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優生学

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『優生学は人間の進化の自己決定』1921年開催された第2回国際優生学会のロゴ。異なった領域の多様性を一つに統合する樹木として表現されている。
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『優生学は人間の進化の自己決定』
1921年開催された第2回国際優生学会のロゴ。異なった領域の多様性を一つに統合する樹木として表現されている。

優生学(ゆうせいがく、eugenics)は、1883年イギリスフランシス・ゴルトンによる造語で、社会的介入により人間の遺伝形質の改良を提唱する社会哲学である。彼の著書『遺伝的天才』の中で提唱された。

目次

[編集] 概要

優生学とは社会的介入により人間の遺伝形質の改良を提唱する社会哲学である。 その目的は様々であるが、“知的に優秀な人間を創造すること”、“社会的な人的資源を保護すること”、“人間の苦しみや健康上の問題を軽減すること”などが挙げられる。これらの目標を達成するために提示された手段には一般的に産児制限、人種改良、遺伝子操作を含むものである。優生学に対しては歴史的に「疑似科学」であるとする批判が向けられ続けてきた。それは人間のもつ様々な特性を脱主体化する可能性を含むものであり、歴史的に強権的な国家主導の人種差別と人権侵害、究極的にはジェノサイドにまで至る社会的な思考手段であり続けたことを意味するのである。

フランシス・ゴルトン卿、最初に「優生学」の概念を展開
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フランシス・ゴルトン、最初に「優生学」の概念を展開

人種改良の歴史は古代ギリシャプラトンの時代にまで遡ることが出来ると考えられている。しかし現代的な領域では1865年フランシス・ゴルトン卿の研究が嚆矢である。彼は従兄弟のチャールズ・ダーウィンの最新の業績からインスピレーションを受けたとされている。

優生学(ギリシャ語の「健全な誕生」または「健全な血統」を意味する語に由来する)はその淵源から、その時代の傑出した思想家達(その中にはアレクサンダー・グラハム・ベルW・E・B・デュボイスが含まれる)によって支持され、様々な大学や高等教育機関において学究的な一分野として位置付けられていた。

その科学的な評価は1930年代に失墜することになった。その頃、エルンスト・リュディンが優生学的な言説をナチス・ドイツ人種政策に融合させる試みを開始し始めた。

戦後、市井と学究の両方の世界において優生学は、強制的な「民族衛生」と「絶滅政策」を行ったナチスによるその悪用と結び付けられて考えられてきた。しかしながら1970年代に至るまで様々に地方行政や国家レベルにおいて優生学的施策は実施されてきた。

優生学は、人間は誕生以前よりその遺伝形質に規定された不平等性を本質とするという「人間不平等性論」を前提として構築されている。人間を「尊厳 Würde」においてではなく、「価値 Wert」の優劣において理解する思想を、その根底に有しているのである。 その意味では、異人種間の価値的優劣を主張する「人種主義・人種差別主義」と、同一民族内における価値的優劣を問題化する優生学は、その人間理解において思想的に通底するものであると言える。

[編集] 優生学とは?

「優生学」という用語は多様な社会的文脈で用いられ、様々な論議を引き起こしてきた。それは多くの場合20世紀前半に大きな影響力を示した社会運動であり社会政策に関係して用いられてきた。歴史的そして広義の意味において、優生学は「人間の遺伝的様々な特性を改良」する研究としても認知されていた。時には「遺伝子プール」の改善といったより広義の人為的な活動を説明する場合に用いられることもある。

現代の「リプロジェネティクス」、「予防的中絶」、「デザイナーベビー」は、古代社会における「幼児殺害」と同様の形式として「優生学」として認識されている。この件に関しては喧しい議論が展開されている。優生学の掲げる規範的な到達点と、それが「科学に基づいた人種主義」に結びついている事実によって、一般的に学究の世界では「優生学」と言う用語から一線を画すようになっており、優生学は「疑似科学」として認識されることもある。このことは遺伝学の発展に対しても同様である。しかしながら社会政策としての「自由主義的な優生学」の提唱に対する支持的な意見は、かなりの数で顕在しているのが現実である。

遺伝子工学への応用可能性についての最新の調査成果が発表されるにつれて、生命倫理学についての議論においては「優生学」の歴史を訓戒的な物語として引き合いに出す機会がますます増えつつある。その一方、“非強制的な優生学的プログラムでさえ本質において倫理に悖るものであるのか”という問いかけを行う倫理学者もいる。優生学者たちは「人間の遺伝子プールの改善」に明らかに結びつく限定された方策を提唱している。“改良の対象を定義すること”や”何が役に立つかという判断を行うこと”は究極的には経験的な科学の観察の問題よりはむしろ文化的な意味での選択であり、優生学は多くの人々によって疑似科学であると見なされてきたのである。

