党官僚
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党官僚(とうかんりょう)とは、共産主義政党の幹部で、特権的な地位を得た者を指す。
[編集] 官僚制の伝統
世界で最初の社会主義革命を達成したロシアは、東ローマ帝国の伝統を受け継いでいる。西ヨーロッパで封建制度が成立し、地方分権が進んだのとは反対に、東ローマ帝国は中央集権制を採り、意思決定に参画するのは皇帝と一部のエリート官僚だけだった。(注
オスマン帝国の攻撃を受け、東ローマ帝国が滅亡した後。ロシアは東ローマ帝国の後継者を宣言し、皇帝と官僚が取り仕切る制度が受け継がれることになった。
注)といってもこれは通説で、11世紀初頭までの東ローマは社会階層間の流動性が高く、バシレイオス1世のように農民から皇帝になるようなこともあった。また、11世紀後期のコムネノス王朝以降は、むしろ地方の大土地所有者の力が強まって西ヨーロッパの封建制度に近い状態になっている。また東ローマ帝国滅亡後、モスクワ大公国のイヴァン3世は「ツァーリ」と称したが、ツァーリは東ローマ皇帝のほかにキプチャク・ハーン国ハーンのことを指す言葉でもあり、イヴァン3世がローマ帝国の継承まで志向していたかどうかは疑わしいとする意見も有る。
[編集] 執権すべきプロレタリアートの不在
マルクス主義の理論では、ブルジョアジーから権力を奪い取ったプロレタリアートが執権すべきものとされた。しかし、かつて第一インターナショナルにおいてマルクスのプロレタリア独裁論を、革命指導者である共産主義者によるプロレタリアートに対する独裁にすぎないと批判したミハイル・バクーニンの予告や、カール・マルクスの先進国革命論とは異なり、世界で最初の社会主義革命が遅れた農業国ロシアで成功したことで、資本主義の発達の結果生まれるはずだったプロレタリアートが存在せず、プロレタリアートが育つまでの間、共産党幹部がプロレタリアートの役割を代行することとなった。これが党官僚専制支配の起源である。
なお、中国や北朝鮮など、アジアのスターリン主義国家の党官僚は、専制体制における領主的性格が強いとの意見もある。