二谷英明
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二谷英明(にたに ひであき、1930年1月28日-)は、俳優。京都府舞鶴市出身。
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[編集] 来歴・人物
京都府立東舞鶴高等学校を経て同志社大学文学部英文科を中退後、1954年にラジオ佐世保(のちにラジオ長崎と合併し長崎放送と社名変更)に開局と同時に入社し、3年間、司会や英語放送のアナウンサーを務めた。
1956年、小林旭らと第3期ニューフェースとして日活に入社、同年『沖縄の民』で夜襲の少尉役としてデビューし、以後「ダンプガイ」の愛称で石原裕次郎、小林旭、宍戸錠などとともに日活アクション路線の全盛期を築いた。
1971年日活を退社した後はテレビに活躍の主軸を移していたが、1977年4月からテレビ朝日系列で開始された『特捜最前線』では神代恭介警視正(課長)役として主演。放送中の1979年、北海道ロケ中にスキーで転倒して首を骨折する重傷を負ったが4か月の闘病後に復帰した。その後特捜最前線は1987年3月の終了まで全508回を数える人気番組となった(上記の事故による1979年1月から5月の一時降板のため、自身の出演回数は全492回)。
その一方で、日産自動車のセドリックの専属CMキャラクターを、1972年から1987年までの15年間の長きにわたり務めていた。自身が主演していたドラマ『特捜最前線』の提供スポンサーも日産自動車であり、自身が専属CMキャラクターを務めるセドリックが『特捜最前線』の劇用車として登場していた事で、「テレビ朝日=『特捜最前線』=二谷英明=セドリック=日産自動車」のイメージで一般大衆にも広く知られるようになりWタイアップ効果は絶大であった。
1990年代からは積極的にボランティア活動に参加、1993年には脚本家の小山内美江子らと教育を受けられない国々の子供たちのために学校建設活動を行う特定非営利活動法人「JHP・学校をつくる会」を設立した(設立当時の名称は、任意団体「カンボジアの子供に学校をつくる会」)。自らも何度もカンボジアに赴いて学校建設に尽力するなど「JHP・学校をつくる会」の副会長として活躍していたが2003年10月、脳梗塞で倒れ高級老人ホームで療養中のため現在のところ芸能活動は休止状態である。
妻は1964年に結婚した女優の白川由美。娘で女優の二谷友里恵は郷ひろみの前妻(郷・友里恵夫妻は離婚後それぞれ再婚したが、郷は、再び離婚し現在独身)。
[編集] 主な出演作品
[編集] テレビ
- 特ダネ記者(1967年)
- マイティジャック(1968年)
- 泣くな青春(1972年 ~ 1973年、フジテレビ・東宝)
- 特捜最前線(1977年 ~ 1987年、テレビ朝日)
- フルムーン旅情ミステリー(1989年 ~ 1993年)
- 白い巨塔(1990年)
- 信長(1992年、NHK大河ドラマ)
- Ist登場(テレビ大阪、シャープ一社提供のトーク番組)
- ウンナンの桜吹雪は知っている(1995年)
- 土曜一番!花やしき(1998年)
[編集] 映画
- 幕末太陽傳(1957年)
- 羽田発7時50分(1958年、日活)ミヤコ自動車テストドライバー瀬川役
- にあんちゃん(1959年)
- 闘牛に賭ける男(1960年)
- ろくでなし稼業(1961年)
- 零戦黒雲一家(1962年)
- 青い山脈(1963年、日活)沼田役
- 赤いハンカチ(1964年)
- 東京流れ者(1966年)
- 二人の世界(1966年)
- 夜霧よ今夜も有難う(1967年)
- 燃える雲(1967年)
- 黒部の太陽(1968年、三船プロダクション・石原プロモーション)
- 戦争と人間(1970年)
- 日本沈没(1973年、東宝)中田役
- 華麗なる一族(1974年、東宝)三雲役
- はつ恋(1975年)
- 片翼だけの天使(1986年)
[編集] CM
- (230型4ドアハードトップ追加発売時から、330型、430型、Y30型の4代に渡りCM出演)
- (230型と330型は、妻の白川由美と共演)