優生学についての議論で最も中心的課題となったのは“何が有用な特性”で、“何が劣っているそれ”かと言った「人間の遺伝子プールの改良」についての定義付けの問題であった。当然の如く、優生学についてのこの解釈は歴史的に「科学に基づいた人種主義」の色彩を帯びていた。初期の優生学は一般的に社会階級に強い相関があると見なされていた知能の因子に結び付けらた。多くの優生学者たちは人間の社会の改善に対する類推として動物の品種改良(そこでは純血種を得ようと懸命の努力が払われていた)からインスピレーションを受けている。異人種間の婚姻(特に白人と有色人種について)は一般的に民族純化の文脈において避けるべきことと考えられてきた。当時、科学的見地からの支持を取り付けたその種の考え方は、今日の発展した「遺伝学」においてもなお議論を引き起こす課題として存続しているのである。

優生学はまた「血友病」、「ハンチントン病」のような遺伝病の根絶とも深いつながりを持ってきた。しかしながら、「遺伝的欠陥」のようなある種の要素をラベリングする様々な問題は今もって存在するのである。

  • 何が「劣っていて」何が「劣っていない」かに関する科学的なコンセンサスは存在しないし、それは社会または個人の選択を超えた問題である。
  • ある文脈において劣っていると見なされるものは別のそれではあてはまらない。例えばマラリア病原虫結核菌に対する抵抗を示すヘテロ接合体の形状を持つ鎌状赤血球症Tサックス病のようなヘテロ接合体の優位遺伝子の事例がそうである。
  • 障害を抱えながら成功する人は少なくない。
  • ニコチン酸欠乏症」が一つの例であるが、初期の優生学が遺伝として見なした症状の多くは現在では完全にまたは少なくとも部分的には環境条件に起因するものである。

先天性疾患」を予測するための「出生前診断」が結果的に「人工妊娠中絶」に結び付く場合(「着床前遺伝子診断」の項を参照せよ)同様の懸念が起こってくるのである。

優生政策は歴史的に次の2つのカテゴリーに分けられてきた。

  • 積極的優生学:子孫を残すに相応しいと見なされた者がより子孫を残すように奨励する。
  • 消極的優生学:子孫を残すに最相応しくないと見なされた者が子孫を残すことを防ぐ。

消極的優生学は強制力を伴う必要はない。国家は不妊手術に同意した人々に経済的な報償を提供した。だが社会的圧力を伴ったこの報償が強制力となったと看做す論者も存在する。積極的優生学も強制力を伴うことがあった。「健全」な女性による人工中絶はナチス・ドイツにおいても非合法化されていた。

20世紀の間に多くの国々において様々な優生的な政策と計画が策定された。それには以下を含む。

これらの政策の殆どは後になって強制的・制限的・大量殺戮的というイメージが付され、今日、「優生学的」と見なされたり、または明確に「優生学的」とラベルを貼られる様々な政策を実際に施行する行政主体は殆ど存在しない。しかし、民間では産婦人科学会などにより「遺伝子カウンセリング」などが実施されており、リプロジェネティクスは国家の強制でない「リベラル優生学」と看做すことができる。


[編集] 優生学の歴史

[編集] ゴルトンの理論

人種改良は、少なくともプラトンの時代まで遡ることが可能である。彼は、人間の生殖活動は国家によって管理されるべきであると考えた。彼は自分の考えを、その著名な著作『国家』において、次のように記している。「最も優れた男は、意図して最も優れた女性を妻に娶ったに違いない。そしてその反対に、最も劣った男についても同じことが言える」。プラトンは選択法則に気付いて人々の心が傷つけられるのを防ぐために、偽りの籤引きで(人為的)選択が行われるべきであると提案している。その他の古代の事例としては、虚弱な新生児を都市の外れに遺棄したスパルタの伝説的な慣行が上げられる。

1860年代から1870年代にかけて、フランシス・ゴルトン卿は従兄弟のチャールズ・ダーウィンの理論によってもたらされた、ヒトと動物の進化に関する新たな知識に添ったこれらの考え方や実践を体系化した。ダーウィンの『種の起源』を読んで、ゴルトンは“自然選択のメカニズムはいかにして人間の文明によって潜在的に妨げられているか”という文脈において、ダーウィンの研究を解釈した。

