編されてからは中華民国を代表する国立総合大学として存在していた。国共内戦により中国国民党軍の形成が不利になると、一時台湾への移転が検討されたが、事態の急変に対応が追いつかず、1949年には中国共産党により接収され、南京大学と改称される。更に1952年には南京大学も専門ごとに分化され、名実共に中央大学が消滅してします。
これに対し台湾国内では中央大学卒業生が中心となり復興請願が行われ、1962年に中央大学地球物理研究所として復活し、更に1979年には正式名称も国立中央大学と改称され、台湾国内の高等教育と研究機関として誕生し、台湾を代表する国立総合大学として現在に至っている。
[編集] 年表
年 | 月日 | 事跡 |
---|---|---|
1903年 | 9月 | 三江師範学堂として開校 |
1906年 | - | 両江優秀師範学堂と改称 |
1912年 | - | 辛亥革命の影響により授業停止 |
1915年 | 9月11日 | 国立南京高等師範学校として再興 |
1916年 | 春 | 体育専修科を設置 |
1917年 | - | 附属小学及び附属中学を設置 |
1921年 | 9月 | 国立東南大学と改称 5科30系を設置 |
1923年 | 12月11日 | 火災により蔵書等を消失 |
1927年 | 6月9日 | 河海工科大学、上海商科大学、江蘇法科大学、江蘇医科大学を統合し国立第四中山大学と改編 |
1927年 | 10月7日 | 学部構成を9学院36科系と改編 |
1928年 | 2月29日 | 国立江蘇大学と改称 改称に対し学生より中央大学に変更すべきとの請願が出される |
1928年 | 5月 | 国立中央大学と改称 |
1932年 | 6月30日 | 学校運営費用公費負担問題を巡り学生と行政が対立 行政院より解散命令が出される |
1935年 | 5月 | 南京に医学院を設置、7学院40科系となる |
1936年 | 8~9月 | 日本軍による爆撃を受ける |
1936年 | 10月 | 重慶に疎開(翌月授業再開) |
1938年 | 7月 | 研究院を設置、17学院、56科系、1研究所となる |
1938年 | 冬 | 附属中学を貴陽に疎開 |
1946年 | 5月 | 南京に復帰 |
1947年 | 5月 | 反飢餓、反内戦の『五二零運動』を展開 |
1949年 | 4月 | 国共内戦により中国共産党に接収され国立南京大学と改称 |
1950年 | - | 南京大学と改称 |
1952年 | 10月 | 南京大学、南京工学院、南京能楽院、南京師範学院等に分割され、中央大学が消滅 |
1956年 | 1月12日 | 校友会第10回常務幹事会で中央大学再興の運動方針を採択 |
1958年 | - | 中華民国政府が中央大学の復興を決定 |
1962年 | 7月 | 台湾大学物理館を借用し中央大学地球物理研究所として復興 |
1963年 | - | 苗栗県に移動 |
1967年 | - | 中壢市に移動 |
1968年 | - | 大学部物理学及び待機物理学系を設置 暫定的に校名を国立中央大学理学院と定める |
1970年 | 8月 | 外国語文学系を設置 |
1971年 | 8月 | 土木工程学系を設置 |
1974年 | 8月 | 数学研究所を設置 |
1975年 | 12月 | コンピューターセンターを設置 |
1976年 | 8月 | 化学工程研究所を設置 |
1977年 | 8月 | 物理与天文研究所、生産工程学系を設置 |
1978年 | 8月 | 大気物理研究所を設置 |
1979年 | 7月1日 | 国立中央大学と改称 3学院、10学系、7研究所となる |
1979年 | 8月 | 生産統計研究所を設置 |
1980年 | 8月 | 電気行程学系、地球物理学研究所博士班を設置 |
1981年 | 8月 | 外国語文学系、土木工程研究所、資訊及び電子工程研究所を設置 |
1982年 | 8月 | 光電化学研究所、機械工程研究所を設置 |
1983年 | 8月 | 大気物理学研究所博士班を設置 |
2003年 | - | 客家学院を設置 |
[編集] 組織
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[編集] 学生
[編集] 教員
[編集] 歴代校長
南京時代
区分 | 代 | 氏名 | 任期 |
---|---|---|---|
三江師学 | 初代 | 繆荃孫 | 1902年~1905年 |
両江師学 | 第2代 | 李瑞清 | 1905年~1912年 |
