原田力男
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原田 力男(はらだ いさお、1939年 - 1995年3月22日)は日本の音楽プロデューサー、ピアノ調律師。
[編集] 略歴
山口県防府市に生まれる。フリーのピアノ調律師として武満徹など多数の作曲家と関わりを持ち、その人脈を通じて、1975年から約10年間にわたり、私財を投じて「プライヴェート・コンサート」と題する演奏会を主催し、楽閥に属さない若い作曲家の育成に貢献した。このコンサートから巣立った作曲家に吉松隆や坂本龍一、がいる。同時に、ガリ版刷りのニューズレター『プライヴェート通信』(『プライヴェートコンサート通信』)を定期的に発行配布し、精力的に音楽批評をおこなった。
元より反権威、反権力的であったが、1981年、東京藝術大学教授Uによる受託収賄事件(芸大事件)をきっかけに、徹底的な取材に基づいて藝術を頂点とする音楽業界内部の批判を展開し、それ故か後年自身が没した時には、クラシック音楽の主たるジャーナルではあえて大きく報じられなかった経緯がある。
1980年代以降は体調を崩し、勉強会「零の会」(ぜろのかい)を主催。この会から片山素秀(片山杜秀)(音楽批評、現代思想史)、白石美雪(音楽批評、武蔵野美術大学教授)、高久暁(音楽批評、N.スカルコッタス研究)、長木誠司(音楽批評、東京大学大学院総合文化研究科・教養学部超域文化科学・助教授)、山下裕二(東洋美術史、明治学院大学教授)、大石泰(東京藝術大学演奏芸術助教授)といったアカデミズムの分野だけでなく、様々な才能を輩出した。生涯独身。癌で死去。
2002年、原田力男著作集編集委員会の編纂による遺稿集『青春の音楽 原田力男の仕事』(私家版)が上梓された。
[編集] スタイル
多くの若手作曲家を育成したとはいえ、多くの委嘱を殺到させた作曲家とそうではない作曲家を生むことになって一種の差別状態に発展し、これが楽壇から遠ざかった一番の原因と見られている。
晩年の演奏会感想メモは、大井浩明他が所持している。しかし、そのメモはとても音楽評論家の文体とは言いがたく、単なる素人の感想の羅列であったことも解っている。