彼の掲げた論法は、「多くの人間社会は経済的に恵まれない人々と弱者を保護に努めてきた。それゆえにそれらの社会は、弱者をこの世から廃絶するはずの自然選択と齟齬を来してきた」と言うものである。

ゴルトンは、これらの社会政策を変えることによってのみ、社会は統計学において彼が最初に作った造語である「月並みな状態への逆戻り(reversion towards mediocrity)」から救出することが可能であると考えた。この語は、現在では一般に「平均への回帰(regression towards the mean)」という用語に置き換わっている。ゴルトンは1865年の論文「遺伝・才能・性格」において始めて自説を開陳し、1869年上程した『遺伝的天才』において説の更なる彫琢を図った。ゴルトンの提起した議論の根本は、「天才」と「才能」は人間において遺伝するというものである(しかしながら、ゴルトンもダーウィンも遺伝に関するこのタイプの実用的な説明モデルは、その時はまだ提示してはいなかった)。彼は、「人間は動物に対して様々な形質を際立たせるために人為淘汰の手段を用いることが可能であり、そのようなモデルを人間に対して応用するなら、同様の結果を期待することが出来る」とする結論を導き出している。

『遺伝的天才』の序文に以下のように記している。

 私は本書に於いて、人間の本姓の持つ才能はあらゆる有機体世界の形質と身体的特徴がそうであるのと全く同じ制約を受けて、遺伝によって齎されることを示したいと考える。従って斯様な様々な制約にも拘らず、注意深い選択交配により、速く走ったり何か他の特別の才能を持つ犬や馬を永続的に繁殖させることが現実には簡単に行われている。従って、数世代に亘って賢明な結婚を重ねることで、人類についても高い才能を作り出しうることは疑いない。

ゴルトンは、社会は既に知的に劣った者の出生率が知性に優れた者に勝る状態(すなわちダーウィンの用語で言うところの「カタストロフィー」の状態)にあるとして、逆淘汰の状況に進んでいると主張した。ゴルトン自身は如何なる形での選別方法をも提示することはなかったが、もし人々が子孫を残すことの重大性を認識することで社会的規範が多少なりとも変わるならば、いつの日にか解決方法が見つかるであろうことを願った。

ゴルトンは1883年に自著『人間の知性とその発達』において、初めて「優生学」という用語を使用している。同書の性質は、「人種の育種」(それは一般に「優生学」と呼ばれる)に多かれ少なかれ結びついている様々な主題に触れる事を意図したものである。彼は脚注で、「優生学」という語について次の様に述べている。

「すなわち、それは、ギリシャの「eugenes」という語に類似したものである。すなわち、遺伝的に優れた資質を付与された種にとって有益な、資質という意味である。様々な関連する用語や「eugeneia」といった語は、等しくヒトや動物、植物に対して応用されている。我々は、種の改良の科学を表現するに簡潔な用語を殊の外好むものであり、それらは決して賢明な交配という問題に限られたものではない。しかしながら、取り分け人類に関して言及するならば、その語はあらゆる作用について我々に気付かせることになる。それは、程度の差こそあれ、より環境に適合した人種や血統に対して、そうでない存在に優先して、より十分な機会を即座に与える作用である。「ユージェニクス」という語はそのような概念を余すことなく表現するものであり、それはより洗練された用語であり、少なくとも、私が以前試みに使ってみた「viriculture」という語よりは違和感がないであろう。

1904年、彼は「ユージェニクス」の定義について、以下のように明らかにした。

人種の先天的な諸特質を改善する、あらゆる様々な影響に関する科学である、そこには究極的に優れた状態へ人間を発達させることも含まれる。EUGENICS: ITS DEFINITION, SCOPE, AND AIMS.(外部リンク)

「優生学」に関するゴルトンの定義は、統計学的アプローチに基づくものである。それはアドルフ・ケトレーの「社会物理学」から強い影響を受けていた。しかしケトレーとは異なり、ゴルトンは「平均的な人間」という用語を使わなかったが、それらを凡庸な存在として否定視した。ゴルトンと彼の統計学的方法を継承したカール・ピアソンは「優生学」に対して生物測定学的アプローチと呼んだものを発展させた。それは種の遺伝を記述するために新たな複雑な統計モデルを発達させたものであり、後年全く別の領域に応用されている。