南京高師 | 第3代 | 江謙 | 1912年~1919年 |
南京高師 東南大学 |
第4代 | 郭秉文 | 1919年~1925年 |
第四中山 江蘇大学 中央大学 |
第5代 | 張乃燕 | 1927年~1930年 |
中央大学 | 第6代 | 朱家驊 | 1930年~1931年 |
中央大学 | 第7代 | 羅家倫 | 1931年~1941年 |
中央大学 | 第8代 | 顧孟餘 | 1941年~1943年 |
中央大学 | 第9代 | 蒋介石 | 1943年~1944年 |
中央大学 | 第10代 | 顧毓琇 | 1944年~1945年 |
中央大学 | 第11代 | 呉有訓 | 1945年~1947年 |
中央大学 | 第12代 | 周鴻経 | 1948年~1949年 |
南京大学 | 第13代 | 梁希 | 1949年 |
南京大学 | 第14代 | 潘菽 | 1949年~1957年 |
南京大学 | 第15代 | 郭影秋 | 1957年~1963年 |
遷台後
区分 | 代 | 氏名 | 任期 |
---|---|---|---|
中央大学 | 初代 | 戴運軌 | 1962年~1973年 |
中央大学 | 第2代 | 李新民 | 1973年7月~1982年7月 |
中央大学 | 第3代 | 余伝韜 | 1982年8月~1990年6月 |
中央大学 | 第4代 | 劉兆漢 | 1990年6月~2003年2月 |
中央大学 | 第5代 | 劉全生 | 2003年2月~2006年1月 |
中央大学 | 第6代 | 李羅権 | 2006年2月~現在 |
[編集] 主要な出身者
[編集] 学術
- 郭廷以(歴史)
- 周法高(歴史、語言学)
- 邢慕寰(経済学)
- 黄彰健(歴史)
- 凌純声(民族学、人類学)
- 芮逸夫(英文、人類学)
- 厳済慈(物理学)
- 柏宝義(航空工学)
- 胡世楨(数学)
- 易家訓(土木、流体力学 )
- 田炳耕(工学)
- 沈申甫(航空工学、流体力学)
- 許靖華(地質学)
- 呉健雄(物理学)
- 伍献文(生物学)
- 張伯毅(農学、生物学)
- 艾世勛(医学、薬学)
- 馮元楨(生物学)
- 李文雄(生物学)
[編集] 文芸
- 蒋彝(画家、詩人、作家、書家)
- 聶華苓(作家)
- 張徹 (映画監督)
[編集] 教育
- 王賡武 (香港大学学長)
- 金俊燁 (高麗大学学長、韓国社会科学院理事長)
- 虞兆中 (国立台湾大学学長、中華民国工程師学会理事長)
- 秦大鈞 (国立成功大学学長、中国航空工業研究院院長)
- 楊希震 (国際政治大学学長)
- 張宗良 (国立台湾師範大学学長)
- 楊潔豪 (清雲科技大学学長)
- 周鶴鳴 (国立台湾体育学院院長)
- 鮑幼玉 (国立芸術学院院長)
- 方光圻 (陸軍理工学院院長)
- 周邦道 (中国医薬学院院長)
- 蔡義本 (中央大学教務長、台湾中央研究院地球科学所所長)
[編集] 経済
- 李国鼎 (台湾の「科技教父」、「財経之父」、「経済奇跡推手」)
- 陳啓天 (経済部部長、工商部部長,青年党主席
- 江沢民 (中華人民共和国国家主席)
- 畢季龍 (聯合国副秘書長)
- 謝啓美 (聯合国副秘書長)
- 周書楷 (外交部長、駐アメリカ大使、駐バチカン大使)
- 汪道淵 (国防部部長、司法院副院長)
- 王作栄 (監察院院長、考選部部長)
- 銭国成 (最高法院院長)
[編集] 産業
- 謝森中 (中央銀行総裁、交通銀行董事長)
- 陳慶瑜 (中国銀行董事長)
- 王志莘 (上海証券取引所創始者及び初代所長)
- 盧国紀 (民生實業公司董事長)
- 李文正 (インドネシア力宝クループ董事長,亞洲銀行家協会主席)
- 唐義方 (シンガポール聯合工程集団公司主席、シンガポール経済発展局主席)
- 張心怡 (中華開発公司董事長、台湾銀行頭取)
- 張訓舜 (台湾合作金庫銀行董事長)
- 施建生 (国票聯合證券公司董事長)
- 朱書麟 (台湾電力公司董事長)
- 鄒祖焜 (新亜建設開発公司董事長)
- 程志新 (能源航運股份公司董事長、台湾青年商会会長)
- 張昭焚 (鈺徳科技公司董事長)
[編集] その他
[編集] 主要な教員
[編集] 校歌
維襟江而枕海兮,金陵宅其中
陟升皇以臨睨兮,此実為天府之雄
煥哉鬱鬱兮,文所鐘
宏我黌舍兮,甲於南東
干戈永戢,弦誦斯崇
百年樹人,鬱鬱蔥蔥
広博易良兮,呉之風,以此為教兮,四方来同
(程懋筠 作曲 汪東作詞)
[編集] 外部リンク
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