九広鉄路
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九広鉄路の運営は、香港(香港特別行政区)と中華人民共和国と言う極めて特殊な行政地域を跨いで行われている為、非常に複雑な形態となっている。また、運営には過去の歴史的な背景が密接に関係している。この為、この項では香港側に主眼を置いて詳述するものとする。
九広鉄路(Kowloon Canton Railway)は香港(中華人民共和国・香港特別行政区)に措いて運営されている鉄道会社線である。略称は『KCR』と表記される。運営は九広鉄路公司(KCR Corporation)が担当する。
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[編集] 概要
1910年、後に香港側で呼ばれる『九広東鉄(KCR East Rail、元九広鉄路英段、通称:東鐵)』の中国側(九広鉄路華段)を含めた全区間、九龍~広州間の178.7kmが完成し全通する。元々直通運転だったこの路線は、1949年の中華人民共和国成立により国境での分断運転となるものの、1978年には直通運転が復活、以来香港と中国内陸部との大動脈として機能し、広東省の広州(~広州東駅)や仏山(~仏山駅)、また北京(~北京西駅)や上海(~上海駅)まで運転されている。
開業以降、1982年5月16日の九広東鉄沙田電化開業迄は、1時間に1本程度のローカル線然とした運行形態であった。羅湖駅までの電化が完成したのは1983年7月15日である。 電化以降、香港領内では新界北部の通勤の足として機能する様になり、それに合わせて沿線の宅地開発が急速に進んで行く。開発後には、超高層アパートが数多く建設された。
近年、KCRでは新線建設に積極的である。2003年12月には、九龍中心部と香港のベッドタウンである新界中央部とを結ぶ『九広西鉄(KCR West Rail、通称:西鉄)』が完成、今後尖沙咀(Tsim Sha Tsui)地区まで延伸、九広東鉄と接続する予定である。また、1988年にKCRは新界西北部のニュータウンにLRT(輕便鐵路)を開通させていたが、開通後の長い間LRTは香港内のその他の軌道系交通とは隔離された存在であった。しかし、2003年の九広西鉄開業で同時にLRTへリンクされ、元朗や屯門と言った新界西部地区に於ける交通網整備の飛躍的向上に繋がった。
次いで2004年には、九広鉄路の支線である『九広馬鉄(前称:馬鞍山鉄路、通称:馬鉄)』が開通し、新界沙田地区東側のベッドタウンと都心とを結ぶ路線が開通した。この路線も、香港島中心部の金鐘(Admiralty)地区まで延伸される予定である。
更には、九広鉄路の新たな支線として、上水駅から伸びる『落馬洲支線』が2007年を目処に建設されており、これは香港と中国の深圳(深圳経済特区)との境界まで、列車による旅客を輸送する為の新路線である。この他にも、各路線の新設や延伸計画等が複数存在する。
九広鉄路は、1978年に香港政庁管轄から独立し、民営化された。また、現在香港の地下鉄を運営する香港地鉄公司(MTR Corporation)と合併する話も持ち上がっている。
KCR鉄道線の全駅で『オクトパス(中国語:八達通)』と呼ばれる、IC非接触型プリペイドカードが使用出来る。また九広鉄路公司では、KCR路線上の駅から周辺の住宅地まで旅客を運輸するフィーダーバス路線も展開している。
[編集] 路線
路線名 | 区間 | 距離 | 開通年 |
---|---|---|---|
九広東鉄(KCR East Rail) | 尖東(East Tsim Sha Tsui) - 羅湖(Lo Wu) | 35.5.km | 1910年 |
九広西鉄(KCR West Rail) | 南昌(Nam Cheong) - 屯門(Tuen Mun) | 30.5km | 2003年 |
九広馬鉄(Ma On Shan Rail) | 大圍(Tai Wai) - 烏溪沙(Wu Kai Sha) | 11.4km | 2004年 |
九広軽鉄(KCR Light Rail) | 1988年 |
[編集] 九広東鉄
- 尖東(East Tsim Sha Tsui) - 紅磡(Hung Hom) - 旺角(Mong Kok) - 九龍塘(Kowloon Tong) - 大圍(Tai Wai) - 沙田(Sha Tin) - 火炭(Fo Tan) - 大學(University) - 大埔墟(Tai Po Market) - 太和(Tai Wo) - 粉嶺(Fanling) - 上水 (Sheung Shui) - 羅湖(Lo Wu)