しかしながら、グレゴール・メンデルの遺伝法則の再発見に伴って、優生学を唱道する2つの学派が現れることになった。その1つは統計学者から構成され、他方は生物学者のそれであった。統計学者たちは、生物学者に対して非常に粗雑な数学モデルを用いていると考え、その一方、生物学者たちは統計学者たちは生物学について殆ど知識を持たないと考えた。 優生学は最終的には一般的に差異的な出生率に影響を及ぼす研究手法を通して、望ましい資質を持った子供を作り出すために意図された人間の選択的生殖に関わっていくことになった。 これらの政策は主に以下の2つの範疇に分類される。その1つは有利な遺伝形質を持つと思われた人間を増やす「積極的優生学」であり、さらに一つは不良と思われる遺伝的資質を持つ人間に生殖を思い留ませる「消極的優生学」である。 そして過去における消極的優生政策は人種差別への試みから断種や場合によってはジェノサイドにまで広範囲に渡るものである。 「積極的優生政策」は典型的には複数の子供を持つ優れた素質を持つ両親を表彰したり、金銭的援助を与えるという手段を採っている。結婚相談のような比較的穏健な施策は、極早い時期から優生学的観念に連関を持っていた。 優生学は後に「社会進化論」として知られる処のものとは異なる。両者は知性は遺伝すると主張しており、優生学者たちは新しい諸政策は実際に、より「優生学的な」状況へ現状を変える必要があると主張したが、社会ダーウィニスト達は社会そのものは、もし社会福祉政策が機能しなければ(例えば、貧困者は多産であるが、幼児死亡率も高いといった具合に)「逆淘汰」の問題を自然に食い止めることが出来たと主張した。

[編集] 優生学と国家(1890年代 - 1945年)

「我等、乗り遅れるなかれ!」優生学的立法を他の諸外国が行っていて、自国が乗り遅れている事実を各国の国旗を示すことで警告するナチのポスター(内部画像へリンク)

アレクサンダー・G・ベル
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アレクサンダー・G・ベル

近代において優生学的な考え方を提唱した最初の一人に電話を発明したことで知られるアレクサンダー・グラハム・ベルがいる。1881年ベルはマサチューセッツ州マーサズビンヤード島における聾者の人口比率を調査した。この結果から論文「人類の聾唖種の形成に関する記録」において、聴覚障害は自然に遺伝すると結論付け、聴覚障害を遺伝しない結婚を奨励した。その他多くの初期の優生学者と同様に、彼は優生学的意図から移民の制限を提起し、「ろうあ者の寄宿学校がろうあ者の産出の場となっていると考えられる」と警告した。

多くの傑出したアフリカ系アメリカ人の思想家たちは今日まで優生学や優生学的に類似の諸概念を支持してきたのである。そしてそのような人々にW・E・B・デュボイスマーカス・ガーヴィーが含まれ、このような立場を表召したのは彼らに止まらない。彼らは優生学をアフリカ系アメリカ人の苦しみを緩和し、アフリカ系アメリカ人の地位向上する一つの方法として見なしたのである。

アドルフ・ヒトラー政権下のナチス・ドイツは優生プログラムで悪名高かった。そこでは民族衞生の旗の元実施された様々な優生計画を通して純粋ゲルマン民族を維持する試みが行われた。様々な政策の中で、ナチスは自らの遺伝理論を検証するために様々な人体実験を行っている。それは単純な身体的特徴の測定から、ヨーゼフ・メンゲレオットマー・フライハー・フォン・ファシャウアに対して強制収容所で行わせた双生児への驚愕すべき実験まで広範に渡るものである。
1930年代から40年代に掛けて、ナチスドイツは精神的または肉体的に「不適格」と判断された数十万の人々に対して強制断種を行い、強制的安楽死計画によって施設に収容されていた数万の人々を殺害した(T4作戦)。 ナチス政権はまた「積極的優生政策」をも実施し、多産のアーリアン民族の女性を表彰し、また「生命の泉計画」によって「人種的に純粋」な独身の女性が親衛隊の士官と結婚し、子供を設けることを奨励した。彼らの優生学や民族浄化への関心は、ホロコースト計画を通してユダヤ人ジプシー(ママ)同性愛者を含む数百万の「不適格」なヨーロッパ人を組織的に殺害する形となって現れたのである。そして絶滅収容所において、殺害に使われた多数の装置や殺害の方法は、安楽死計画においてまず最初に開発されたものであった。ナチス政権下、優生学と所謂「民族科学」のレトリックが強引に推し進められていったのと時を合わせ、ドイツ優生計画に伴うその範囲と強制は第二次世界大戦後の優生学と第三帝国の間の消すことの出来ない文化的連関を作り出していったのである。

