イヴァン3世
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イヴァン3世(Иван III,Ivan III1440年1月22日 - 1505年10月27日、在位:1462年 - 1505年)は、モスクワ大公国の君主。イヴァン大帝とも呼ばれる。ロシアからモンゴル・タタール勢力を最終的に駆逐し、モスクワ大公国の領土を大きく拡大して強力な統一国家をつくりあげた。
[編集] 事跡
モスクワに生まれる。ワシーリー2世の長子。母はマリア・ヤロスラヴナ。はじめ父とともに共同統治を行ったあと、父の死後1462年に即位した。ヤロスラフ公国(1463年)、ノヴゴロド公国(1478年)、トヴェリ公国(1485年)、リャザン公国の大部分(1485年)などを次々と併合。1480年にタタール・リトアニア連合軍を撃破し、「タタールのくびき」を終わらせた。1487年にはカザン・ハン国を服属させる。その後、1500年から1503年にかけてリトアニア大公国と戦い、リトアニアの支配下にあった多くの都市を獲得した。
1479年、イタリア人の建築家フィオラヴァンティを招いてウスペンスキー寺院を建設。1485年にはクレムリンの宮殿の建設を開始。1492年、バルト海沿岸に要塞都市イヴァンゴロドを建設。1497年には法典を編むなど、内政的にも近代化を推し進めた。
1467年に最初の妻、トヴェリ公の娘マリアを亡くした後、ビザンティン帝国最後の皇帝コンスタンティノス11世の姪ソフィア(ゾエ・パレオロギナ)を2番目の妻とし、ローマ帝国の継承者であることを宣言。モスクワを(ローマ、コンスタンティノープルに続く)「第3のローマ」と称した。また、ローマ帝国の双頭の鷲の紋章をモスクワ大公の紋章に加え、初めてツァーリの称号を名乗ったのもイヴァン3世である。
- モスクワ大公
- 1462 - 1505
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- 先代:
- ヴァシーリイ2世
- 次代:
- ヴァシーリイ3世
- 全ルーシのツァーリ
- 1480 - 1505
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- 先代:
- ―
- 次代:
- ヴァシーリイ3世