九広東鉄(KCR East Rail)は、香港で最も早く開通した路線で、『尖東(East Tsim Sha Tsui)』と『羅湖(Lo Wu)』との間を結んでいる。1898年に当時香港を統治していたイギリスと、中国を統治していた清国政府との間で鉄道敷設権が取得され、九龍~広州間の178.7kmが建設される。英中の協議により、羅湖にある深圳河の国境を境に、香港側(九広鉄路 (英段)KCR British Section)の35.5kmはイギリス政府が、中国側(九広鉄路 (華段))の143.2kmは清国政府がそれぞれ建設を担当した。1911年に九龍~広州間が全通した。なお当時のターミナル駅は現在とは異なり、九龍駅は尖沙咀のフェリー乗り場横で、現在でも鉄道駅のあった名残として駅舎の時計塔が残っている。一方、広州のターミナル駅は市街東部の大沙頭に置かれ、広州から北京方面へ向かう粤漢鉄路(広州~漢口間)のターミナル駅だった市街西部の黄沙駅とは離れ、接続していなかった。香港のガイドブック等で「かつてはシベリア鉄道を経由して、香港発ロンドン行きの列車も走っていた」という記載を見かけるが、誤りである。広州市内に乗り入れていた鉄道各線が接続され、各ターミナル駅を統合して現在の広州駅が建設されたのは、中華人民共和国の建国とそれに伴う鉄道国有化後である。
開通当初は起点から終点まで直通運転されていた九広鉄路だが、1949年の中華人民共和国政府の樹立により国境の深圳河の両サイドには羅湖(Lo Wu)駅と深圳駅が設置され、この間には出入境手続き(イミグレーション)の施設[羅湖口岸]が設けられた。その為、路線はこの両駅が香港側と中国側の終点となり、九広鉄路は事実上分断されてしまった(ただし貨物列車は間もなく直通運転を再開した)。現在九広鉄路は、羅湖と深圳を境に香港側のかつて英段と呼ばれていた部分は九広鉄路公司(KCR Corporation)が、中国側の華段と呼ばれていた部分は、中国国鉄として国有化された後、1990年代に民営化され、現在は広深鉄路股份有限公司(Guangshen Railway Company Limited)が運営している。中国側では広深線、或いは広深鉄路、と呼ばれる。
香港側では、1975年に始発駅の九龍駅が九龍半島東側の紅磡(Hung Hom)地区へ移転し、紅磡駅となる。 1978年には紅磡~広州間で旅客列車の直通運転が再開された。 1983年、香港側が電化され、それまでディーゼル機関車が客車を牽引していた路線には通勤電車が走る様になり、沿線は超高層アパートが立ち並ぶベッドタウンとして開発された。
現在では紅磡駅から地下線となり、かつて九龍駅のあった尖沙咀まで路線が延伸され、終点は尖東(East Tsim Sha Tsui)駅となっている。この駅で、2003年に九龍西側の南昌(Nam Cheung)駅まで開通した九広西鉄の延伸時に、東鉄と接続して利便性を改善する予定である。
また、紅磡駅~広州東駅、広東省の仏山駅まで直通の越境シャトル列車が運行されている他、北京や上海へ向けても隔日運転で列車が運行されている。全ての中国本土行き列車の始発駅は紅磡駅であり、出入境手続き(イミグレーション)はこの駅で行われる。また、境界沿いに位置する羅湖駅は、香港と深圳を行き来する出入境者専用の駅となっており、羅湖村住民を除いてこの駅での乗降によって駅舎外に出入りする事は出来ない。
[編集] 沙田馬場支線
- 沙田(Sha Tin) - 馬場(Racecource) - 大學(University)
新界の沙田地区にある香港最大の競馬場、沙田競馬場へ観客を輸送する為に作られた九広東鉄の支線。競馬開催時にのみ運行される。この区間の運賃は他の区間の運賃と体系が異なり、割高となっている。
[編集] 九広西鉄
- 南昌(Nam Cheong) - 美孚(Mei Foo) - 荃灣西(Tsuen Wan West) - 錦上路(Kam Sheung Rd) - 元朗(Yuen Long) - 朗屏(Long Ping) - 天水圍(Tin Shui Wai) - 兆康(Siu Hong) - 屯門(Tuen Mun)