その次に規模の大きな優生学運動は米国において起こった。
1896年コネチカット州を皮切りに、多くの州で優生学に基づく結婚法が立法化された。それは癲癇患者や知的障害者の結婚を制限するものであった。 1898年、米国の著名な生物学者であるチャールズ・B・ダベンポートコールド・スプリング・ハーバーに拠点を持つ生物学研究所の所長として植物と動物の進化に関する研究を開始した。 1904年ダベンポートは実験的進化を目的とした研究所の創設のためにカーネギー協会から資金援助を受けた。 1910年優生記録所が開設され、ダベンポートとハーリー・H・ラフリンは優生学の普及を開始した。


カリカック家の家系図は、ある一回の不義の密通が結果として如何にして全子孫に「愚鈍」をもたらしうるかを示している。
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カリカック家家系図は、ある一回の不義の密通が結果として如何にして全子孫に「愚鈍」をもたらしうるかを示している。

「優生記録所」は数年間に渡って膨大な量の家系図を収集し、不適者達の存在は経済的かつ社会的に劣悪な背景が遠因となっていると結論付けた。

ダベンポートや心理学者のヘンリー・H・ゴダード、自然保護論者のマディソン・グラントなどの優生学の信奉者達は、「不適格者」の問題への解決について様々なロビー活動の展開を開始した。(ダベンポートは最優先事項として移民制限と断種に賛意を表した。ゴダードは自著『カリカック家』において人種隔離を主張し、グラントはこれら全てのアイデアに賛意を表し、かつなお絶滅計画にまで思いを馳せている)


彼らの方法論と研究手法は今日では大いに問題ありと考えられている。だがその当時、この方法は科学的に合理性をもったものであると考えられていた。しかしながら科学的見地から批判を加える者も存在した。(それらの中で著名な人物名を挙げればトーマス・ハント・モーガンがいる)
1924年排日移民法が議会を通過した。このことは優生学者たちにとっては、東ヨーロッパと南ヨーロッパからやって来る「劣った血統」の脅威に関する議会の討論において専門職顧問として中心的な役割を果たす最初の機会であった。 この法は、国外から流入する「不適格者」達の数を制限するために制定されたものであり、前年比で15%移民の数を減少させたのであった。 この新法は遺伝子プールを維持するための試みであり、既存の人種間の交配を禁ずる様々な法を強化したものであった。 優生学的な考え方は米国の多くの州で導入されている近親相姦を禁ずる様々な法律の背後に基礎を置くものであり、そしてそれは多くの白人と有色人種間の混血を禁ずる法律を正当化するために用いられた。
幾つかの州では20世紀の大半の期間に渡って、知的障害者に対する断種が行われた。 連邦最高裁判所は1927年、バージニア州が「不適格者」と見做された人間に断種を行うことが可能としたバック・v・ベル氏の裁判に関して裁決を下した。 優生学的断種に関して最も特筆すべき期間として1907年と1963年の間を上げることができる。この間に米国において優生法のもと6万4千人が強制的に断種手術を受けさせられた。 群を抜いて多数の強制的な断種手術が実施されたカリフォルニア州の断種手術に関しての好意的な報告は生物学者ポール・ポッペナによって書かれ出版された。同書はナチス政府によって、それらの広範な断種計画は実行可能であり、かつ人道に適ったものであるという証拠として広く引用された。
第二次世界大戦後、ニュールンベルク戦犯法廷に引き出されたナチスの行政官達は、思い付きから米国における事例を引用することで、(10年に満たない期間に45万人が手術を受けさせられた)大規模な断種計画は正当なものであったと主張した。
殆ど全ての非カトリックの西ヨーロッパ諸国は優生法を採用した。 1933年ドイツにおいて、遺伝的かつ矯正不能のアルコール依存症患者、性犯罪者、精神障害者、そして子孫に遺伝する治療不能の疾病に苦しむ患者に対する矯正断種を可能とする法律が立法化された。スウェーデン政府は40年の間に優生計画の一環として6万2千人の「不適格者」に対する矯正断種を実行している[1]
同様の出来事がカナダ,オーストラリア, ノルウェイ, フィンランド,デンマーク,エストニア共和国, スイス アイスランド共和国で政府が知的障害者であると認定した人々に対して強制断種が行われた。