九広西鉄は、2003年に開通した比較的新しい路線である。現在は、九龍半島西側の『南昌(Nam Cheung)』と、新界西部の『屯門(Tuen Mun)』とを結んでいる。かつて、新界地域と香港中心部を結ぶ路線はバス便しかなく、ベッドタウンであるにもかかわらず交通の便は良いとは言えなかったが、この路線の開通により利便は飛躍的に向上した。 新界中央部では既にLRT(軽便鉄道)が開通しており、九広西鉄とLRTがリンクする事によりこの地域の移動が非常に容易となった。
九広西鉄は、2006年に南昌駅から尖沙咀の九広東鉄の地下駅である尖東駅と接続する予定である。また、この延伸部の路線上で、様々な開発計画が持ち上がっている。
[編集] 九広馬鉄
- 大圍(Tai Wai) - 車公廟(Che Kung Temple) - 沙田圍(Sha Tin Wai) - 第一城(City One) - 石門(Shek Mun) - 大水坑(Tai Shui Hang) - 恆安(Heng On) - 馬鞍山(Ma On Shan) - 烏溪沙(Wu Kai Sha)
九広馬鉄﹝前称:馬鞍山鉄路﹞は、『大圍(Tai Wai)』から『烏溪沙(Wu Kai Sha)』の新界東部にある城門河や沙田海、吐露港の東岸を北に走る。2004年12月に完成した。 路線の背後には山が迫っており、山肌と海岸の間を縫うようにして造られている。この一帯の海岸線は埋め立てが進行しており、新しく埋め立てられた場所には住宅地として超高層アパートが続々と建設されている。
この路線の電車は、香港の他の道路や鉄道と違い、右側通行である。朝の九龍へ通勤における東鐵への乗り継ぎを便利にするため、2本の九龍行きの線路を隣にするわけである。
この路線は、九広東鉄のルートとは異なって九龍地区へと入り、やがて香港島中心部の金鍾(Admiralty)付近へ延伸される予定となっている。
[編集] 落馬洲支線(建設中)
- 上水(Sheung Sui) - 堲原(Long Valley):仮称 - 洲頭(Chau Tau):仮称 - 落馬洲(Lok Ma Chau):仮称
香港と深圳を越境する人の割合が年々増加し、現在の九廣東鐵の羅湖~深圳の出入境施設では手狭になってしまった為、新たな鉄道用出入境施設を建設する必要があるので計画された支線である。現在この地点には高速道路が開通しており、香港~深圳間の重要な物流の拠点となっているが、これに鉄道施設が加われば、中港境界の中でも最大の出入境拠点となると思われる。
上水駅~落馬洲(仮称)駅間は7.4kmあり、この間に2駅程度の途中駅が設定される見込みである。完成は2007年を予定。途中駅仮称名は、堲原(Long Valley)と洲頭(Chau Tau)となっている。またこの付近は、香港の中でも有数の湿地帯である。
[編集] 九広軽鉄
九広軽鉄(前称:軽便鉄路LRT)は、新界中央部~西部の交通の利便を図り、1988年に初めての路線が開通、現在ではかなりのルートがきめ細かく設定されている。運営はKCRが行っている。いわゆる路面電車であるこの路線は1両編成~2両編成で運転されている。
車内には運賃箱などは設置されず、大半の乗客は停留所や安全地帯に設置されているリーダにオクトパスカードをタッチして乗降するか、併設の券売機で乗車区間相応のチケットを購入する。このチケットは通常、係員に示したりする事はないが、必要に応じて巡回している乗務員にカードおよびチケットの提示を求められる場合がある(この求めを拒否、あるいは無札で乗車した場合に最寄停留所で下車し、乗車券の購入に従わない場合は290香港ドルの罰金と身元の記録が科せられる)。これらの支払い方は、ヨーロッパにおける路面電車の運営方式を参考にしていると思われる。
2003年に元朗駅~屯門駅間の九広西鉄が開通し、これに呼応して九広軽鉄の運行路線編成も大きく変更され利便が図られた。オクトパスで乗車する場合は、西鉄と九広軽鉄相互に乗り継ぐ場合、九広軽鉄部分が無料になる。
[編集] 沙頭角支線(廃線)
- 粉嶺(Fanling) - 洪嶺(Hung Ling) - 禾坑(Wo Hang) - 石涌凹(Shek Chung Au) - 沙頭角(Sha Tau Kok)
1912年開通、1928年廃止。 九広鉄路 (英段)は当初軌間610mmの軽便鉄道として着工されたが、工事途中で標準軌(1435mm)に変更された。このため不要となった軽便鉄道用の資材や車両を転用して建設されたのが、沙頭角支線だった。旅客列車は全線11.67kmを55分かけて走り、かつ客車には屋根がないトロッコのような台車が使用されていた。このため、1927年に並行する道路が開通すると乗客が激減し、翌年廃止された。