様々な著述家達が(その中には著名なスティーヴン・ジェイ・グールドが含まれるが)米国において1920年代に成立し1960年大幅な改正を受けた移民制限が(取り分け、自然の遺伝子プールから「劣った」人種を排除することを意図した)優生学の目標によって動機付けられたものであったと主張している。
20世紀初頭、米国とカナダは、南欧と東欧から膨大な量の移民を受け入れるようになった。ロトロップ・スタッダードヘンリー・ラフリン1920年の移民と帰化に関する下院委員会に対する専門参考人として指名された)の様な影響力を持った優生学者たちは、もしこの先移民が制限されないとするならば国の遺伝子プールを汚染することになる劣等人種が国中に満ち溢れることになるとする議論を立ち上げた。これらの議論によってカナダと米国は民族間の序列化を行う様々な法の立法化へと向かうことになった。これらの法律では最も上位にアングロ・サクソンスカンジナビア人が位置付けられ、下に向かって事実上移民から完全に閉め出された日本人と中国人に至る格付けが行われた。

しかしながら、フランツ・サムエルソン、マーク・シュナイダーマン、リチャード・ヘアンスタインらは、移民政策に関する議事録を詳細に調査した結果、連邦議会は実際にはそれらの要素を考慮に値するものとは見做していなかった事実を明らかにした。むしろ彼らはそれらの制限政策は多量の外国人の流入に対する国の文化的健全さを維持する欲求に動機付けられたものであると主張している。一般的に優生学の概念に同意しない立場においても優生学的立法は依然として公益性を有すると主張している人々が存在した。米国産児制限協会創立者のマーガレット・サンガーは優生学を産児制限の立法を促す有用な手段であると考えた。当時優生学は科学的かつ進歩的であり、人間の生命の領域に、産児に関して自然な知見を応用するものであると多くの人々から理解されていた。第二次世界大戦の強制絶滅収容所以前、優生学がジェノサイドに繋がる恐れがあるとする考え方は真剣には受け取られなかった。

それらのネガティヴな優生学とは区別して、シンガポールは限定的な「ポジティヴな優生学」を実施した。シンガポール政府はあらゆる人種の平等を明確にし、明らかに他国とは全く違った優生学的見解を表明した。これは多くの左翼知識人から絶賛を受けた。

[編集] ナチスドイツの惨劇以後の優生学への批判の展開

ナチス・ドイツの経験の後、「民俗衞生」と社会の成員として「不適」に関する多くの概念は政治家や科学界のメンバーによって公には放棄された。過去のナチの指導者に対するニュルンベルグ裁判はナチス政権のジェノサイドの実施の多くを世界に明らかにした。この裁判は結果として医療倫理の方針が制定され、それは1950年のユネスコの『人種主義否定宣言』に結び付いていった。しかしながら多くの科学者の社会集団は数年間に渡って自己準拠的な類似の「人種的主張」を行い続けた。
第二次世界大戦の間に起こった様々な虐待に応える形で「世界人権宣言」が起草され、1948年国連に採択され「人種・国籍・宗教を問わずあらゆる人々が結婚と家庭を持つ権利を持っている」ことが定められた。「ナチス・ドイツの悪用によって、過去において優生学が持て囃された多くの国々において、優生学は遍く批判の対象となっていった(しかしながら幾つかの優生学的計画(そこには断種が含まれる)は、静かな形で数十年の間実行され続けた。戦前の優生学者達の多くは後世において「秘密結社の優生学」と命名された仕事に従事した。戦後彼らは意図的に自分たちの優生学的考えを秘匿し、人類学者、生物学者、遺伝学者として高名を博すようになっていった。著名なところでは米国のロバート・ヤーキーズやドイツのオットマー・フォン・ファーシュラーの名が上げられる。
カリフォルニアの優生学者のポール・ポッペナー1950年代結婚相談所を開設した。それは「適切な」恋人同士の「健全な結婚」を後押しするという彼の優生学的な関心が実を結んだ事業であった。

1920年代から40年代にかけて多くの高校と大学の教科書においては人々に対する優生学的諸法則を応用することから得られる様々な科学的進歩を喧伝する章立が見られた。また多くの初期の科学雑誌は一般に遺伝に関して多くの記事を割く傾向が見られる。それらの雑誌には編集者には優生学者が加わり、人間以外の生物における遺伝研究とは別立てで優生学の特集記事を掲載することが間々見られた。 科学における優生学熱が冷めた後、殆どの優生学に関する記述は教科書やそれ以降の版の雑誌において掲載されることはなくなった。 この動きを反映して改変した雑誌の名称さえ存在する。 たとえば『優生学季報(Eugenics Quarterly)』は1969年に『社会生物学(Social Biology)』と改名されている。なお同誌は先行誌とは全く趣を変えて2005年まで刊行されている。