[編集] 和合石支線(廃線)
1949年開通、1983年廃止。 粉嶺駅南側の本線上から分岐し、和合石(Wo Hap Shek)へ至る路線で、途中駅はなかった。 和合石は大規模な墓地がある場所で、埋葬する遺体を運ぶ霊柩列車を運行するために建設され、清明節や重陽節などの墓参シーズンには臨時の旅客列車も運行された。九広東鉄の電化に伴い廃止された。
[編集] 施設
大埔墟(Tai Po Market)駅近くに、香港鉄路博物館がある。電化前の旧大埔墟駅があった場所で、駅舎を改装した小規模な展示館内に九広鉄路の歴史についてのパネル写真や鉄道模型、実際に使われていた信号機などが展示されているほか、屋外に敷かれたレール上には過去に使われていた客車や機関車などの車両が静態保存されている。九広鉄路の沿線に位置しており、本線からの引込み線が博物館敷地内の展示用レールに接続している。鉄道沿線に所在しているが駅からはやや離れており、大埔墟駅からは線路から離れて街中を一旦通らないとたどり着けない。入場は無料。
[編集] 車両
KCRで現在使用されている車両は2タイプ存在する。
電化時に導入された1次車はイギリスのメトロキャメル社製のものであり、これは大埔墟駅近くに所在する香港鉄路博物館にて展示されている。 全ての車両のドア数は3ドアとなっている。うち3両の基本編成は未リニューアルのまま静態保存している。
なお、1次車は1997年よりリニューアル工事受けたのち、別名MLR(Mid Life Refubishの意味)車となった。座席部は、香港の地下鉄であるMTRの車両と同じく、ステンレス製のロングシートが採用されている。加えて、KCR車両の特徴的なものとしては、車端部に同じくステンレス製のクロスシートを備えている。また、1等車両(2ドア)以外の一般車両ドア数は5ドアとなっている。なお、2次車のLED式行先表示はマスが3マス分に区分されているので、行先が2文字の場合は右端のマスが空欄になる。
2次車は日本の近畿車輛/川崎重工業製である、別名はSP-1900形。これは九広西鉄の開業に前後して導入されたものであり、車端部のクロスシートが無くなるなど、車内はよりMTRの車両と類似している。また1等車のシートについても若干グレードが上がっている。LED表示は、ようやくマス目が無くなり、中寄せで表示する事が可能となった。車両中央部には液晶ディスプレイが装備され、各種広告や情報が流されている。 なお九広西鉄および九広馬鉄に導入されている車両もこの2次車をベースとしており、1等車が無い事と、編成両数の違い(九広東鉄=12両編成、九広西鉄=7両編成、九広馬鉄=4両編成)を除けば、ほぼ同じものである。
また九広軽鉄(前称:軽便鉄路LRT)については、川崎重工業製の車両が導入されている。LRTは最大2両編成の連結で運転されているが、後部に連結される車両については、運転台のついていない連結専用のタイプがある。
[編集] 主な禁止事項
KCR施設・車両内での主な違反規則としては、
- 飲食(実際には、この規則は必ずしも遵守されていない。走行中の車内などでペットボトル飲料や菓子類を飲食する乗客もいるし、駅構内売店で販売もされている。下記のゴミ投棄禁止に関連付けている模様。)
- 喫煙
- ゴミ投棄
- 落書き
- 危険物の持込
違反した場合には罰金で最高5000香港ドルが課せられる場合がある。 基本的には、MTR(地下鉄)と規則はほぼ同じである。 日本の鉄道社局と異なり携帯電話の使用を禁止する掲示類は見当たらない。
[編集] オクトパス(八達通)
オクトパス(八達通)カードは、香港での公共交通機関のキャッシュレス決済を可能とする為に、1997年に導入されている交通プリペイドカードの商標名である。世界の公共交通機関の中では最も早く、日本のソニー(SONY)の開発した非接触型ICカード規格のFeliCa方式を採用した事で知られる。
このカードでは、KCRの他にタクシーを除く香港の全ての交通公共機関で運賃決済を行う事が可能であり、その他にも市中のコンビニエンスストアや、レストラン、コーヒーショップなどの様々な施設で電子マネーとして利用する事が出来る。詳細はオクトパスを参照。
更にKCR路線における特徴的なオクトパスの使い方としては、ホーム上あるいは連結部に設置されたカードリーダにかざすことにより、1等車の乗車券の代わりとする事が出来る他、KCR直営のフィーダーバスとKCRで乗り継ぐ際、フィーダーバスの運賃が無料となるシステムがある。