「米国優生学協会」(1922年~94年)の20世紀後半期の著名な会員には状況倫理の創始者のジョセフ・フラクターP&G財団のクラレンス・ギャンブル博士産児制限の提唱者で『共有地の悲劇』の著者のガレット・ハーディンらが含まれる。米国と欧州の国々における優生学に対する戦後の態度の変化にもかかわらず、少数の国々、取り分けカナダスウェーデンにおいては、1970年代に至るまで、他の医療行為と同様に精神障害者に対する強制断種を含む大規模な優生学プログラムが実行され続けた。 米国においては、1930年代終わりまでに優生学運動の盛り上がりは下行期を向え、政治的な支持を失ったにも関わらず、断種は1960年代にその実施数はクライマックスを迎えることになった。

[編集] 現代の優生学と遺伝子工学

[編集] 優生学的思想を採用した国・政権

[編集] ドイツ(ナチス政権)

20世紀、優生学の信奉者で著名な人物はアドルフ・ヒトラーだった。彼は「ドイツ民族、即ちアーリア系を世界で最優秀な民族にするため」に、「支障となるユダヤ人」の絶滅を企てた(民族浄化)以外に、長身・金髪碧眼の結婚適齢期の男女を集め、強制的に結婚させ、「ドイツ民族の品種改良」を試みた。

[編集] シンガポール

[編集] アメリカ

ドイツと共に、優生学思想を積極的に推し進めた国はアメリカである。優生学に基づく非人道的な政策を採っていた、と来れば、一番に想起されるのはやはりナチスだが、実は、アメリカの方が優生学的な政策を実施していた期間は長い。また、そのような政策を始めたのも、アメリカの方が早い。優生政策の老舗は、アメリカだと理解した方が事実に沿っているのである。断種法は全米30州で制定され、計12000件の断種手術が行われた。また絶対移民制限法(1924年)は、「劣等人種の移民が増大することによるアメリカ社会の血の劣等化を防ぐ」ことを目的として制定された。この人種差別思想をもつ法は、公民権運動が盛んになった1965年になってやっと改正された。

カリカック家というアメリカの一族を調査したところ、先祖はアメリカ独立戦争時に南部に出征した北部の軍人であったが、北部での子孫は社会的功績が優れている人物が多く、南部での子孫は犯罪者が多かったという結果が出た。南部側の先祖の女性は知的障害が有ったため、犯罪防止などの大義名分と優生学が結び付けられることになった。

[編集] 日本

日本への優生学の影響は1905年頃には既に現れ、ハンセン病者への隔離や断種政策を招いたらい予防法の制定へ向けて政府関係者自らが「民族浄化」を叫ぶなどした。池田林儀は1920年~1924年にドイツ国でワンダーフォーゲルや民族優生学に影響され1926年日本優生運動協会を設立、雑誌『優生運動』も創刊したなどの運動家もあらわれた。1938年(昭和13年)戦争に対応するため厚生省が作られ、予防局優生課が『民族優生とは何か』など優生政策をすすめた。1940年(昭和15年)中絶条項は国会の反対で大幅に修正されたものの遺伝性精神病などの断種手術などを定めた国民優生法が公布された。この法による断種手術は1941年~1947年で538件であった。しかしながら厚生省の意図とは異なり実際には、当時は「産めよ増やせよ」の国策上、また天皇を中心とする家族的な国家観が強制断種と馴染まなかったなどの理由から、優生的な政策は必ずしも実効を結ばなかったとされる。日本において優生学的なイデオロギーが政策的に色濃く反映され、実効されるのはむしろ戦後の優生保護法の施行の後であることに留意する必要がある。

優生保護法(1948年)は、母体保護という名目により中絶を制度化したことで非常に有名であるが、中絶条項以外にも優生学的見地からの強制断種が強化されたことも特筆される。元日本医師会会長でもある谷口弥三郎参議院議員を中心とした超党派による議員立法で提案された同法は、当時必須とされた人口抑制による民族の逆淘汰を回避することを提案理由として、子孫を残すことが不適切とされる者に対する強制性を増加させたものとなった。同法は、ハンセン病を新たに断種対象としたほか、1952年の改正の際に新たに遺伝性疾患以外に精神病、精神薄弱も断種対象とした。1952年~1961年の医師申請の断種手術件数は1万以上行なわれた。またあわせて遺伝性疾患による中絶も年に数千件あった。これを消滅させるべく1997年に法改正がなされ、名称も母体保護法と変更された(変更点は妊娠中絶#中絶の法的根拠参照)。

[編集] 今日の問題

現在では、遺伝的な優劣という意味での優生学を制度的に法制化している国はないと思われる。又、この古典的優生学は学術的にはほぼ非科学的抽象論的な疑似科学であるというコンセンサスが形成されており、これを積極的に研究する学者も殆ど見られない。

今日、胎児の羊水診断などにより、出生以前に先天的異常を発見できるケースは多くなってきている(→出生前診断)。この場合の堕胎などの行為の是非が論じられるようになるなど、優生学的な考え方は新しい議論の段階に入ってきており、決して過去のものとなったわけではない。

又、遺伝子工学の発達や精子銀行の登場によって、優生学思想が別の面で復活するのではないかと危険視されている。(→デザイナーベビー参照)

現に江崎玲於奈は、2000年教育改革国民会議で「いずれは就学時に遺伝子検査を行い、それぞれの子供の遺伝情報に見合った教育をする形になって行くだろう」と発言するなど優生学の観点に前向きな姿勢を示した。遺伝子工学分子遺伝学の成果が平等とは対蹠的な人間選別に利用されるのではないかと危惧する向きも多い。重篤な遺伝病を惹き起こす遺伝子を別にすれば、遺伝子がの一生涯に確実な影響を及ぼす事は通常なく、一般的には生活環境等といった後天的要素の影響の方が大きいため、この種の選別方法は無意味だとする見方が主流である。これに関しては、形質の優劣の基準が個人的な主観によるものである事も大きい。

[編集] 関連項目

[編集] 関連書

  • 米本昌平、 ぬで島次郎、松原洋子、市野川容孝 『優生学と人間社会―生命科学の世紀はどこへ向かうのか』 講談社現代新書 講談社 ISBN 4061495119
  • 松原洋子 2000「優生学」『現代思想』28-03:196-199(臨時増刊:現代思想のキーワード)
  • 加藤秀一2004『〈恋愛結婚〉は何をもたらしたか――性道徳と優生思想の百年間』ちくま新書 ISBN 4480061878
  • マーク・B. アダムズ、佐藤雅彦 訳 『比較「優生学」史―独・仏・伯・露における「良き血筋を作る術」の展開』 現代書館 ISBN 4768467342
  • 中村満紀男 編 『優生学と障害者』明石書店 ISBN 4750318752
  • 桑原 真木子 2003「優生学と教育――「教育的」環境操作がたどりつくところ」

 『現代思想』31-13(2003-11):215-29

  • Trombley, Stephen 1988 The Right to Reproduce,revised edition 2000=2000 藤田真利子訳,『優生思想の歴史』 明石書店,明石ライブラリー26:398
  • 立岩真也 2001/10/25 「優生学について――ドイツ・1」(医療と社会ブックガイド・9)

 『看護教育』2001-10(医学書院)

  • 立岩 真也 2001/11/25 「優生学について――ドイツ・2」(医療と社会ブックガイド・10)

 『看護教育』2001-11(医学書院)

  • 立岩 真也 2001/12/25 「優生学について・3――不妊手術の歴史」(医療と社会ブックガイド・11)

 『看護教育』2001-12(医学書院)

  • 立岩 真也 2002/01/25 「優生学について・4」(医療と社会ブックガイド・12)

 『看護教育』2002-01(医学書院)

  • Mark B. Adams, ed., The Wellborn Science: Eugenics in Germany, France, Brazil, and Russia (New York: Oxford University Press, 1990). ISBN 0195053613
  • Edwin Black, War Against the Weak: Eugenics and America's Campaign to Create a Master Race (Four Walls Eight Windows, 2003). [2] ISBN 1568582587
  • Edwin Black, "Eugenics and the Nazis -- the California connection", San Francisco Chronicle (9 November 2003).
  • Elof Axel Carlson, The Unfit: A History of a Bad Idea (Cold Spring Harbor, New York: Cold Spring Harbor Press, 2001). ISBN 0879695870
  • Michael Crichton, State of Fear, (New York: HarperCollins, 2004). ISBN 0066214130 (contains an appendix on eugenics, politics, and science in the US.)
  • Nancy Ordover, American Eugenics: Race, Queer Anatomy, and the Science of Nationalism (Minneapolis: University of Minneapolis Press, 2003). ISBN 0816635595
  • Tom Shakespeare, "Back to the Future? New Genetics and Disabled People", Critical Social Policy 46:22-35 (1995)
  • Wahlsten, D. (1997). Leilani Muir versus the Philosopher King: eugenics on trial in Alberta. Genetica 99: 185-198.

[編集] 外部リンク

[編集] 優生学批判のウェブサイトと歴史研究のウェブサイト

[編集] 優生学を支持するウェブサイト

[編集] その他

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